「みすゞさんのまなざし」と題し、金子みすゞ記念館館長・矢崎節夫氏のお話を聞く機会に恵まれた。
簡単なメモ、箇条書きっぽく筋が通らぬ部分もあるかと思うのですが、心に残ったことを少し…。
仏教用語の「身口意(しんくい)」を引かれたお話があった。
「身」「口」「意」、「身体の働き」と「精神活動」との真ん中に位置する「言語活動」。言葉の大切さを説かれる。
汚い言葉を使えば、まず自分がそれを聞く。やがて心に積もって、発散される。けれど、美しい言葉で心を塗りなおすこともできるのです。言葉を削ると、思考も削られ、心も育たない。心は自然に育つのではなく、親(周囲の者)によって育てられるのです。
子供に向かって、あなたは私の「宝」だと言っていますか? (自分が宝だと聞かされて育った子は、他人を大事に思える)
転んで痛い~と泣く子に、「痛くない!」「泣くな!」と言っているのでは?
子供が「おはようございます」と挨拶をしているのに、大人は「おはよう」と返事をしていませんか?
まなざしを下げなくては…。ここには“こだまさない”私達がいます。
「痛い」と言えば「痛いねえ」と受け止め寄り添い、痛さを半分にしてあげる。相手を受け入れ、認め、抱き締めること。「遊ぼ」と言えば「遊ぼ」と返す。“こだます”のです。
「あなたがいて私がいる」。「私」を「私」成らしめてくれる「あなた」の存在の大切さに気付き、自己中心・人間中心だったまなざしを「あなたと私」に変えてみましょう。
「優しい」とはどういうことか。「憂い」を持った人がいたら、隣にたって(「人」)寄り添うこと、こだますること、共に生きることです。
たくさんのことを問いかけられた。「金子みすゞ」についてどなたかにお話をうかがうのは今回が初めてだった。よい機会を与えられたと感謝している。
心がわくわくしていると、実年齢は下がるそうです。私の顔を見てくれるのは「あなた」なのですから、少しでも柔らかい表情を!…と。