京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 五七五七七

2011年08月21日 | 日々の暮らしの中で
珍しい雨の一日となった。時折の止み間にはジィーッと蝉が鳴きだす。
ジージーと鳴く蝉はメスなのでしょうと言われた人がいる。ジージを求めて鳴く京の蝉。バーバーと鳴いたらオス!? あ~、いくら暑いからといってねえ…。

         
ところで、雨の中だったが歌人・河野裕子さんの一周忌に合わせた「もう一度河野裕子に会いたくて」と題した企画展をたずねた。
足跡をたどる新聞記事、企画したスタッフにより選出された30首が掲示されていた。一番好きな歌にシールを貼ってくださいともある。見られたら恥ずかしいと感じたりして、ジーンとくる思いを押し隠す。

『サラダ記念日』より15年も前から口語短歌に挑まれたという河野さん。
「文語の香りがまとわりつく口語」、リズムの心地よさ、言葉の詩的な響き… 等々これまでいくつもの賛辞を拝見してきた。
「歌は意味や頭でつくるものではなくリズムでつくる」これは昨年6月、新聞紙上「実作教室(短歌)」での言葉だった。
カルチャー講座で指導を受けた方が、「無理に詠んだ歌は予定調和でつまらない」「あつ苦しい歌や」とはっきり言われたと偲んでいた。
むろん感覚だけではあるまい。語彙の豊かさ、詩的響きをかもし出す言葉の組み合わせ…。
難しいことはわからないが、日々の思いを、生きている証を日記のように五七五七七に書き留めるというのは、いいですね…。

・たとへば君ガサッと落ち葉をすくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
・子かわれかわれが子なのかわからぬまでに子を抱き湯に入り子を抱き眠る
・さびしいよ息子が大人になることもこんな青空の日にきっと出て行く
・コスモスの花が明るく咲きめぐり私が居らねば誰も居ぬ家
・遺すのは子らと歌のみ蜩のこゑひとすぢに
・ゆうちゃんかと電話に聞き返す母のこゑハコベのちひさな花のように
・死んでゆく母のこころの淋しさを少しは引き受け匙ひと匙を
・一日に何度も笑ふ笑ひ声を笑ひ顔を君に残すため
・死ぬな 男の友に言ふやうにあなたが言へり白いほうせん花
・たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江といへり

私もこの中の一首にシールを張らせていただいた。
   
多くの共感を得てシールが圧倒的に多かったのは絶筆だった。
「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」
コメント (6)
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