京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

  やよいつごもりに…

2010年03月31日 | 日々の暮らしの中で
「やよいつごもり」
三月尽(さんがつじん)。旧暦三月の晦日。惜春の情が深いことばだと説明される。ただ、新暦、実際では春が尽きる感慨などにはひと月ほどは早いようだ。新暦三月の終わりの意でも使われる三月尽。俳句歳時記をめくってみると子規の句があった。
   桜日記三月尽と書き納む

少々の感傷に浸り新たなスタートへと気持ちをつなぐ春先の別れと出会いと。ずっとそんな生活パターンを繰り返し、楽しんでもきた。ところが、わが子のこととなるとからっきしわけが違う。娘を出し翌年には息子もあとに続いた10年ほど前。もともと大学の入学式に親が同伴する意思はなかったので、引越しを済ませ当人の準備を整えて帰宅。子供の姿が消えた、もぬけの殻となった我が家は空虚だった。廃墟と化すほどではなかったにしても…。

    うらうらに照れる春日にひばりあがり
           心かなしもひとりしおもへば
 
これ、うつろで、ひとり寂しさの中にどっぷりと漬かって夜は自然と涙だったなあ。あの寂しさは忘れられない。とまあ少しだけ感傷に浸って、私も明日から“初舞台”。いつも初舞台だけど、4月のスタートを切るのだ。この見事なまでの切り替えはどういうものだろう。

そこで3月末日、しばらくご無沙汰だった4歳児に絵葉書でメッセージを送ることにした。
幼稚園の前もきれいに桜が咲いているよ。美味しそうなお刺身、食べたいね~。そうだ、お寿司を食べに行こうよね。
絵に描いた刺身、やっぱり日本でなくては食べられない。いつ来るかな?誘ってるわけじゃあないのよ・・・。
コメント (7)
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 「花のあと」

2010年03月31日 | 映画・観劇
                        

藤沢周平に同名小説の『花のあと』がある。

冒頭から、満開の桜の花を眺めながら…「終わっていくのですね」…と以登。

日本人には、桜に対してまだ咲いているときから散っていくときを念頭に置く自然観があるようだ。ただ、散って新たな命のみずみずしさを感じさせてくれる新緑の葉桜があり、錦に燃える姿も見せる。そして厳しい寒さを耐える時間を持って再び花をつけるのだ…。
人にも苦節を耐えて示される美しさはあるだろう。

大飯ぐらいか 笑うと目じりと口角がくっつきそうなほどに相形を崩す、人の良さを前面に出したような許婚。だが、物語が進行するに連れ、以登は彼と幸せになれるのではないかと予感できる嬉しさもある。

武士として生まれたところで、生きる術はそれぞれの選択肢が異なる。己を殺してでも生きる道を求めることも。女性ははそういう点ではより従属的だったろうか。
突然の自刃という形で最後を遂げた忍ぶ恋の相手。「はめられた…」。その真相を解明することで展開していく回想記だが、以登は秘めた思いを自らの意思で終わらせる。自らの手で。

一青窈が歌う主題歌は結んでいた・・・   
「また生まれた 花のあと」

その彼女に力を貸し、そっと見守る許婚の片岡才助。
二人の間は7人の子に恵まれ、才助は昼行灯などとなぶられながらも家老職につく人物だった。この物語を回想している以登自身の言葉で最後に語られるのだった。
「花のあと…」、幸せに暮らしたお以登さんだった。

潔くもさわやかな後味だった。


コメント (6)
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