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KYOKUKENZO'S WORKSHOP 2025

「道」は自ら切り開くもの。
他人の後追いは「道」にあらず。

思い出ホルモン。

2018年04月10日 | 韓国料理
北光園のホルモンは美味しい。

私の育った川東にあるこの店は
多くの人の胃袋を満たしてきた。

創業は昭和35年ということだから
私が幼少の頃からあるはずだ。

でも思い起こすと
初めて連れてきてもらったのは
高校生の頃だったと記憶している。

就職で札幌をはなれる以前に
ここに来たことは案外少ない。

結婚して子供が大きくなって
また川東に移り住んでからは
家族みんなでよく食べに来た。

だから最近になって皆とくると
一様に「なつかしい!」と言う。

尊敬する料理人Sさんは
道南のご出身だが
この店の近くに親戚があって

昔は札幌に遊びに来るたび
ここで焼肉を食べたそうだ。

そんな思い出話を聞いた。

昔よく来た店。
何年かしてまた別の仲間と来る。

そんな感じがすごくいい。

近々この店でSさんと
一緒させていただく約束をした。

ホルモンを焼きながら

いろんな話を聞かせてほしい。kyokukenzo
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私が今あること。

2018年04月09日 | 歳時記
昔のこと。

ひとつ思い出すとつられて
いろいろなことが思い出される。

いまから62年前。
昭和30年。私が生まれた年。

私の家は商売を始めたばかり。
二人の子供を抱えた生活は
貧しくはなかったけれど
それほど裕福ではなかった。

そのころ札幌にP飯店という
大きな中華料理店があり
とても羽振りが良かった。

そのオーナーと私の両親は
商売のこともあって
仲良くさせていただいていた。

そこの奥さまが
母の妊娠を知ると
我が家へやって来て

曲さんとこは男の子が二人。
今度生まれてくる子が
男の子だったらもういらないしょ。
私んとこにちょうだい。


という話をしたそうだ。
母も本気か冗談か「いいわよ」と
返事をしていたらしい。

あそこなら裕福だから
生まれてくる子も幸せになれる。
そう思ったのかもしれない。

さて。

母に陣痛が始まると
その奥さまはカゴを持って
私の家へ来てその時を待つ。

そして出産。

あ。チンチン!

さぁっ!と奥さまは喜んだ。

ところが母は
私の顔を見ると可愛くて

やっぱりあげません。
ゴメンナサイ。帰ってください。


と言ったそうだ。

「約束が違う。」

奥さまも一度は詰め寄ったが
それ以上は言えず
諦めて帰って行ったという。

あの時。

母の気が弱く
断りきれなかったとしたら
私はもらわれていったはず。

今とは全く別の人生を
送っていたことになっただろう。
妻や友だちとの出会いもない。

その後P飯店は衰退したと聞いた。
私はどうなってしまっただろう。

でも逆にその大きな苦労が私を
立派な人間にしたかもしれない。

きれいな奥さんをもらい
もっと多くの友だちに
恵まれたかもしれない。

今のように波乱含みでなく
穏やかな人生を
歩んできたかもしれない。

紙一重の運命。
人の一生。人生の機微。

そんなことを考えると
気の遠くなる思いだが

一刻一刻。
右か左か選択の先にある今。

今あるをベストとすることが
正しい答えなのだと私は思う。

友だちや友だちの友だち。
辿って行けば私はゼッタイ
世界中の人とつながっている。

そう信じている。

私が今あること。

両親や家族はじめ
世界中すべての人に感謝したい。kyokukenzo
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兄のこと。

2018年04月08日 | 歳時記
私は男ばかり4人兄弟の
三男坊として生まれた。

生まれたときから
真っ黒い顔をしていて
健康そうな三男坊で健三よ。

母は笑いながら話していた。

私のすぐの兄の名前は悌二。
長兄の弟で次男だから。

私より4つ年上で
幼少時の私の師匠だった。

とても優秀な人だった。
札幌M高からストレートで
H大学工学部に合格。

卒業後は
静岡の重電機メーカーに
技術者として就職した。

静岡へはよく遊びに行った。
私が行くとお友だちが
みなさん集まってくれて
遅くまで酒を飲んで語った。

みなさん頭の良い方ばかり。

だから、話題も豊富だし
ものごとの見方考え方が
とても新鮮に感じた。

私もずい分と影響を受けた。

いちど兄の研究ノートを
見せてもらったことがある。

ページをめくると
数式がギッチリ並んでいて
なにが書いてあるのか
一行も理解できなかった。

私も一応理系だが
同じ理系でもレベルが違う。

その研究ノートは
20冊以上はあったと思う。

特許もたくさん取ったと聞いた。

私が仙台に住んでいたころ
久しぶりに兄弟4人
札幌に集まって酒を飲んだ。

その帰り道。

兄と肩を並べて歩きながら
将来のことなど話し合った。

「お兄ちゃんと仕事がしたい」

と私が言うと

健三の仕事は食品系。
いずれは家業を手伝え。
オレは研究職。一生技術屋だ。

兄はきっぱりと応えた。

その翌月、母から電話があり
私は静岡の病院へ向かった。

それからわずか5カ月
彼はひとり旅立っていった。
kyokukenzo
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空港中華。

2018年04月07日 | 中華料理
羽田飛行場の
ANAの方のターミナルに
南国酒家」があって
時間があると立ち寄ります。

大学の先輩が

「街よりココの方が便がいい」

と言うので、今回は
たっぷり時間をとって
ここで待ち合わせました。

行き来する旅客機を眺めながら

ウマい料理とウマい酒。

昔ばなしや近況の報告。
年金の話。病気の話。老化現象。

ココ、なかなかイイね。

今度もここで飲もうぜ。

はい。そうしましょう。

すっかり長居してしまった。kyokukenzo
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工場を見て。

2018年04月06日 | 社長のことば
四日市に着いてから
ゴマ製品の工場を

じっくり
見学させていただいた。

その段階で私は
重症の二日酔いなど
すっかり忘れていた。

商品づくりの工程を
見せていただき

製造担当の方から
お話を伺うと

モノづくりの想いが
伝わってきて
私どもの販売に心がこもる。

たくさん質問も
させていただいて

私はここでの
スケジュールを終えた。

名古屋へ戻る
電車の時間まで

四日市トンテキで
今日を語り合った。

電車内で名残りの酒。

よく学び、よく食べて、よく飲んだ。。kyokukenzo
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三重の雪。

2018年04月05日 | 
朝早く目が覚めた。

昨夜の唐辛子がまだ
胃に残っているのか

胃が痛い。

目眩をおさえて
西へ向かう
のぞみ号に飛び乗った。

車内販売の
サンドイッチを
無理やり腹に詰め込んだ。

ビールはやめて水にする。

名古屋駅で下車して
近鉄に乗り換えて
四日市駅についた。

その頃にはお腹のほうは
だいぶ落ち着いてきた。

立ち食いキシメンを
いただいた。

いつも言うことだが
この世のものは須らく
当地に来てみないと
わからないことが多い。

三重に雪が降ると

今回初めて知った。

四日市に
スタッドレス装着の
車があるってことも

今回初めて知った。kyokukenzo
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未知との遭遇。

2018年04月04日 | 中華料理
考えたら私は
ほとんど赤坂「未経験」。

「未知」の世界である。

「未知」の「未」は

「いまだ~していない」
という意味だろう。

「未」のつく言葉。
ちょっと考えただけで

幸せ未満。

未開の地。

未完の大作。

未決と既決。

未熟年の旅は楽しい。

前代未聞。

前人未到。

未来予想図。

未解決事件。

ジッポーライターは
未使用品に価値あり。


未成年。

未公開株。


などなど、
どんどん出てくる。

私はこの「未」
という字が好きだ。

「未(ひつじ)年」の
生まれでもあるし。

「未」という文字には
これからなにかが
成し遂げられる・・・

という期待が
込められている。

「未収金」のように
宜しくない単語も
なかにはある。

会社に未収金があっては
あまり嬉しくない。

でもそこには
いずれ収金なるようにと
期待がこもっている。

「未練」があって
諦めきれない。

でもいずれちゃんと
落ち着く日が来るものだ。

話が逸れた。

「赤坂」は私にとって
ほとんど「未知」の世界。

赤坂で人気の
四川激辛店を訪ねた。

ほうれん草の大蒜風味。

ブロッコリー。

盛付けも味も新鮮だ。

大した辛くない。
と油断したがここから・・・

特製口水鶏。

激辣。激辛。でもウマい。

辣鶏肉。辣椒花椒。

激麻辣。でもウマい。

箸休めの水ギョーザ。

でもタレが超激辛。ウマい!

水煮牛肉。あ゛~!

どうしてここまで辛くするの!?

ウマいけど。

シメの麻婆豆腐。いや麻辣。

ビリビリしびれて
よくわからない。ウマい!

ウマいから食べらさる。
でも辛い。

胃袋が悲鳴を上げている。

♪♪

おそらくここは
私が知ってるなかで
五本の指に入る激辛店。
- - - - - - - - - - -)^o^( - -

河岸を変えてジンギスカン店へ。

冷ビールで胃腸を鎮めた。

私の赤坂初体験は
「未知との遭遇」。

宿に帰り着いたのは

未明」のことだった。kyokukenzo
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AKASAKA。

2018年04月03日 | 
赤坂へ行きたい。

予てから
そう思っていた。

会が跳ねて
地下鉄を乗り継ぐ。

赤坂駅へ
着くには着いたが

表に出ると
右も左もわからない。

前もってMAPで
調べておいたのに。

その店の前を

何度も行ったり来たり
したようだ。

AKASAKA。

右から読んでも
左から読んでも

AKASAKA。

右も左も

わからなくなる訳だ。kyokukenzo
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東京で。

2018年04月02日 | 中華料理
プレミアムシートで

プレミアム御膳と
プレミアムビール。

機内誌で今年を

占ってみたりする。

やはり運勢は中くらいか。

飛行機はこの辺で

高度を下げる。

今回出張の第一目的は
協会35周年記念式典に
出席することです。

すでに

すごい盛り上がりです。kyokukenzo
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いざ東京へ。

2018年04月01日 | 
娘が握ってくれた
おむすびをほお張り

ストロング系RTDを
チビチビと。

なにせアルコール9%。

バスは道路事情で
1時間遅れて新千歳空港へ。

後輩が開発した
新しい土産を買いこむ。

プレミアムラウンジで
ひと息ついた。

危うく乗り遅れる
ところだった。

2本早い時間の
便にしておいてよかった。

出だし順調。

いざ。いざ東京へ。kyokukenzo
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