古代の史跡を歩く(旧:多摩の史跡を歩く)

川崎麻生区、町田市や、他地域の史跡の記録です。

茅ヶ崎城址(神奈川県横浜市都筑区)

2017-01-15 21:04:43 | 日記
2017.1.15

◼︎茅ヶ崎城址

横浜市営地下鉄 センター南駅から東へ徒歩数分、小高い住宅街の中に、茅ヶ崎城址公園





14世紀末〜15世紀前半に築かれた中世の城郭遺跡


中央部の中郭を中心に、東・西・北の「曲輪」が連なる「連郭式」と呼ばれる城郭跡が、詳しい掲示板とともに整備されている。

北郭











中郭
















東郭






西郭







近くの「大塚・歳勝土遺跡」と同様、よく整備された史跡公園。眺めも良い。トイレ有り。駐車場は無い。

なお、あるガイドブックに、西郭の北側に太平洋戦争時の戦車壕が二基発掘された、とあったが、それらしきものは見当たらなかった。

【★★☆ 遺跡マニア〜一般向き】

(横浜市都筑区茅ヶ崎東2-25)

大森貝塚(東京都品川区・大田区)

2017-01-11 20:41:45 | 日記
2017.1.11

◼︎大森貝塚

大森貝塚は、縄文後期〜晩期(約3500〜2400年前)の遺跡で、貝・魚・動物の骨、土器・石器・人骨などか出土している。明治10年(1877年)、東大の動物学教授として米国から招かれたモース博士が汽車の車中から発見し、同年10月から発掘を開始したとのこと。

①大田区の「大森貝墟碑」

JR京浜東北線 大森駅北口から池上通りを数分歩く。
NTTデータ大森山王ビルの前に、史跡の表示板


ビル前にお墓のような碑があるが、これはレプリカ



地面には古代生物のタイル


ビル手前の小道を入る。



線路のほうに降りて行くと、

遺跡の説明板


線路脇に、昭和5年(1930年)建立の碑




(大田区山王1-3)

②品川区立 大森貝塚遺跡庭園
上記の場所から、池上通りをさらに数分北に進むと、品川区立の大森貝塚遺跡庭園。かなり広い。



1877年(明治10年)に行われた、モース博士による歴史的な貝塚の発掘が偲べる公園として整備されている。

モース博士の像

モース博士の出身地ポートランド市と品川区の姉妹都市提携の記念碑

貝塚跡


貝塚展示ブース

ブース内部に、貝層の剥離標本と、その説明板


史跡学習のための説明板






線路脇に、「大森貝塚」碑
こちらは、昭和4年(1929年)建立。

トイレも縄文風

庭園の南側の入り口



(品川区立大井6-21)

【★★★ 一般向き】

③品川区立 品川歴史館
上記の庭園から北にさらに歩くと、品川歴史館


入場料100円。
1階に、縄文時代から近代までの品川区の歴史資料、2階には、大森貝塚の出土物・モース博士の紹介、著作物などが展示されている。

明治10年10月のモースの発掘地点が上記の①大田区、②品川区のいずれであるかは永年論争になっていたということであるが、1977年に発見された、モースが地主と交わした発掘補償金文書の住所の記述から、②品川区のほうであることが確実視されているということであった。

中庭の庭園

庭園内に、8世紀初頭の「大井鹿島遺跡」の竪穴住居跡(復元)


(品川区大井6-11-1)








小沢城址(神奈川県川崎市多摩区)

2017-01-08 00:40:42 | 日記
2017.1.7

◼︎小沢城址

京王相模原線 京王よみうりランド駅から東へ約500m歩くと、穴澤天神社

東側の鳥居の奥に、名水の湧き水がある

湧き水から階段を登ると、神社の境内


社殿

(東京都稲城市矢野口3292)

境内の南側に、小沢城址への登り口

急な山道を数分登ると、

少し開けた山頂部に到着。

城址の石碑

ベンチなどもあるが、鬱蒼として展望はなく、憩いの場的な雰囲気ではない。



鎌倉時代初期の武将・稲毛三郎重成、およびその子小澤太郎重政の居城址。その後、度々合戦の舞台になったという。

富士登山の碑


(川崎市多摩区菅仙石1)