古代の史跡を歩く(旧:多摩の史跡を歩く)

川崎麻生区、町田市や、他地域の史跡の記録です。

東京都八王子市大塚公園の縄文遺跡(復元)

2014-05-28 20:24:42 | 日記
2013.8.17

昨年(2013年)夏、 八王子市南東部の大塚公園を散歩中に見つけた復元遺跡。
芝生広場の脇にありました。

昭和46年、付近の鉄塔工事中に発掘された、縄文時代中期後半(約4千年前)の敷石住居跡を公園内に移設したものだそうです。
直径約4mの円形部に入口の付いた「柄鏡型」です。


円形部


「柄」の部分


説明板

(八王子市松が谷66)

片平富士塚古墳・片平仲町遺跡・平和台遺跡(神奈川県川崎市麻生区、東京都町田市)

2014-05-24 16:41:31 | 日記
2014.5.24

■片平富士塚古墳

川崎フロンターレの練習場から林の中の道を南に少し歩くと、広大な日本政策投資銀行の鶴川運動場。
2面ある野球場の北面の小山が、片平富士塚古墳だそうです。

グラウンドは同銀行の関係者専用で、古墳の近くには行けませんでした。
未発掘とのことで、年代等は不明。
(町田市能ヶ谷7-30近辺)

〈参考〉
このグラウンドに、リニア中央新幹線の非常口が出来るらしい。
すでに用地はJR東海が取得しているようで、グラウンドは閉鎖され、入口には貼紙が貼ってあった。



2018.1.14撮影。

■平和台遺跡

能ヶ谷平和台第一児童公園の片隅に有りました。





1968年に周辺の宅地造成で発掘された平和台遺跡群の第1遺跡(縄文後期、約4千年前)の敷石住居跡を移設保存したものだそうです。

(町田市能ヶ谷7-25)

■片平仲町遺跡

住宅街の中の片平中町遺跡公園。(遺跡名称は「仲町」ですが、公園名はどういう訳か「中町」)

入り口から80段の階段を登りきると、薄く雑草の繁る標高80mの高台に、縄文時代の遺構が残されていました。

約4千年前の、縄文後期の敷石住居跡だそうです。
少し分かりにくいですが、直径約4mの円形の竪穴部分(写真左)、菱形の入口部分(写真右)が埋め込みブロックで表示されていました。

高台から南西方向に丹沢の大山が見える。

(川崎市麻生区片平3-27)

柿生駅への帰途にあった川崎市立図書館柿生分室に寄ると、東京教育大の和歌森 太郎教授が主導された昭和45年の仲町遺跡発掘の報告書(小冊子)が有り、発掘の様子・出土品が紹介されていました。

神奈川県川崎市 高津区・宮前区の史跡

2014-05-18 09:31:21 | 日記
2014.5.18

梶ケ谷駅から歩く

■西福寺古墳

6世紀後半の円墳。

梶ケ谷第三公園のなかにきれいに保存されていました



【★★★ 一般向き】

高津区梶ヶ谷3-17

■馬絹古墳

馬絹神社の裏手の高台にありました。 低い柵で囲われています。
7世紀後半の円墳

【★★☆ マニア〜一般向き】

( 宮前区馬絹994-10)

■影向寺(ようごうじ)

奈良時代創建の古刹。


太子堂

江戸時代中期に建てられた薬師堂
乳イチョウ

国重文の薬師如来像(平安時代)が納められている収蔵庫。普段は非公開で、正月三が日の他、特定日のみ拝観可のようです。

穴にたまった水が眼病にきくという伝説のあった影向石
奈良時代の三重塔の礎石と考えられているそうです
(川崎市宮前区野川421)


■能満寺

県重文の虚空蔵菩薩像(1390年作)、市重要歴史記念物の聖観音菩薩像(10世紀前半)を所蔵する天台宗の名刹

両像とも非公開だが、先月(2014年4月)、聖観音菩 薩像は12年に1回の特別開帳があったらしい。見落として残念。
(川崎市高津区千年354)

■たちばな古代の丘緑地
(千年(ちとせ)伊勢山台官衙遺跡)
古代の川崎の行政区、橘樹(たちばな)郡の役所跡と推定される遺跡


7世紀後半~9世紀前半の役所の倉庫跡が、宅地開発を逃れて公園の地下に保存されているそうです


【★☆☆ 遺跡マニア向き】

(川崎市高津区千年423)

■子母口富士見台古墳

子母口バス停から少し登ったところにある、住宅街の中の高台の古墳跡

頂上部まで登ることができます。眺め良し
(川崎市高津区子母口富士見台54-43付近)

【★★☆ マニア〜一般向き】

■橘樹神社


(川崎市高津区子母口122)

■子母口貝塚

約8千年前の、縄文時代早期の貝塚跡。橘樹神社の近く、高台の住宅街の少し外れの小さな遺跡公園内にありました。



縄文時代は海の近くだったとは思えない、見晴らしのよい高台

発掘の解説

貝層の標本


【★★☆ マニア〜一般向き】

(高津区子母口54-148)

東京都多摩市和田・百草の遺跡

2014-05-15 19:54:31 | 日記
2014.5.11

多摩市教育委員会発行の「多摩市の文化財案内」の、コース3を歩いてみる。


■庚申塚古墳

6~7世紀の豪族の墓跡
お地蔵さんのいる祠の下が墳丘のようです


(多摩市和田403)

■稲荷塚古墳


原っぱの隅の小山の上に、赤い屋根の祠。7世紀前半の、珍しい八角形墳の跡だそうです。保存のため埋め戻された石室の位置が白いブロックで表示されいました。




(多摩市百草1140)


■資福院跡

稲荷塚古墳と同じ敷地に、資福院跡の標識。江戸時代の黄檗宗の寺院跡だそうです。




■塚原(つかっぱら)古墳

地図で表示されている辺りを散々探しましたが標識が見当たらず。
民家の中にあった盛土、これかな?


(多摩市和田81付近)


■中和田横穴墓群

地図で 表示されている大乗寺の裏山(段々の霊園)に登って探してみるが、それらしき遺跡、標識は無い。お寺の裏から登って見るがやはり無かった。
お寺の裏山から撮影

埋没遺跡のようです

(多摩市和田1505付近)

【★☆☆ 遺跡マニア向き】