古代の史跡を歩く(旧:多摩の史跡を歩く)

川崎麻生区、町田市や、他地域の史跡の記録です。

大丸遺跡・瓦谷戸窯跡(東京都稲城市)

2014-08-31 21:49:15 | 日記
2014.8.31

■大丸(おおまる)遺跡
(説明板のみ)

JR南武線南多摩駅の南側約300mの丘陵にあった遺跡。(多摩ニュータウンNo513遺跡)
遺跡は現在は造成のため存在しないが、遺跡のあった場所の北側の住宅街の中に、説明板があった


中世の山城跡「大丸城跡」、奈良時代の15基の瓦窯跡群など、縄文時代から江戸時代にかけての大規模な複合遺跡だったそうです。
以下、説明板の拡大写真




前回記事の、「寺尾台廃堂跡」の瓦は、ここで焼かれたと考えられているそうです。

表示板の場所は少し分かりにくい。川崎街道から城山道を南に入り、道路の東側のペットクリニックと小児科の間の小道を入った左側にあります


遺跡は、城山通の東側、日帰り温泉のあたりにあったと思われる

城山公園側から撮影


なお、城山通りの西側にある「城山公園」を大丸城跡として紹介しているガイドブックもあったが、こちらは城跡・遺跡とは関係ないようです。公園を一通り歩き回ったが、遺跡らしきものはなかった。

城山公園の案内板

城山公園

遺跡とは関係ないが、城山公園内の里山道の北の突き当たりに、「陸軍用地」と書かれた石標


■瓦谷戸窯跡(見つからず)

奈良時代、武蔵国分寺の瓦を焼いたという「瓦谷戸窯跡」を探す。
稲城市教育委員会の資料にある地図では、南多摩駅から川崎街道を1.5kmほど西に行ったあたりの、街道の北側(多摩市との境界に入る300m程手前)に印がついており、そのあたりを探すが、遺跡らしきもの・表示板は見当たらず。
この窯跡の発掘状況が詳述されている 「稲城市文化財研究紀要No2」(※) を見ると、発掘後、遺跡は保存のため埋め戻されたとのこと。
貴重な遺跡なので、できれば現地に表示板を立ててくれるとありがたいが。
また、窯跡のレプリカや、珍しい馬の線刻画の復元展示が、稲城市郷土資料室( 稲城市平尾1-9-1 ふれんど平尾内)にあります。

(※)城山公園にある稲城市立図書館にありました

寺尾台廃堂跡(復元)(神奈川県川崎市多摩区)

2014-08-24 19:05:45 | 日記
2014.8.24

■菅寺尾台(すげ てらおだい)廃堂跡

小田急線 読売ランド前駅から、見晴らしのよい並木道を登ると、20分程で寺尾台団地内の寺尾台第二公園

公園の一角に、周囲を石積で囲った、直径約9m、高さ約1mの八角形の基壇


説明板

説明文によると、平安時代初期(9世紀前後)の遺跡で、基壇の上に八角形の建物があったと推定されているそうです。

基壇上部の石碑

石碑の説明文
〈左半部〉
「 この遺跡は平安時代初期に建てられた東日本では数少ない八角形の仏堂の跡であることがわかりました。
それは、この場所より13.5mも高い山林中にありましたが、団地造成によって建立当時の位置に保存することができなくなりましたので、ここに基壇を復元し、永く保存いたします
昭和45年3月
川崎市
日本住宅公団

〈右半部〉
(お堂の絵の下に)
栄山寺八角堂(奈良県)
縮尺50分の1
寺尾台八角堂跡は、これとおなじ規模のものと思われます」

(川崎市多摩区寺尾台2-8)

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

なお、発掘された軒丸瓦の文様(剣菱文様蓮華文)から、かつては平安時代初期の遺跡と考えられていたが、稲城市大丸の大丸遺跡(奈良時代)から、この廃堂に供給されたと思われる剣菱文軒丸瓦を焼いた窯跡が発掘されていることから(注)、現時点ではこの廃堂の建立年代は奈良時代(8世紀中頃)と推定されているようです。

(注)稲城市教育委員会発行
文化財ノートNo.25
「大丸遺跡(その二)」
2011.3.4発行による

また、4枚めの写真の説明文によれば、付属の建物がないことから、供養堂のようなものと推定されているとのことだが、最近では武蔵国橘樹郡の郡寺のような公的な建物と推定する説もあるという。

【★☆☆ 遺跡マニア向き】

東京都港区三田の遺跡

2014-08-11 19:12:20 | 日記
2014.8.11

■亀塚

田町駅から聖坂を登り徒歩約10分で亀塚公園

公園内の東側に、直径約30mの塚

案内板

古墳と推定されているが、断定はできていないとのこと。

西側の階段を登ると、平らな頂部

この地に屋敷をもっていた上州沼田城主土岐頼煕が1750年に建てた亀山碑

太田道灌がここに斥候を置いたこと、更級日記に出てくる「竹芝寺」がこの地にあったこと(公園北側の済海寺がその跡地といわれている)、亀塚にまつわる亀石伝説が記されているとのこと。

塚の南西側から

南側の階段

東側から

北側から

塚の頂部から

公園の沿革の解説

公園の全体図
(東京都港区三田4-16-20)

■亀塚稲荷神社

聖坂の途中、亀塚公園近くの祠のような小さな神社。亀塚から出たという亀型の石が祀られているとのこと(注)だがそれらしき形跡・説明なし。

板碑の解説

(港区三田4-14-18)

■三田台公園

亀塚公園から南に少し歩くと三田台公園


近くで発掘された伊皿子貝塚 (縄文時代後期、約4000年前) の大規模な断面保存展示


伊皿子貝塚遺跡で発掘された竪穴住居 (縄文時代後期、約4000年前) の復元模型
一見、茅葺き風に見えるがコンクリート造り

ガラス越しの内部に当時の生活を人形で再現した展示。近づくとセンサーで明かりがつく


ボタンを押すと音声解説が流れる

土偶が掲げる解説板


古墳時代のものと思われる 方形の竪穴住居跡の復元

埴輪が掲げる解説板


(港区三田4-11-28)

【★★☆ マニア〜一般向き】

実際の発掘地はこの公園の南側の、現在はNTTデータ三田ビルがあるところで、遺跡の記念碑があるとのことだが(注)、未見学。
また、三田駅前の港区立図書館の4階の港郷土資料館に、伊皿子貝塚遺跡の発掘物の展示があるとのこと。

(注)港区史跡散歩(学生社刊)による

2018.7.31
◼︎港区立 港郷土資料館

上記の伊皿子貝塚、および区内にある西久保八幡貝塚の断面、発掘物が展示されている。
田町駅近くの、港区三田図書館の4階。