古代の史跡を歩く(旧:多摩の史跡を歩く)

川崎麻生区、町田市や、他地域の史跡の記録です。

東京都国分寺市の史跡

2015-10-22 21:00:09 | 日記
2015.10.10

◼️国分寺薬師堂 木造薬師如来坐像

国分寺薬師堂

本堂奥の中央部に、立派な厨子に収められた平安時代末期の木造。像高約1.9mの寄木造り。国の重要文化財。堂々とした落ち着きのある仏像。毎年10月10日に公開で、今年は土曜日にあたるせいか、かなりの人出。
仏像の写真は、国分寺市のwebサイトに出ている。
説明板

(国分寺市西元町1-13-16)

◼️土師竪穴住居跡

薬師堂のすぐ近くの八幡神社の敷地内に、住居跡


(国分寺市西元町1-13)

◼️東山道武蔵路跡

律令国家の時代に国家が整備した7つの官道のうち、東山道の上野国新田郡(現在の群馬県太田市)から武蔵国に南に延びた支線が「東山道武蔵路」。造営は7世紀後半から末頃と推定されている。道幅は12mもあったとのこと。

武蔵国分寺公園の西側出入口からすぐのところに、道路跡が保存表示され、説明板とともに歴史公園として整備されている。










(国分寺市西元町2-17)

いちど途切れて更に北方に、広い幅の道路跡が約300mにわたり延々と続く。


側溝部が黄色く表示され、当時の道幅がイメージできるようになっている。

説明板





中央線に突き当たるあたりに、道路遺構の再生展示



(国分寺市泉町2丁目)

道路遺構は中央線北側の「恋ヶ窪」地区にもあるらしいが、時間が足りず断念。

付近の案内図


【★★★ 一般向き】






武蔵国分寺跡・国分尼寺跡(東京都国分寺市)

2015-10-20 07:30:31 | 日記
2015.10.10

西国分寺駅から、史跡通りを南に歩く



◼️武蔵台遺跡公園

住宅地の中に、四阿のある小さな公園

付近で発掘された縄文時代中期(4千年前)の柄鏡型敷石住居跡を、発掘時の状態で移設したもの。



(東京都府中市武蔵台2-29)

◼️伝鎌倉街道

公園から武蔵野線の方にいく。線路に沿った車通行止めの道が「伝鎌倉街道」


道の途中に「伝祥応寺跡」


鎌倉時代後期の寺院跡だそうです。

その向かいに「塚」


14~15世紀の、祈祷のための「修法壇跡」だそうです。

◼️武蔵国国分尼寺跡

街道を南に抜けたところに、歴史公園として整備されている「武蔵国分尼寺跡」





中枢部北辺


尼坊跡


幢竿跡


掘立柱建物跡


講堂想定地


金堂跡



幢竿跡




中門跡


古い標柱。大正11年のほうは、「武蔵国国分寺址」になっている。



◼️国分寺市文化財資料展示室

国分尼寺跡から武蔵野線を東に進んだところにある、市立第四中学校の体育館の一角にある小さな資料館。

この中学校の敷地で発掘された瓦・陶器類の他、全国各地の国分寺の瓦のコレクション、銅像観音菩薩立像(複製。実物は後述の武蔵国分寺跡資料館にある)などが展示されている。

(国分寺市西元町3-10-7)

◼️武蔵国国分寺跡

展示室から更に西に向かうと、国分寺跡。



金堂跡



講堂跡




◼️武蔵国分寺跡資料館

国分寺跡で発掘された瓦などの出土品の他、前述の「銅像観音菩薩立像」が展示されている。入場料100円。

この日は観音さまは出張中で、複製が展示されていた。(注)

〈銅像観音菩薩立像〉
国分寺跡の西方の、東山道武蔵道と重なる11世紀後半の道路遺構で発掘されたもの。7世紀後半~8世紀初頭(白鳳時代)の作。像高28.4㎝。素材の銅は日本製と分析されている。

(注)
9月下旬に行った、埼玉県の「さきたま史跡の博物館」の企画展(2015.9.19~11.15)に実物が展示されていた。

(国分寺市西元町1-13-10)

【★★★ 一般向き】

〈参考〉
武蔵国分寺の瓦を焼いていたとされる「瓦尾根窯跡」が、町田市の小山内裏公園の中にある。

〈参考〉
武蔵国分寺の瓦。横浜市歴史博物館。
























蟹ヶ谷古墳群(神奈川県川崎市中原区)

2015-10-19 18:30:49 | 日記
2015.10.18

■蟹ヶ谷古墳群

市バスの「明津」バス停で降り、南に向かって矢上川を渡る。
セブンイレブン蟹ヶ谷北店の右側の脇道を入ると、

「神庭緑地」の表示。

地図板をよく見ると、円墳が3つ表示されている。

川崎市教育委員会のwebサイトによると、6~7世紀の古墳だそうだ。

急な階段を上る。やぶ蚊が多いので注意。

上り切って北側を振り返ると、見晴が良い

登りきったところに、雑木林風の緑地。
間隔を空けて、木の生えた3つの盛り土。
1つ目の盛り土は直径10M弱の円形。円墳らしい。高さ2Mぐらいか。

2番目の盛り土は、細長い。長さ20m、高さ2mぐらい。

川崎市のwebサイトによると、これは前方後円墳らしい。
発掘調査中で立ち入り禁止の表示。

3つ目の盛り土も、1つ目と同じくらいの、直径10M弱の円形。
円墳らしい。高さ2Mぐらい。

現地には、地図板以外に、古墳の案内板は何もない。
緑地の南側の入り口


住所は、
北側入り口近辺:川崎市中原区蟹ヶ谷124

または、南側入り口にある、中原養護学校(川崎市中原区井田3-13-1)を目指したほうが分かりやすいかもしれない。
中原養護学校


【★☆☆ 遺跡マニア向き】


能満寺の仏像(神奈川県川崎市高津区)

2015-10-19 13:00:15 | 日記
2015.10.18

■能満寺 木造虚空蔵菩薩立像・木造聖観世音菩薩立像

能満寺バス停から坂を数分上ると、突き当りに能満寺(天台宗)。


普段は非公開の秘仏が、10/16(金)~18(日)の3日間だけ、特別公開されていた。
寺から歩いて数分のところにある、橘樹官衙遺跡が今年、国の指定史跡となったことの記念とのこと。

江戸時代中期に創建の本堂


内部は撮影不可。
川崎市の教育委員会の方数名、おそらく地元のボランティアの方が数名、本堂内を案内されている。

◎木造虚空蔵菩薩立像

本寺の本尊。住職交代の儀式の際に1日のみ公開されるという秘仏で、神奈川県指定有形文化財。
写真は川崎市教育委員会のウェブサイトに出ている。
南北朝時代の寄木の木造。
胎内の墨書銘から、1390年5月13日、鎌倉の仏師といわれる朝祐の作であるとのこと。
像高1m弱。なで肩で細身、玉眼の顔だちは優美、衣文は流麗。
写真にはないが、円形の光背、足元に像高20cmほどの脇侍(向かって右に不動明王、左に毘沙門天)。
本堂奥の中央部の立派な厨子の中に安置されている。厨子内部は金箔張りで荘厳。
秘仏であるのが惜しい優れた像。

◎木造聖観世音菩薩立像

虚空蔵菩薩の左側の厨子に安置。
写真は川崎市教育委員会のウェブサイトに出ている。
像高約1m強の一木の木造。平安時代中期の造だが、顔面部は後補とのこと。
12年に1回、午年に公開されるが、今回特別公開。川崎市重要歴史記念物。

説明板



(川崎市高津区354)