南宮大社つづき。
では境内南側へ行ってみます。
さっきまでとは景色が一転。
今更ながら、
ここが南宮山の麓だったことを思い出しました。
ついでに先に書いてしまうと、
南宮大社の個人的メインはこっちです♪
金敷金床神社(御祭神: 豐岡姫命、蛭兒命)
社合標には、「金敷金床社」「石船社」の文字。
こちらが、背後に鎮座する石船社。
謂われは分かんないけど、磐座なのかなぁ。
社号標には「石船明神」とあるんで、
対となる垂迹神がいるんだろうけど・・
てことで、神社の方に聞いてみた♪
名称は「いしふねじんじゃ」。
古くからある石で、
鍛造で使用する金床(土台)に似ていることから、
境内にてお祀りしているそうな。
そっか。金敷金床神社とペアなのね。
ネット情報ですが、
ご祭神を鳥之石楠船神とする見方もある模様。
鳥之石楠船神は、伊邪那岐神と伊邪那美神の御子で、
神が乗る船の名称でもあり、
別名を、天鳥船神・天鳥船(あめのとりふね)と言います。
一方、金敷金床神社のご祭神の一柱である蛭兒命は、
同じくナギさんナミさんの御子だけど、
船に乗せられて流されてしまった方。
その船が、鳥之石楠船。(by日本書紀)
また、鳥之石楠船神を
出雲国造の祖と同一視する説もあります。
出雲の国譲り(葦原中国平定)において、
「譲らせようとした側」である天津族の使者が、
建御雷神 & 鳥之石楠船神(=経津主神・稲背脛・天夷鳥命)でした。
この神さんを奉じていたのは、主に製鉄系の天津族です。
古くからある石ということなので、
渡来系の鍛冶製鉄を担う一族が、
ここで、祖神とともに磐座を金床の象徴として祀ってきたのかなぁ。
そういう意味では、
石船社のご祭神はアメノトリフネ神で合ってるような気がする。
これまた仏教的な何かと、手前には注連縄で囲われた木が。
御神木の白玉椿があった場所のようです。
南宮大社は、境内にの至る所に椿の木があり、
別名「椿大社」とも言われるのだとか。
参拝したのは8月なので椿を見ることは叶いませんでしたが、
椿の森なんてのもあるんですよ。すごい。
椿、きれいよね♪ そしてかわいい。
白は特に優美さが際立っていると感じます。
瓦塚
社殿に使われていた古瓦を集めた塚。
引常明神(常世神)への捧げものとして祀られています。
瓦の供養塔だよね。
他所ではなかなか見ないんじゃないでしょうか。
写真には映せなかったけど、
黒アゲハがいっぱい飛んでてキレイでした。
たまーに境内にお役目を終えた鬼瓦とか破風板とか置いてあって、
それを見つけた時の感動といったら..✩*˚
日頃、それこそカメラのズームで何とか目視できるような
手の届かないところにある社殿の一部だったモノが、
目の前に無造作に置かれてたりするんですもの。
まるで憧れの芸能人に町でバッタリ会えた時のような幸福感。
(知らんけど)
もう可愛いったらない。
こうして供養してもらえて、みんな幸せだね。
何やら意味ありげな空間。
ここは、
かつて神宮寺だった真禅院の境内に移築された三重塔(国)重文)が、
明治初めの神仏分離まで建っていた場所だそうです。
参拝当時は確かなかったはずだけど、
今は、敷地内に三重塔旧址と書かれた石碑も建っているようです。
なので、
このお社のある場所そのものが、三重塔の立ってた場所というわけではなさそう。
なんだか、とても心に残る社でした。
伊勢両宮(御祭神:天照大神、豐受大神)
(※本殿旧鎮座地)
ここもすごいなあ。
背中に電流走ったかんじの、場の強さ。
静粛な気持ちでお参りすべき場所ですね。
東照宮
あちらエリアの建築物は徳川家(家光)の再興ということで、
家康公も祀られております。
ここも、心静かに手を合わせるところと感じました。
荒魂社(御祭神:本社祭神の荒魂)
祀られているのは主祭神の金山彦神の荒御魂なのかな?
とても澄んだ空気で満ちている気がするけど、
なぜ荒魂を祀る必要があったんでしょうかね。
ちょっと気になります。
それにしても、本当に楼門内との差が大きくて、
おなじ神社内なのかと思ってしまうほど。
まさに、あちらは仏さんエリア。
そしてこっちは神さんエリアなんだなぁ。
氏神社舊趾(氏神社旧趾)
氏神社の跡地です。
境内社探訪、まだまだ続きます。