岐阜旅つづき。
目的地、到着です。
朝倉山 真禅院
真禅院は天台宗の寺院で、
かつて南宮大社の神宮寺でした。
寺伝によれば、
739年に行基により創建された宮処寺がその前身とされ、
740年には聖武天皇が訪れています。(by続日本紀)
宮処寺があったのは、現在の国道21号線あたりでしたが、
その後、790年頃に最澄によって南宮社(南宮大社)と宮処寺が習合され、
寺号を南神宮寺に改め、南宮大社の社地に移転。
さらに、
1868年(明治元年)の神仏分離に伴い、
南宮大社から神宮寺が分離移転。
1642再建の三重塔、本地堂などが当地に移築されて、
真禅院と称するようになりました。
この移転・移築というのが大変な作業で、
約4年に渡る地元の人々の奉仕作業により、
実現したのだそう。
朝倉山の切り開き整地作業、
南宮大社境内や、南宮山中腹に建っていた、堂塔の解体・資材搬出、
そして移転先での建築に至るまでの全ての作業を、
村人総出で何往復もして行い、
4年もかけて完成させたとか・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/ed/9c01f910589d46e99fc4968288ded460.jpg)
廃仏毀釈による、容赦ない取り壊しやら宝物売り渡しやらが常だった中、
神社・神宮寺側の明哲さと、村民の信心によって円満に神仏分離が行われたという
数少ない例ですよね。
鐘楼(県重文)
※)明治初年、南宮大社境内から移築・再建。
梵鐘は国の重文で、美濃国最古の鐘といわれ、
奈良~平安時代前期に奈良で制作されたと推定されるもの。
本地堂(国重文)1642年建立。
※)明治初年、南宮大社境内から移築・再建。
参拝時は修復中だったため、こちらの案内看板にて・・。
(大修理事業期間:平成27年12月~平成30年12月)
旧:南宮大社本地堂で、入母屋造瓦葺き、妻入りの仏堂。
観音堂(旧:宝珠院観音堂(高山観音))
※)明治初年、南宮大社境内から移築・再建。
※)明治初年、南宮大社境内から移築・再建。
768年草創。
移築前は南宮山頂付近にあって宝珠院と称し、
南宮大社の奥之院でした。
弁財天堂
※)明治初年、南宮大社境内から移築・再建。
南宮大社と同様、
ヒグラシの鳴き声が響きます。
風も涼しくて、心地よさ倍増。
三重塔(国重文)1642年建立。
※)明治初年、南宮大社境内から移築・再建。
高さ25.38メートルの、美しい塔です。
護摩堂
※)明治初年、南宮大社境内から移築・再建。
釈迦堂
薬師堂
※)明治初年、南宮大社境内から移築・再建。
十王堂
※)明治初年、南宮大社境内から移築・再建。
本地堂、三重塔、観音堂、薬師堂、護摩堂、弁才天堂、十王堂、鐘楼・・・
さっきも書きましたが
ぜんぶ、村人総出で解体・搬出・移築したんですよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/c6/401a5813260d0fbcf92d44517c9a509a.jpg)
これだけの建物群の移転・移築を成し遂げるって、
並大抵の事ではないはずで・・・。
人々の信心と奉仕の心って、本当に尊い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/c8/7b2eb55b97b6e567d9e131caf7da6a4f.jpg)
常々思いますが、
自分がどれだけ全国の神社仏閣が好きでも、
地元の人々の崇敬の念には、到底叶わない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/59/259f95e2139c47ce522f0f03f02b9b93.jpg)
圏外の人間が気にする、
神社との相性がどうだの、庇護してもらえるかだのは、
氏子・檀家と、寺社との結びつきの深さや長さから見れば、
取るに足らないどーでもいいレベルの話。
神仏サイドからすれば、
相性云々なんて気にせず、失礼のないようにお参りしてくれりゃ、
別に誰が来ようと構わないよーってスタンスだと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/7c/b4c5053b4fd45bfaf5e7fe019bf498fb.jpg)
なので、氏神さん以外のところへ参拝する時は、
いくら居心地良かろうが、癒されようが、
あくまで「部外者としてお邪魔させてもらってる」と思って、
そのへんは身の程をわきまえつつ、
楽しませて頂いております。
8月の猛暑日、
ヒグラシの鳴き声と涼風のおかげで、
随分と体が楽になりました。
それでは、最後の目的地へ向かいます。