矢田坐久志玉比古神社ラスト。
楼門をくぐった先には二の鳥居。
一の鳥居から楼門までは習合色の強いお寺っぽい空間でしたが、
楼門の奥は一転して神社の空気に。
拝殿
入母屋・平入りの、舞殿型です。
個人的には切妻・妻入りが最高ですけど、平入りも良いなあ・・。
饒速日命は降臨の際に天磐船から三本の矢を放ち、落ちた場所を宮と定めたといいます。
ゆえに神社は矢落大明神とも言われました。
この光景が大好きです。
拝殿の奥に本殿が見えています。
本殿(国の重文)
室町時代の建立と推定されている春日造の社殿。
本殿とともに鎮座する、末社の八幡神社の社殿(おなじく国の重文)は、
室町時代に創建されたものだそう。
ちなみに、拝殿の手前から先は入れないようになっています。
天磐船石「舟人神」と、二之矢塚の石碑。
饒速日命が放った三本の矢のうち、二の矢が落ちた所と伝わる場所。
なお、一の矢の落ちた場所はここより南は1キロほどの場所で、現在は民家の物置。
三の矢が落ちたとされるのは東明寺だそうです。
注連縄ぐるぐる巻きの天磐船石は、
磐船のかけら、もしくは天磐船が降りたときに地中から盛り上がってきた石とも言われます。
すごいですねー。
現状はいいかんじに縄が朽ちてますけど、
きっと巻いた当初は石が見えなかったんでしょうね。
境内右手にも別の磐座らしき石があったのですが、
これは磐座ではなく、祓戸大神を祀るための岩で、メインは手前の木だそうです。
御朱印を戴きに社務所へ。
あいにく宮司さん不在につき書置きの御朱印だとのこと。ぜんぜんOKでございます。
「どちらからおいでですかー?」と聞かれたので、「名古屋です」と。
すると、「物部関係で?」
鋭い(笑)。尾張は物部系多いですもんね。
あと、こちらの神社は大阪の石切神社からの流れだというお話でした。
もっと色々と伺いたかったのですが、何しろ時間がない。40分程度じゃ無理だ・・。
時間も限られているし、蚊の標的になるしで長居は出来ませんでしたが、
神気漂う本当に素晴らしい神社でした。
あ、願い事があるときは、
拝殿の真ん中、すこし本殿よりの場所に神さんが座っているのをイメージしつつ、
手を合わせると良いかもです。
再びバスに乗って郡山駅に戻り、石上神宮の鎮座する天理市へ向かいます。
郡山駅でちょっと待ち時間があったので、近くのモスでお昼。
ここでもゆずティーいただきました♪
(矢田坐久志玉比古神社の御朱印。日付ナシだったので・・)
(入れときました)
つづく・・。