水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

京都③ 八坂神社-1 <京都府京都市東山区祇園町北側>

2017-11-05 | ├ 京都(ひとり旅)

 

京都つづき。

 

 

 

 

 

 

永観堂から蹴上駅へ戻り、祇園四条駅で下車。

ここからは徒歩で。

 

 

人混みをかき分けるように四条通りを東へ歩いていくと、
社頭が見えてきました。

(あの中高生と中・韓観光客の多さはなんなのーー)

 

 

八坂神社

 

 

西楼門 (重文)

1497年造営

 

 

 

角あり狛さんがお出迎え。

 

 

 

今日はお祭り的な何かだったのかしら。どうりで人いっぱいだわ。

 

 

境内から見た西楼門

 

 

 

手水舎

 

 

 

舞殿

 

 

 

この日は雲がとてもきれいで、
それだけで何だかうれしい。

 

 

そして、神社でいちばん好きな舞殿。

 

 

 

奉納された提灯がいっぱいです。

きれいだなー。

夜は確かライトアップされるんでしたっけ。

 

 

 

それにしても大勢の人。

とても賑やかな境内なのですが、不思議とゴチャゴチャした印象は受けません。
むしろ賑わいの似合う神社というかんじ。

人の多さに負けない強さを持っているような気がします。

 

 

 

舞殿の北側には本殿 (重文)。

 

 

1654年造営で、「祇園造り」と称される建築様式です。

 

 

主祭神:
 [中御座]素戔嗚尊
 [東御座]櫛稲田姫命
 [西御座]八柱御子神(素戔嗚尊の御子神8柱の総称)

 

配祀神:
 [東御座]神大市比売命、佐美良比売命
 [西御座]稲田宮主須賀之八耳神

 

 

本来、かなり習合色が強い神社であるため
明治時代の神仏判然令前の主祭神は以下の3柱。

牛頭天王(素戔嗚尊と習合)、八王子 (牛頭天王の8人の王子)、
頗梨采女 (牛頭天王の后神で、櫛稲田姫命と同一視)。

 

 

「牛頭天王」は行疫神(疫病神)とされた外来神で、
のちに、同じく行疫神とされたスサノオと習合しました。

本地垂迹の考えの下、
スサノオの本地(実の姿)であり、
薬師如来の垂迹(仮の姿)とされたのです。

 

 

この牛頭天王が祇園精舎の守護神とされていたため、
八坂神社は、明治までは「祇園社」と称していました。

今でも、祇園さんの名で親しまれていますよね。

 

 

 

ちなみに、
“日本三大祭り”の一つとして有名な八坂神社の「祇園祭」は、
明治までは「祇園御霊会(御霊会)」と呼ばれていました。

御霊信仰については、こちらの記事をご覧ください。)

 

 

 

それから、創祀については、
社伝によると・・と書きたいところですが、
諸説あるようでいまいちハッキリしないかんじ。

 

 

 

さてそろそろ日も傾きかけてきたので、
駆け足で境内をまわります。

 

 

そうそう。

神社にある建築物以外では、
こういった祓所(はらえど)がとても好きです

 

 

 

その2へつづく・・

 

 

 


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