最大10連休というGWも終わり、日常が戻ってきました。
10日も休みがあるとさすがに出勤が億劫にもなりますが、
連休明けの仕事の山を前にすると、そんな気だるさも一瞬で吹き飛びます。
通常モードに戻っていく自分にすこし安堵しつつ、
心はすでに8月のお盆休みへと飛んでいる今日この頃です。
さて、連休中の神社巡りはというと、
どこへ行っても道中からして混雑するので、遠出をやめて近場を選びました。
(基本は平日のんびり旅。)
本記事中の写真は、
その時訪れた岐阜県の谷汲山華厳寺と、両界山横蔵寺です。
新緑の季節なので青葉がそれはそれは美しく、
そこそこ人が多いながらも楽しい一日を過ごしました。
特に華厳寺参詣の後、
時間があったので訪れた横蔵寺では、
一歩境内に足を踏み入れた途端に、
まるで極楽浄土にいるかのような感覚にさえなりました。
あんな美しい光景の中に身を置いたのは、
美濃の洲原神社以来でしょうか。
境内の清らかさや社殿の素晴らしさ、
心地よさ、神々しさなどを感じる機会は多々あれど、
その光景が美しいと心底思うことは稀です。
詳しい参拝記事を上げるのはかなり先になりますが、
横蔵寺は本当に行ってよかったと感じた所でした。
ちなみに、長い連休中に個人で訪れたのは岐阜だけでしたが、
実はもう一ヶ所、前日まで行く気でいた場所がありました。
そこは、近隣県をグーグルマップであれこれ見ていた際に
たまたま見つけた好みのお寺で、
絶対に行きたいと思える程ではなかったものの、
木々に囲まれた山腹の、そこそこロケーションも良さげな場所でした。
画像からはあまり明るさを感じなかったけれど、
せっかくの休みだし、明日にでも行ってみるかなー程度の動機で、
旅程も決めて用意もして、眠りに就こうと目を閉じました。
すると、目を瞑ってから数秒後、
木々の合間を縫ってこちらに迫ってくる黒い骸骨の姿が、
唐突に前方に広がりました。
黒色の体をしているというよりは、
ブラックホールのような暗い闇がガイコツの姿を形造っている。
そんな感じ。
それが笑いながら、頭を左右にゆらゆら揺らして
こっちに向かって飛んでくるんですよねー。
イヤーン。
恐怖までは感じないけど、
暗く淀んでいて、ヤな感じ全開な奴。
いつもならワクワクしてなかなか寝られない私
(←遠足の前は嬉しくて寝つけないタイプ)が、
一向に気分が上がって来ないどころか、
そんなイメージが頭に浮かんでくるなんて滅多にない。
ああこれは行かないほうが良い所なんだなと直感的に思い、
出掛けるのを即中止しました。
その山全体が良くないのか、
お寺自体の問題なのかはその時は分からなかったけど、
やっぱり、まぁいっか~的に適当に選んじゃダメよね。
行き当たりばったりでも、
とても惹かれる何かがあれば結果オーライなのだけど、
特にピンと来ない場合はやめといたほうが無難。
そういえば、今迄にもそんな感じでダメだと感じたことが数回あったっけ。
・名古屋市南区の某神社
(別の神社に行った時にたまたま見つけて、
イヤな感じを受けながらも境内へ入ってみたが、
昼なのに狛犬から先の光景が真っ黒に見えて、
途中で引き返した)
・愛知県江南市の某神社
(通りがかりにあった神社で、奥行きが狭いため
道路からすぐ本殿が見えたが、
速攻で見なかったことにした)
・三重県伊勢市の某神社
(不気味さを感じつつも参道を進んでみたが、
社殿前でやっぱムリと思い写真も全削除した)
・奈良県桜井市の某神社
(手前にあった池は良かったけれど、
池の半ばから先は異質な空間が広がっているのが分かったので、
途中まで行って引き返した)
・・こんな感じで、
アカンだろうなーと感じつつも参詣を強行(笑)しようと試みてるケースもありますが、
共通するのは「惹かれない」ということ。
「イヤな感じがする」所は勿論のこと、
「惹かれない」所も、同様にやめたほうがいい。
偶然見つけた神社でも、自分が「惹かれた」所は大丈夫だったので、
良いか悪いか判断がつきにくい場合は、
「行ってみようかな」と思えるかどうかが基準になる。
「まぁ行ってみるかな.... (´-ω-`)」じゃなくて、
「行ってみようかなっ(・∀・)」となる所にする。
そこは基本です。
ちなみに、上記4ヶ所以外の、
これまで参拝した社寺(ブログに載せた所)は全て、
私にとって何も問題の無い素晴らしい場所ばかりでした。
ただ、そこはもちろん人によると思うので、
神さんのタイプや神社自体の歴史、土地にまつわる因縁、
さらに細かく言えば時間帯なども含め、
霊的なことに敏感な人から見れば、グレーな場所もあったかもしれませんね。
私はそのへん気にならないというか、霊は見ようとしなければ見なくて済むし、
本当にヤバければ上記のように赤信号が灯るから、
そうで無い限りは影響が無いので平気です。
そんな、多少のあれこれは気にしない私でも、
今回のように“どーしてもムリ”っていう場所が稀にある。
回避できるかどうかは自分の直感にかかってますが、
神社との相性やら参拝の可否やらを気にされる方の場合、
まずは「惹かれるかどうか」を最低限の基準にすると良いかなと思います。
聖地に限らず、どんな場面でもどんな場所でも、
直感を大切にすることが重要。
自分を突き動かすものがある場合を除き、迷った時はやめる。
今回のゆらゆら骸骨の一件で、改めてそう思いました。
実はこのガイコツ話には続きがあって、
後でネットでその場所のことをじっくり調べてみたところ、
地域では有名な心霊スポットでした (゜Д゜)
なんだよそれーー
知ってたら別の所で探したのに・・
で、ガイコツが出てきたせいで翌日そこへ行くのを取り止めて、
翌々日に予定していた岐阜行きを前倒しで敢行することに・・。
でも結果的にこれが大正解だったんです。
華厳寺 → 横蔵寺 → 揖斐駅 とバスで移動したのですが、
揖斐駅へ行くバスに乗った際に、
「このバス、明日は臨時で運休なんですよ~」と
運転手さんに言われました。
何でも、次の日は揖斐祭りの道路規制があって、
華厳寺~横蔵寺、横蔵寺~揖斐駅 の路線が運休となるそうで、
「もし横蔵寺に来るなら、華厳寺からバスで谷汲駅へ戻って、
そこから揖斐駅行きのバスに乗り換えないと無理」とのこと。
時間的な事を考えると乗り換えるヒマはないし、
かと言ってタクシー使ってまで来ることはしなかったと思う。
なので、もし予定通り翌々日に岐阜を訪れていたら、
ほぼ確実にここへは来なかったでしょう。
前日に黒ガイコツが出て来なかったら、
私はこの美しい光景を見ないまま帰ってた。
やはり直感は大事ですね。
黒ガイコツのせいで行く気が萎えて、
同時に予定していた別の社寺を参拝する機会まで逸したけれど、
おかげで岐阜旅を順調に終えることができた。
目の前にある良くないものを本能的に避けた結果、
その先にあった更なる不運を回避できたわけで、
そう思うと、あの不気味なガイコツに感謝の気持ちすら湧いてくる。
今後は、
自分が惹かれるものに向かって進むだけじゃなく、
本能レベルで発する信号には素直に従おうと思う。
求めるだけではだめで、
出直すこと、止まって考え直すことも大事。
たとえその時は不本意でも、痛みを伴うことでも、
長い目で見たら正解だったってこともある。
今日の不運は、明日の幸運のきっかけかもしれない。
平成から令和にかけてのながーい連休の中で、
改めて思い、そして認識を新たにした、
小さな出来事でした。