熊野速玉大社ラスト。
神門の脇に大きな木がありました。
御神木のオガタマの木です。(市の天然記念物)
樹高21メートル、幹周り1メートル65センチ。
オガタマの木はモクレン科の常緑高木で、古くから神木として境内に植えられていたそう。
その名は、この木を神殿に供えて神の霊を招く習わしの、
「招霊(おぎたま)」に由来するのだとか。
根っこも面白い事になってました。
神門入って右手には二つの社殿。
左・第十五殿「新宮神社」
右・第十六殿「熊野恵比寿神社」
新宮神社は、明治時代に新宮町内の末社を合祀してできた神社だそうです。
屋根の上の愛嬌あるお顔は、鬼だよね?
和むわーーー
新宮神社の鳥居と違い、熊野恵比寿神社の鳥居は鮮やかな朱色。
・・というより、
新宮神社の神明鳥居のほうが、ここでは異質というべきか。
そばには勢いのある木がありました。
木はいいねぇ・・。
熊野御幸の碑
907年~1303年までの396年間に、
上皇、女院、親王あわせて23方、140回に及ぶ皇室の御参拝があり、
これを熊野御幸といいます。
京都から、住吉、和泉、紀伊半島沿岸沿いに南下し、
田辺、中辺路、本宮、熊野川を下って速玉大社へ参拝。
そして那智山、雲取、本宮、往路を逆行して帰京されるまでの、
およそ二十数日間に及ぶ道程だったといいます。
想像するだけで大変だー・・。
それだけにたどり着いた時の感動も大きかったことでしょう。
那智ほどではないけれど、やはり習合色の濃い神社ですね。
でも、とても心が落ち着きます。
思えば、一年前に戸隠で感じた神仏習合への戸惑いは、
諸所の神社を巡るごとに消えていき、
習合への拒絶反応もかなり薄らいだ気がします。
それどころか、
神仏習合色の濃いものに、実は惹かれていたのでは?
という事実に気付いて、熊野三山詣でそれを再認識。
習合というものに対する否定的な感情はあっても、
その遺物には心惹かれている自分がいる・・という、
相反する感覚を、どう理解したらいいものやら・・。
まぁでも考えてみたら、
インカやマヤといった中南米の遺跡や、
エジプト、ギリシャ、中近東あたりが大好きな自分が、
その文明の宗教面まで受容しているのかといえば、そうでもないしねぇ。
理解し受け入れることと、好きになることは別だと考えればいっか。
ただ、神社めぐりする以上は、
この仏教との融合がずーっとついて回ることになるから、
もう一度、改めて神仏習合についておさらいしてみる必要があるよね。
って思って改めて調べていたところ、
私のモヤモヤが氷解する記事に出会えて、
バラバラだった知識の欠片が、すっきりと整理されてひとつの形になりました。
習合とは何だったのか、歴史と宗教の成り立ちをどう考えればよいのか、
その記事は今まで読んだどの文献や資料よりも分かりやすく、
かつ納得のできる内容でした。
感謝します。
日本の神々と仏たちの正体 - 5. 「神仏習合」とは何か
[神々の故郷とその神話・伝承を求めて] 岐阜大学・名誉教授 小澤克彦様
(↑ド素人の私なんぞが引用するのもおこがましいので、
許可をいただいた上で、文中にて紹介させていただきました。)
(熊野速玉大社 御朱印)
(神倉神社の御朱印は速玉大社で頂くことができます。
まだ参拝してなかったけど、「境内に神倉宮もあるから」と言われたので、
書いていただきました。)
では再び新宮駅まで戻り、那智大社目指してJRでさらに南下します。
つづく・・。