水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

熊野速玉大社-3

2016-05-30 | ├ 和歌山(ひとり旅)

 

熊野速玉大社ラスト。

 

 

 

 

 

神門の脇に大きな木がありました。

 

 

御神木のオガタマの木です。(市の天然記念物)

 

 

樹高21メートル、幹周り1メートル65センチ。

オガタマの木はモクレン科の常緑高木で、古くから神木として境内に植えられていたそう。

その名は、この木を神殿に供えて神の霊を招く習わしの、
「招霊(おぎたま)」に由来するのだとか。

 

 

根っこも面白い事になってました。

 

 

神門入って右手には二つの社殿。

 

 

左・第十五殿新宮神社

右・第十六殿熊野恵比寿神社

 

 

新宮神社は、明治時代に新宮町内の末社を合祀してできた神社だそうです。

 

 

 

屋根の上の愛嬌あるお顔は、鬼だよね?

和むわーーー

 

 

新宮神社の鳥居と違い、熊野恵比寿神社の鳥居は鮮やかな朱色。

・・というより、
新宮神社の神明鳥居のほうが、ここでは異質というべきか。

 

 

 

そばには勢いのある木がありました。

木はいいねぇ・・。

 

 

 

 

熊野御幸の碑

 

 

907年~1303年までの396年間に、
上皇、女院、親王あわせて23方、140回に及ぶ皇室の御参拝があり、
これを熊野御幸といいます。

 

 

京都から、住吉、和泉、紀伊半島沿岸沿いに南下し、
田辺、中辺路、本宮、熊野川を下って速玉大社へ参拝。

そして那智山、雲取、本宮、往路を逆行して帰京されるまでの、
およそ二十数日間に及ぶ道程だったといいます。

想像するだけで大変だー・・。

それだけにたどり着いた時の感動も大きかったことでしょう。

 

 

 

那智ほどではないけれど、やはり習合色の濃い神社ですね。

でも、とても心が落ち着きます。

 

 

思えば、一年前に戸隠で感じた神仏習合への戸惑いは、
諸所の神社を巡るごとに消えていき、
習合への拒絶反応もかなり薄らいだ気がします。

 

 

それどころか、
神仏習合色の濃いものに、実は惹かれていたのでは?
という事実に気付いて、熊野三山詣でそれを再認識。

 

 

習合というものに対する否定的な感情はあっても、
その遺物には心惹かれている自分がいる・・という、
相反する感覚を、どう理解したらいいものやら・・。

まぁでも考えてみたら、
インカやマヤといった中南米の遺跡や、
エジプト、ギリシャ、中近東あたりが大好きな自分が、
その文明の宗教面まで受容しているのかといえば、そうでもないしねぇ。

理解し受け入れることと、好きになることは別だと考えればいっか。

 

 

ただ、神社めぐりする以上は、
この仏教との融合がずーっとついて回ることになるから、
もう一度、改めて神仏習合についておさらいしてみる必要があるよね。

って思って改めて調べていたところ、
私のモヤモヤが氷解する記事に出会えて、
バラバラだった知識の欠片が、すっきりと整理されてひとつの形になりました。

習合とは何だったのか、歴史と宗教の成り立ちをどう考えればよいのか、
その記事は今まで読んだどの文献や資料よりも分かりやすく、
かつ納得のできる内容でした。

感謝します。

 

日本の神々と仏たちの正体 - 5. 「神仏習合」とは何か
[神々の故郷とその神話・伝承を求めて] 岐阜大学・名誉教授 小澤克彦様

 

ド素人の私なんぞが引用するのもおこがましいので、
許可をいただいた上で、文中にて紹介させていただきました。)

 

 


(熊野速玉大社 御朱印)
 


(神倉神社の御朱印は速玉大社で頂くことができます。
まだ参拝してなかったけど、「境内に神倉宮もあるから」と言われたので、
書いていただきました。)

 

 

では再び新宮駅まで戻り、那智大社目指してJRでさらに南下します。

 

 

つづく・・。

 

 

 

 

 

 

 

 


この記事についてブログを書く
« 熊野速玉大社-2 | トップ | 大神神社の注連縄の意味 »
最新の画像もっと見る