名古屋市内つづき。
つづいて式内社高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)へ。
神社社頭。
西の鳥居からお邪魔します。
境内に足を踏み入れると、清々しい空気。
あぁよい神社だなあ、と全身で感じます。
と思ったら、入っていきなりのお稲荷さん。
あ、でもここはイヤな感じがしない・・。(*・∀・)
稲荷社(御祭神:宇迦之御魂神)
稲荷社がどうも苦手で、どこの神社にいっても境内の稲荷社は寄らないし写真も撮らない。
なので、いつもなら素通りですが、ここは平気っぽい。
もしかして仏教系稲荷が苦手で、
神道系稲荷ならいいのかな。(だから豊川稲荷は合わなかったのかも。)
本来の稲荷神である宇迦之御魂神(=御食津神=稲の神)は平気で、
習合色の強い神社のお稲荷さんがダメとか?
でもその神社がどうなのかは一見してもわからないし、
過去に唯一大丈夫だった春日井市の松原神社 もしかり・・。
ダキニ天の関係が駄目なのか、それともお稲荷さん全体が駄目なのか、理由はよくわからない。
わかんないから、今までどおり“感覚”ってことで。
意を決して鳥居の中へ・・。
あ、大丈夫。
平気だ。(・∀・)
苦手なおキツネさんも、社殿の中にちっこいのが居るだけなので問題なしでした。
ただ、松原神社の時もそうだったけど、
この延々とつづく鳥居の中に入ると、一瞬クラっとする。
鳥居の連続で平衡感覚がおかしくなって目が回るんだろうな~。
車酔いもするし、きっと三半規管が弱いのね。
拝殿
主祭神 高倉下命(たかくらじのみこと)
高蔵(たかくら)って地名はここから来たのか。
って、生まれてこの方名古屋住まいのくせに、今ごろ知りましたよ。
地下鉄の駅名(西高蔵)にもなってるってのに。
神社に興味もってなかったら永遠に知らなかったとおもう・・
現在の本殿は、旧本殿に準じて復興されたもので、
昭和38年(1963)に竣工したものです。
いつも必ず社殿の背面までぐるっと周りますが、
珍しく 「後ろも回ってみてね(・∀・)」 みたいな事が書いてあったので、さっそく一周。
「高座さん起きてちょ。頼み聞いてちょ。」
何だかわからんが、これがこちらの作法なのですねっ(・ω・)
やりましたよ。
たかくらさん。
「~してちょ」なんてコテコテな名古屋弁は、もはや60代以上ぐらいしか使いませんが、
十二分に楽しませて頂きました。
こうやって神社に親しみを持つことが出来るというのは、とても良いことだと思います。
末社
鉾取社(御祭神:鉾取神)
新宮社(御祭神:素盞嗚尊)
御井社(御祭神:御井神)
奥に鎮座しているのが御井社。
手前は「井戸のぞき」の井戸です。
子供がのぞくと、癇癪の虫封じの御利益があるとされています。
さて、参詣当初からずっと気になっていたのが、社務所前で何やら作っている男性。
私服で首にタオル巻きのその男性は、
このクソ暑い中、照り付ける日差しの下で黙々と作業されていました。
御朱印を頂こうにも社務所内に神主さんのお姿が見えなかったので、
男性にお尋ねしてみると、何のことはない。 その方が宮司さんだった(笑)。
いやぁ・・ご苦労さまです。
腰に来ませんか?と聞くと、「もう来とる。(笑)」と笑ってらっしゃいました。
御朱印を頂くと
「どちらから見えたのー?」と神主さん。
境内のあれこれを色々とお話して下さいました。
この御神木にいらっしゃるのは白蛇さんだそうです。
樹齢は500~600年ほど。
そしてこちらは黒龍さん。
樹齢は700年ほど。
「この龍神さまはお力がとても強いんだよー。木に触れてたくさんパワーもらってね。」 とのことで、
お言葉に甘えてナデナデしてきました。
黒龍さんの背後は、今はさっぱりしてますが以前は雑木林みたいになっていたのだとか。
「前は蚊がまとまって黒いボールみたいになってねー」
と、蚊の大群がわんさかいて、それはそれは凄かったらしい。
去年みたいなエボラとか発生したら参拝者はもちろん近隣に大迷惑がかかってしまうので、
お一人でせっせと刈り取ったんだそうです。
夏の神社めぐりは暑さ&蚊との戦いなので、たいへん助かります。
そして、こちら↓の完成図も見せて下さったので、出来上がりが気になってしょうがない。
ということで・・
後日、再訪(笑)
無事、完成しておりました。
願掛け用の小さな鳥居を据え付けるための輪が、幹にぐるりと巻かれ、
御神木に違和感なく馴染んでいます。
白蛇さんの御神木のほうは、別バージョン。
ちなみに神社の裏手に高蔵公園があるのですが、
ここは「高蔵遺跡」と称し、弥生・古墳~鎌倉時代までの遺構・遺物が確認されている場所です。
5~6世紀にかけて多くの小型方墳が造られ、
6世紀後半には高座結御子神社の周囲に複数の円墳(高蔵古墳群)が築かれました。
神社を取り囲むように7基の円墳があったとされ、
周辺も含めれば15~20基ほどの古墳があったらしいですが
ほとんどが開発で失われてしまい、原型を留め現存するものは1基だけ。
(あとは、たぶんそれっぽい・・ってものばかり。)
断夫山古墳などとの関連性も指摘されているそうです。
稲荷社の隣にあり、唯一原型をとどめているとされる3号墳だけでも見てみようと
境内を見回したところ・・
たぶんこれ。
墳径約20メートルらしいので、これにちがいない。
(と確信してあとで宮司さんに伺ったら、正解でした。)
それから、神社の参道脇にある夜寒公園内の隆起が6号墳らしいのですが・・
うーん、これかなぁ???
わからない。
2度にわたってお邪魔した高座さん。
境内を見渡しても、あちこち手をかけてらっしゃるなーという印象で、
とてもきれいな神社でした。
神社愛あふれるフレンドリーな宮司さんにより、この神域は清々しく保たれているようです。
つづく・・。