大阪2022まえおき続き。
星田神社から南東へ10分ほど歩きます。
星田神社境外末社
星田妙見宮(小松神社)
社頭に立った時点で、いい神社だとわかる。
ここも素敵なところだ。
お邪魔します。
きれいに手入れされた明るい境内。
当社が鎮座する枚方市・交野市あたり一帯は、
七夕伝説発祥の地ともされます。
平安時代に「交野ヶ原」と呼ばれ、野鳥が多く生息する広大な原野だったため、
平安貴族の遊猟地として栄えていたそうです。
御神木(親子杉)
実は、現在のこちらの宮司さんは、
星田神社の宮司さんの息子さんなのです。
広大な境内を、息子さんとともに苦労して整備されたのだそう。
すごいなーー・・
こういった場所にある神社仏閣は、
通常もっとワイルド感が溢れているんですが、
こちらは参拝者への気遣いが処々みられ、
お参りし易いように境内が整備されてるなぁと感じました。
石段をのぼります。
途中で現れる絵馬堂。
さらに登ると視界が開けてきます。
拝殿です。
御祭神:天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神
(仏教においては、北辰妙見大菩薩
陰陽道においては、太上神仙鎮宅霊符神)
社伝によれば、
弘仁年間(810~824年)に交野を訪れた弘法大師が、
獅子の窟で秘法を唱えたところ、
天上より七曜の星(北斗七星)が降ってきたといいます。
落下した3地点のうち一つが当地で、
以来ご神体(影向石)となったとされます。
現地では気付かなかったけど、
眼下にさっき参拝した星田神社が見えてたのね。
ココ。
右【鎮宅社】御祭神:太上神仙鎮宅霊符神、須佐之男尊、饒速日尊
左【三宝荒神社】御祭神:三寶大荒神、火産霊大神、土公神
参拝してるとよくあるんですが、
結婚式に遭遇したり、御祈祷や祝詞奏上が始まったり。
島根の美保神社では祝詞や太鼓の音とともに、
巫女さんの舞が始まったんだっけ・・
この日も手を合わせていたら急に祝詞が。
散策を中断し、しばし響き渡る祝詞に聞き入っておりました。
拝殿の奥に鎮座するご神体。
古来より織女石(たなばたいし)と称し奉斎されています。
大きな岩ひとつしか見えませんが、
実はこの奥にもう一つあるそうです。
拝殿前の狛さんは、
出雲や日本海側に多くみられる「かまえ型(出雲型)」です。
頭を低くして尻尾を上げ、
今にも飛びかかろうとするような姿勢が特徴。
島根参拝旅では、
美保神社、真名井神社、六所神社、熊野大社などで見かけたっけなあ。
ちなみに出雲型の狛さんは、
正確には狛犬じゃなくて唐獅子らしい。
十二支羅針盤の中央に、御神紋の北斗八星が。
拝殿前の石段を降りて、奥の境内摂末社へ。
【青龍社】御祭神:青龍大明神
社名に星を冠する神社は、
隕石との関係が伺われる場合も多くあります。(名古屋市の星宮社など)
ここ星田妙見宮も同様で、
日本で二番目に古い隕石落下記録を有するとのこと。
816年7月23日の隕石落下により、
境内の山の大半が吹き飛ばされて馬蹄形となり、
その斜面を利用した石段の上に社殿が建っています。
妙見信仰は、
菩薩信仰(インド発祥)が、中国で北極星・北斗七星信仰(道教)と習合し、
日本へ伝来したものです。
妙見菩薩は、北極星・北斗七星を神格化したもので、
中世には陰陽道の鎮宅霊符神(太上神仙鎮宅七十二霊符を司る神)とも習合。
また、神道の天之御中主神とも習合し、
明治以降は神仏分離政策によって天之御中主神を主祭神に据えました。
【竜王社】御祭神:豊玉龍王、豊正龍王
階段を下り、隕石落下地へ。
【竜神社】御祭神:金色龍王
先述の落下隕石は、
ペルセウス座流星群の母彗星「スイフト・タットル彗星」の欠片と言われています。
落下地点がここ「登龍の滝」。
【登龍の滝】御祭神:不動明王
いにしえの人々にとって、星が落ちてくるなんて事は
それこそ色々な意味で衝撃だったんだろうなー・・。
人と自然が今よりもっと密接に関わっていた時代、
人智を超えた未知のものに対して、
神仏の意志や力を見出すことは当然のこと。
あらゆる事象に意味を持たせ、
自己の存在意義や生きる目的を探求する。
それがヒトという生物の面白いところ。
・・と、はるか古代に想いを馳せつつ、
降星伝説の地をあとにしたのでした。
(あまりに素敵な場所だったんで、
安定の長居で予定1時間押しw)
さて、
星田妙見宮から徒歩25分ほどで私市駅に到着。
前回訪れた時からもう6年半たつのかー。
途中、枚方駅で乗り換えて、
樟葉駅で下車。
そこから住宅街を20分ほど歩くと、
大阪旅ラスト、
二ノ宮神社に到着です。
住宅街に鎮座する静かな神社です。
しんとした神域に、ひっそり佇む社殿。
なんだろなー。とてもあたたかい。
ほんわか柔和な空気が漂っています。
御祭神:健速須佐之男命、奇稲田姫命、大己貴命
社伝によれば創始は342年。
仁徳天皇によって創建されたのち、
用明天皇、桓武天皇、、織田信長、豊臣秀頼など、
多くの人物が信仰し、再建に関わったそうです。
戦国期には二宮牛頭天王社と称され、
明治になり現在の社名に改められました。
実はこちらにお邪魔したのは、
以前、父が参拝した際に頂いた御守りを返納するため。
所謂お礼参りです。
拝殿の前で静かに手を合わせ、
今日一日を振り返る。
旅先の出会いは一期一会。
出会う人、目にする景色、聞こえる音。
その日その時そこへ出向いたからこそ得られた宝物です。
心願成就のお礼と、無事に参拝できた感謝の念を述べながら、
饒速日尊を偲ぶ旅を静かにしめくくりました。
次の大阪旅は、今夏か年末ぐらいかな?
参拝+夜景で、暮れには訪れるつもりなので、
大阪の神さん方その時はまたよろしくお願いいたします!