日吉大社つづき。
さて、前回までは2017年4月の参拝記録だったのですが、
この回だけ、先日の再訪時(2019年11月)の様子を掲載いたします。
じつは先週、ちょうど紅葉の見頃となった延暦寺&日吉大社を訪れまして、
八王子山頂の三宮社と牛尾社を参拝したのです。
(紅葉の様子は、日吉大社記事の後でUP予定)
スタートはこの石段から。
容易に登れそうに見えますが、
段差が膝の高さぐらいまであります。
(御山の神社あるある)
まあ、この先にもっとキツいのが延々続くんでね・・。
それ思ったら序の口です。
ただ、三輪山みたいに杖があるといいのになぁと思いました。
石段はあっという間に終わり。
左を見ると、一応整備された道が続いております。
・・が。
ちょ、なにこの角度。(笑)
まさに45°はあろうかという急傾斜が、
ずーーーーーっと続いております。
え。なにこれマジで??
もしかしてずっとこの角度なの???
とか言いながら登る。
無心で登る。
ひたすら登る。
急斜面では、木々は垂直ではなく少し斜めに向かって伸びるのだと、
改めて思いました。
こうして後ろを振り返ると、緩い坂もありそうに見えるけど、
ここも急な登り坂。
延々とコレ。
よく考えたら、この御山は外観からして急だったわ・・
間違っても、ヒールなんかで来ちゃダメですよ。
果たして何回目の急カーブだろう・・
と、息を切らしつつノンストップでひたすら登っていると、
再び石段!!
あーこれはゴール間近だな。
もちろん、さっきと同様この石段もキツいんだけど、
終点が近いと思うと、心なしか足取りも軽くなります。
振り向くと、眼下に工事現場。
ここまで約20分です。
そして、最後のカーブを過ぎた先に、
会いたかった二社のお姿がっ。
右、摂社 牛尾社(重文) 御祭神:大山咋神荒魂
1669年造営。
左、摂社 三宮社(重文) 御祭神:鴨玉依姫命荒魂
1599年造営。
社殿を背にして見下ろせば、
琵琶湖の眺め、一望。
比叡山からの眺望も素晴らしかったけど、
ここも素敵です。
真ん中あたりに、比叡坂本駅が見えますね。
いずれ奥宮を参拝しなければと思いながら、
いつもこの御山を見上げていたので、
感激もひとしおです。
色んなロケーションがあるけど、
やっぱ山中の神社が個人的にNO1だな。
しかもこちらは、
大好きな懸造(かけづくり)なんで、
もうね、嬉しすぎて言葉にならないのよ。
他の懸造建築物と同じく、
ここも崖の上に建てられているので、
足元はこんな風。
懸造と言ってまず思い出すのは、
京都の清水寺でしょうか。
普通の、平地に立ってる社殿でさえ、足元の柱群に目が行くんで、
こんな光景見たらしばらく離れられません。
よーく見るとこんなだったりね。
ひー。
そもそも岩の上に柱が乗っかってるだけだもんなあ・・・
↑こちらは、参拝中ずーっとまとわりついて離れなかった蝶々(中央)。
ヒラヒラと私の顔の周りを舞ったりして、
ほぼずっと、ついて回っていた。
神社で蝶やトカゲは当たり前のように見かけますが、
こんな人懐っこい蝶々は初めてだ(笑)。かわいすぎ。
そして二つの社殿の真ん中に、大岩がひとつ。
金大巌
神が降臨したとされる、高さ10mの磐座です。
牛尾社の、画面右が拝殿で左が本殿。
拝殿が、後部にある本殿正面縁を取り囲み、
両者は一体となっています。
ぱっと見、一棟の建物に見えるんだけど、
実は二棟なのです。
山頂に古代からの磐座があって、
そこに降臨する神さんを奉るため、
こうして両サイドに社殿が建てられた。
場所が崖の上だろうと、カンケーない。
人の想いというのは、
本当に凄いものです。
こちらの御祭神は、いずれも「荒魂」ですが、
荒魂(あらたま/あらみたま)・和魂(にぎたま/にぎみたま)とは、
神の御魂が持つ2つの側面のこと。
荒魂(荒ぶる魂)は、字のごとく、神さんの『荒々しい性質』を表し、
強さ・怖さといった側面を意味します。
和魂は反対に、平和的で柔和な性質。
人間だれしも持っている二面性が、
神という存在にすら当てはまるという考え方です。
神の荒魂/和魂を祀り、鎮める。
これが、神道の根源にあるもの。
この相反する両面は、一柱の神が内包するには個性が強すぎて、
それぞれが独立し、別の神名が付けられる場合もあります。
(大国主神の幸魂奇魂=大物主神 など)
また、下記のように
分離して別々の宮で祀る様子も多く見られますね。
【荒祭宮】御祭神:天照大御神荒魂(瀬織津姫、八十禍津日神)(伊勢内宮)
【荒羽々気神社】御祭神:大己貴命の荒魂(砥鹿神社)
【一之御前神社】天照大神荒魂(熱田神宮) など・・。
ただし、
一個の神の二面性を分離しただけの場合と、
元々別個の神だった、二柱の神を合体させちゃった場合と、
実情は様々です。
ある地域に侵出した一族が、
そこの地主神を、自分たちの奉じる神の「裏面」として習合し、
荒魂として祀る。
そんな例も山ほどあるのでしょう。
神社巡りをしていると、神社名や神名などで、
『魂』という言葉を目にする機会も多いかと思います。
古来より、日本には『魂鎮め』という概念がありました。
魂鎮め=『鎮魂』ですね。
ただ、
『霊を弔い慰める』という意味で使う現代のそれとは、
少し概念が異なります。
生きているもの全てが「タマ」という霊魂を持ち、
病気や死は、タマの衰弱・遊離により引き起こされる。
ゆえに、タマの活力を補い、遊離しそうなタマを呼び戻せば、
人は元に戻ると考えられました。
よって、
浮遊しそうなタマを鎮め置き(=魂鎮め)、
タマを揺り動かして(=魂振り)活性化し、
復活させる。
(そのようにして死者をも蘇生させるという、
鎮魂祈祷を確立したのが、
軍事・祭祀氏族である物部氏です。)
生死の問題は別として、
タマを「精神」に置き換えれば、
現代にも通じますね。
他に、『国魂』というワードもよく目にするでしょうか。
『国魂』は、令制国や国土そのものを神格化したもので、
古代の人々は、各国土には霊威(国魂)が存在し、
国魂の盛衰は国の興亡を左右したり、
国魂の有無が支配権にも直結すると考えました。
この国魂を神格化したものが、『国魂神』です。
国土を経営し、主宰する神。
国土そのものの神霊。
大国主神の別名に「大国魂神」という名がありますが、
大国主神とは、日本各地の国魂神の集合体(国全体の国魂神)。
あるいは、各地の国魂神を、
大国主という一柱の神にまとめて習合したもの。
やはり、考え方の根底には、
魂の存在があります。
魂≠精神。
雨風といった自然現象から、
山、樹、石に至るまで、
そこにはあらゆる魂、神が存在する。
八百万の神。
その神さんの恩恵も荒ぶる側面も、
蓋をせず、すべて崇敬の対象としてしまう。
神を相手にしていながら、
身近で俗っぽい人間と相対しているような、
そんな日本の神仏感が、私はとても好きです。
(余談ですが、1260年代に生きていた父方先祖の一人に、
『国玉』の名を持つ人物がおりまして、
この人の戒名には『国魂』という文字が見え、
職業はといえば、領主 兼、出雲系神社の神官でした。)
三宮社 本殿
崖ギリギリなんで、いつもの“社殿バックショット”が撮れません(泣。
代わりに足元ショットいっぱい。
どうやって建てるんだろう・・。すごいなあ。
さらに凄いのが、4月に催される山王祭において、
1トンの神輿2基を担ぎながら、ここまで一気に駆け登ってくる氏子さん方です。
あの急斜面を、1時間かけて担ぎ上げ、
また、今度は麓まで一気に担ぎ下ろす。
考えただけで目眩しそう・・
画面中央あたりに、
来る時にくぐった鳥居が見える。
社頭の赤い鳥居もある。
なんて、ファインダー越しに見える光景を愉しみながら、
誰もいない境内でのんびりと過ごしました。
十分すぎるほど充電完了。ようやく下山です。
登りがキツかった分、降りるのはいささか恐怖。
なにしろこの急斜面に加えて、
足元がかなり歩きづらいので・・。
乾いた砂の上にゴロゴロと石がいっぱいで、
これがまぁ、滑る滑る。
工事現場付近で一度尻餅ついて、
工事の人に「だいじょうぶですかーー」と心配されたり(笑)。
その他、転びはしなかったけど、
ズルズルズルっと滑ること数回。
工事車両のつけた轍を選んで歩いたけど、
それでも滑りまくり。
(崖側を歩くとそのまま滑落しそうなんで、
なるべく中央~山肌に沿って歩く。)
奥宮参拝を予定されている皆様、
しっかりした靴で、十分に注意しながら登り降りしてくださいませ。
その8へつづく・・。