それでは、
2018年吉野の桜旅、本編です。
当日は、最高気温25度以上という、
汗ばむ陽気の快晴の一日。
しかも、前置きで書いたように、
「下千本」・「中千本」・「上千本」のすべてが満開という、
これ以上ないほどの絶好のお花見日和でした。
平日にも関わらず大勢の人で賑わっており、
近鉄吉野駅前では、
下千本へ向かうバス停に並ぶ長蛇の列が。(写真右部)
このロープウェイが運休だったため、
吉野駅からは、バスに乗るか「七曲坂」を歩くかの二択なのです。
まぁ歩いてもせいぜい15~20分程度なんで、
バス待ちの長蛇の列に並ぶという選択は最初からナシ。
なので、さっそく徒歩で出発。
七曲坂を歩いて上る人は少ないのかなー?と思いきや、
老いも若きも、ベビーカー担いだパパさんも、
列をなして上ってました。
今回訪れた主な場所。
先述のとおり、これは平地での一般的な速さでの移動時間なので、
実際この倍は必要です。
登りかけてまず最初に見えてくる幣掛神社(しでかけじんじゃ)。
坂の起点あたりに鎮座しています。
修験道の霊峰、大峯山の入り口となる場所に鎮座し、
古くから登山の安全を祈る第一の神社として崇敬されたとのこと。
御祭神:速秋津比売神
境内からは懇々と清水が湧き出て、
如何なる日照りが続いても涸れることが無かったのだとか。
地名である「吉野山字四手掛(しでかけ)」から、
「幣掛神社」の名がついたそうです。
鳥居をくぐって参拝する人は皆無だったので、ゆっくりご挨拶できました。
カーブの続く七曲坂をのぼります。
運休でなければ、画面中央あたり↑をロープウェイで上ることになるんですね。
桜の上の空中散歩ってのも素敵。
桜の舞い散る坂道。
風に吹かれて大量の花びらが降ってきて、
それはそれは美しい光景です。
散る桜に情緒や風情を感じるのって、日本人特有の感覚なのかな。
去年の桜吹雪は、滋賀の日吉大社で見たんだっけと思いながら、
のんびり歩いてました。
(日吉大社、いつになったら記事上げられるんだろう・・(v_v))
もうこのあたりで十分桜を堪能できて大満足なんですけど、
まだまだスタート地点なんですよね。
外国人観光客、特にアジア系の人が多くて、
中にはピンクのウェディングドレスとタキシードの新婚さん?が
撮影してたりとか・・(*゚ロ゚)
モデルさん並に美しい中国の女性も。
みなさん思い思いに桜を楽しんでいるようです。
桜を愛でながらのんびり歩いて、20分弱で七曲坂終了。
ただ上るだけなら多分15分かからないと思います。
こちらは吉野三橋のひとつ、「大橋」です。
現在はコンクリ製ですが、
元弘の乱(1331年)の際に構築されたと伝わります。
そばにあった無料休憩所。
金峯山寺 黒門
金峯山寺の総門。
金峯山とは、吉野山~大峯山に至る一帯を指します。
この黒門は吉野山一帯の総門でもあり、
昔は公家大名であっても槍を伏せ、馬をおりて歩いたと言われます。
吉野と言えば吉野葛ですよねー。
いつも神社目的で公共機関使って日帰り旅をするため、
時間の都合上、食は二の次になることが多く、
ご当地名物にも縁なく終わってしまうことがほとんど・・。
でも今回は、神社&桜とともに、
吉野そのものを楽しむという目的で来たので、
コチラもあとから堪能したいと思います。
銅の鳥居(かねのとりい) 重文
黒門からの急な坂を登りきった場所に立っています。
1348年の兵火により焼失し、室町時代に再建されました。
高さおよそ7.5メートル、柱周囲およそ3.3メートル、
オール銅製の鳥居となっておりまして、
東大寺大仏を鋳造した際に余った銅で造られたと、
伝わっているそうです。
扁額の文字は、「発心門」。
吉野~大峯山(山上ヶ岳)までの修行道には、
悟りまでの四段階を表す4つの門があり、
この鳥居は、そのうちの「発心門」にあたります。
七曲坂の終点付近にある「大橋」から、この「銅の鳥居」まで、
およそ400メートル。
一般的な速さでも、徒歩5分弱といったところでしょうか。
今はこんなに穏やかな光景が広がっていますが、
吉野山一帯は、大塔宮護良親王(後醍醐天皇の皇子)が構えた南朝の総本山、
「吉野城」でもありました。
吉野城は、
金峯山寺蔵王堂を本陣、下千本~奥千本を城郭とする山城で、
先程の大橋の下も、かつての空堀だったりします。
(金峯山寺蔵王堂)
鎌倉時代末期の1330年代、
鎌倉(北条)幕府倒幕を掲げる後醍醐天皇に呼応し、
皇子の大塔宮護良親王は吉野山で挙兵。ここを拠点とします。
幕府軍と護良親王軍との激戦により双方におびただしい数の死傷者を出し、
最終的に吉野城は落城。
護良親王は辛くも吉野を脱出しました。
そんな歴史の一片を思い浮かべながら、
美しい景色と人々の賑わいの中に身を置いていると、
なんだか不思議な気持ちになります。
桜を楽しみながら通り過ぎる大勢の人々のうち、
過去に想いを馳せる人なんて、きっとほんの一握りだろうなあ。
そういう私だって興味が無ければ歴史に触れることもなく、
純粋に楽しく観光していただろうし・・。
ここに積み重なっている時間のいちばん上に、
今こうして自分が立っている。
どこに行ってもどの場所に居ても、
つい、過去の景色や積算された人々の想いにリンクしてしまうのでした。
その②へつづく。