水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

四国ひとり旅-3(前置き)志々島の大楠と久那土神

2023-05-07 | ├ 香川(ひとり旅)

 

四国まとめ続き。

 

 

 

 

四国旅の2日目は、香川県。(旅程詳細はこちら

前日のうちに香川入りし、
今日は一日ずっと香川で行動して、最後に愛媛へと向かう予定です。

 

 

まずは観音寺からJRで詫間駅へ行き、そこからコミュニティバスに乗り10分少々で下車。

 

 

バス停から5分ほど歩けば宮ノ下港です。

 

 

ここから定期船に乗り志々島へ向かいます。

 

 

穏やかな瀬戸内海上をゆく船に揺られること15分少々。

 

 

志々島到着!!

 

 

 

 

私を含め、10名ほどの乗船客が島内へ。

 

 

 

とても静かで穏やかな島。

 

 

降り立った瞬間に、あーここ大好きだっていう感覚。

たまにあります。土地そのものが心身にフィットする感じ。

印象に残っているのは、
愛知の田峯と、奈良の宇陀かなあ。

田峯は傍系先祖の土地だから分かるとして、
奈良は、室生口大野の駅を出た瞬間にただいまって言いたくなったからなー。

 

 

今日はじめて降り立った見知らぬ土地なのに、
自分がここに居ることに何の違和感もないというか、
むしろ居て当然くらいの。
「だってここに実家あるし。」みたいな。

志々島に足を踏み入れた瞬間、
久々にその感覚が蘇りました。

 

 

船着き場付近でのんびり撮っていたら、
いつのまにか10名ほどいた観光客さえ姿が見えなくなりました。

よし、まずは目指す大楠へ。

 

 

詳細地図やガイドはないけど、
大楠への表示板
に従って進めば大丈夫っぽい。

 

 

 

 

先ほどから観光客以外で人の姿を見かけませんが、
それもそのはず。

かつては1,000名ほどいた住人も、
今では20名ほどだそうで、
数多く残る家屋のほとんどが空家。

なので、とても静かなのです。

 

 

 

 

よし。ここまで順調順調♪

 

 

・・と思っていたら、
目の前に突如として現れたのは、3つの祠。

正面に立つ石柱は、横木を通す場所らしきものがあるので、
かつては鳥居だったのでしょうが、
この先、特に大楠への道が続いているようにも見えず・・。

 

 

うーん、まあいいか。

帰りの船の時刻まで2時間40分もあるし、
周囲4キロに満たないこじんまりした島なんで、
ここはのんびり行こう。

 

 

 

木々に囲まれた神域は、
風の音と鳥のさえずりしか聞こえない。

まるで時が止まったかのように静かな神社なのに、
今なお、場の空気は動いているような、
とても賑やかなイメージ。

ここに積み重なった人々の想いと歴史の記憶なんだろうか。

 

 

不思議な心地よさを感じつつ、
大楠を目指して道を引き返しました。

 

 

 

そうそう、たぶんここで方向間違ったんだ。

さっきはこの二又を右へ行っちゃったけど、
正しくはきっと左なんだね。

 

 

と、何の迷いも躊躇もなく別の道を進む私。

 

 

すると・・

 

 

3つの祠、再び。

なんでだww

 

 

周囲の空気に笑われてるというか、
歓迎してくれる感はあるので、良しとしよう。

祠に再度ご挨拶して、さっきの場所へ戻ってみました。

 

 

 

ここまでは合ってるはずなんだけどなー・・。

と思ってふと見ると、
目の前に分かりやすい案内板(亀さん)があるじゃん!

私は二度もこの目立つ亀さんを見逃したってこと?

 

 

自分のおバカ加減には呆れたけど、
もし道を間違えなければあの神社には絶対行っていないんで、
結果的にはラッキー。

 

(クリックで拡大)

↑ あとでグーグルマップで確認したら、
こんな感じでした。

 

 

 

 

 

案内板は結構な頻度で立ってるので、
もう迷うことはないかな。

 

 

 

 

 

 

ここを左へ15分ほど行くと、島の頂上。

 

 

 

このまままっすぐ行けば展望台。

大楠は右の道を下って行くようです。

 

 

 

結構な坂を下って行くと・・

 

 

 

おもむろに大楠の姿が!!!

 

 

うおぉおおー

やっと会えたーーーー

 

 

 

樹齢1,200年の大楠が目の前に。

 

 

感動すると、人って何も言えなくなるのね。

せいぜい、
マジかーーーすっげーーー・・
というお子様レベルの言葉しか出てきません。

 

 

勇壮なその姿を目の前にして立ち尽くす私。

私のカメラじゃ、寄って全景を撮るなんてムリ。

 

 

 

聞こえるのは木々の音と、鳥の声だけ。

 

 

先に書いておくと、
このあと私、ここに約2時間おりました。

 

 

大楠の後、のんびり島内巡りしようと思ってた時間を、
全て使い切りましたよ笑

 

 

その間、女性が一人訪れて15分ほど居ただけで、
あとはずっと私ひとり。

九州から訪れたというこの女性と、少しお話しました。

私もいつか屋久島いってみたいです。

 

 

またどこかでお会いできたらいいですね。

 

 

 

 

本当に、こんなにも幸福感で満たされた濃密な時間は、
二度とないんじゃないかとすら感じました。

 

 

もう、相手は植物じゃない。

人格と感情を兼ね備え、悠然とそこに立ち、
誰であろうと受け入れてくれる。

木だとか植物だとか、
そんなもの超越した生き物、生命体です。

西暦にして800年頃からここに居るわけで、
この平安生まれの大楠さんから見たら、
昭和生まれの私なんぞヒヨッ子そのもの。

 

 

こんなにも圧倒され、また同時に包まれるような安らぎを覚えた経験は、
未だかつてありません。

 

 

これは神の依り代などではなく、
神そのものだ。

 

 

 

今なお、心も身体もこの場所に残っているような気がします。

そういう意味では、私まだ志々島から帰っておりません。

 

 

 

 

 

あっという間に帰りの時間。

そろそろ船が出る時間なので港へ戻ります。

 

 

 

港 ⇔ 大楠はアップダウンが結構あり、
これは鞍馬山並みのキツさだなぁと思いながら、
息を切らして先を急ぐ。

 

 

 

分岐点まで来たところで、
せっかくなので天空の花畑に寄ってみることに。

 

 

 

 

訪れたのは3月初旬なので、まだ一面の緑。

シーズン中は綺麗なのだろうなあ。

これを個人で維持管理されていると言うのだから驚きです。

 

 

眼下に広がる海は最高だし、
次回はここでのんびり過ごすぞー。

 

 

かつては農漁業が栄え、花卉栽培も盛んだった志々島。

『花の島』と呼ばれた当時を偲びながら、
しばし爽やかな風景を楽しみました。

 

 

 

 

あぁぁ帰りたくないーーー。

また来週もこの島に来たい。いっそ住み着きたい。

ねえほんとに帰るの?
島で一泊しちゃおっか?

などとブツブツ自問自答を繰り返しながら、
あとに控える神社たちの事を思い、船着き場へ。

 

 

他にも神社あったし、花畑もヤギさん猫さんも見てないのでね。
これは次回にとっておくことにしよう。

あ、次のプランできました。

来春あたり志々島で一泊して賢見さんに御礼参り♪

ふふふ。

 

 

さて、前述のとおり道を間違えて二度も訪れることになった、
島の名もなき神社ですが、
再トライしてまた目の前に現れたときは、

導かれたのかな。

・・と、ふと思いました。

 

 

参拝していて、神社に呼ばれただのって思うことは滅多に・・
いや今まで一度もないんですが、
この時はほんとうにそう感じました。

場所的には、グーグルマップに書いてある荒神様のことだと思うんだけど、
いくらネットで調べても詳細がわからない。

旅行後もずっとこの神社が気になって頭から離れなかったので、
後日、島の公式サイトをたどり某所にお電話してみたところ、
やはりあれは荒神神社で、
祀られているのは台所の神さんと判明しました。

いわゆる三宝荒神さんですね。

 

 

地元では荒神信仰って滅多に聞かないので、
私も詳しくはないですが、wikiさんによれば
荒神信仰(火神、竈神)に三宝荒神信仰(仏教・修験道)が習合したもので、
西日本・瀬戸内海沿岸地域で盛んなのだとか。

 

 

三宝荒神は不浄や災難を除去する神で、
台所や竈(かまど)が最も清浄な場所であることから、
火神・竈神(くどのかみ)として信仰、祀られる事が多い。

御祭神は、道祖神・奥津彦命/奥津姫命(竈神)・軻遇突智神(火神)のほか、
素戔嗚尊(牛頭天王)など。

 

 

竈神/竈の神(かまどのかみ)は、別称を久那土神ともいい、
その名のとおり台所の神さんです。
火の神であるとともに、農業、家畜、家族を守る守護神。

久那土神(岐神)は私の大好きな神さんで、
猿田彦神とも習合した、
豊穣の神・賽の神・道祖神です。
魔除け、道中安全の神として
道の分岐・峠・村境などに祀られ、
外敵や疫病・災害の侵入を防ぐとされます。

 

 

「くなど」は、「来な処」(来てはならない場所)の意味を有します。

日本書紀では来名戸祖神(くなとのさえのかみ)と称され、
黄泉津平坂で伊邪那美から追われた伊邪那岐が、
〝これ以上来るな〟と言って投げた杖から化生。

古事記においては衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)。

 

 

かまどの神である奥津彦命/姫さんと、
火の神の加具土命さんが御祭神とされるのは分かる。

でも、
クナトさんもその一柱とされるのは
何故なんだろう。

清浄なかまど(台所)を不浄なものから防ぐため、
命の糧を生み火を扱うこの場所を生死の境界とみなし、
境界線を司る神として据えられたのかなぁ。

 

 

火は、命を守り育み、人を死から隔ててくれるもの。
同時に命を奪うものでもある。
竈(台所)という、食に直結する場所にあって、
それはまさに命をつなぐ神聖なもの。

とすれば、あの世とこの世の境であり、
黄泉平坂で生と死を隔てたクナト神が、
境界神として据え置かれても不思議ではない。

 

 

大楠を目指して看板通りに進んだはずが、
目立つ標識を2度も見落とし、
はからずも2度訪れることになった荒神神社。

 

 

志々島を訪れた外部の者である私が、
祓戸神のごとく、外と内を隔てる門番のような神さんに
まず最初にご挨拶することになったのは、
必然だったのかもしれない。