ウツウツ記

毎日の生活で感じたことを書いています。

PLAN75。

2023-05-03 15:27:58 | 映画
本日も快晴。
カラリとした空で、洗濯がよく乾きそうです。
やっと毛布を洗いました。

先日「PLAN75」という映画を見ました。

75歳以上の高齢者が自ら死を選ぶ権利を保障・支援する制度
「プラン75」が施行された社会を描いています。
超高齢化社会になり、自らの死を選ぶことで
国に貢献すべきという風潮が高齢者の中に広がります。
また、この制度を支え実行し、後始末をするのは若い世代であり
時には外国人労働者の手も借ります。
今、この国が抱えている課題を全て目の前に突き付けられたような
そんな映画でした。

75歳。

以前なら、どう感じたでしょうか。
63歳の私にとっては12年後です。
12年。
あっという間の様にも感じるし、そこまで生きられるかな、
という気持ちも少しだけあります。

40代ならば、もっと先のことに感じるだろうし
20代ならば身近な課題として考えられないかもしれません。
75歳まで生きたなら、いいじゃん。
くらいにいしか捉えられないかもしれない。

一番怖かったのは、全てが淡々と・・・淡々と進むことでした。
TVでプラン75のニュースが淡々と流される。
役所に行くと、その手続きが優しく淡々と説明される。
やがて、プラン75が普通の日常になって
気が付くと、プラン65のニュースが流れている。

これは国家で姥捨て山をするということですよね。
一度は75歳で手を打ったけれど
さて65歳でもいいんじゃないか?
とエスカレートしていく姿勢は、高齢者よりも
若者にとって恐怖ではないのかな。。。
だって、国が命の安全を保障しませんよと言うのだから
どうやって生きるの?
生きるって何?
真面目になるほど恐ろしくなって、生きるのがバカらしくなりませんか。
社会が安全を保障しなければ、きっと日常は不安だらけで
犯罪が横行しそうな気がします。
映画の中は、淡々とした日常でしたけれど。

78歳の主人公は失職して、プラン75を申請するのですが。
そこに至るまでには、勿論、色々と努力をしていました。
職を探しても高齢が理由で断られ
かつての同僚を頼ってみても
やはり皆、誰かを背負えるほどの余裕はありません。
私は、このシーンが印象に残りました。
結局、仲間であっても誰かを現実的に支えられる訳はない。
自分でどうにかするしかない。
仲間が幻であったというのではなく、
本当に心が通い合った仲間や友人であっても
やはり、人生を替わってはくれないという意味です。

今現在、超高齢化社会は大きな課題です。
ありとあらゆる事に、高齢化が関わっています。
そして少子化。
歪すぎる人口分布を均すには、プラン75は手っ取り早い解決策でしょう。
私だって、本当の高齢者になって自立できなくなったら
どう感じるかは予測できません。
案外と、いい案だと思うかもしれない。

でもやはり。
人の命に制限を付ける権利は誰にもない。
それを保障しないと、安全な国は成立しないと思います。
高齢者向けのプランと言いながら
実はその他の世代へのプレッシャーが大きすぎる。
私はそう感じました。

本当にどう立ち向かってゆけばよいのでしょうね。
超高齢化社会。
人口の減少。
少子化問題。
不安な世界情勢。エネルギー問題。。。。
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