日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

街が混沌としていた頃!

2008年05月17日 20時11分22秒 | 残日録
昭和も30年にもなると、「最早戦後ではない」なんて言葉も言われるようななったが・・・。しかし、実態は混沌としていた。

中核都市のH市(当時人口は22~3万人。現在は50万人近い)の、大通り付近でも「叩き売り」の店や「立ち食い」、「立ち飲み」が繁盛していた。
もちろん現在は、綺麗なショウウインドウが並ぶ、思い出さえ遮る光景となっている。

近所の「兄ちゃん」が、「叩き売り」の店で啖呵をきっていたので、1日覗いていたことがあった。

「叩き売り」:5坪~6坪程度の店舗で、店は土間。一段高く設けられた台上に品物を出し(1点ごとに)指揮台のような台を樫の棒状の板で叩きながら、啖呵を切って値を下げていった。客から「買った」などの声がかかったところで商談成立となる。通常、初値は付近の店で売っている程度の値段であったが、段々と下げていって、極端な安値になった時に、品物を引っ込めたり、タダ同然まで下げていったり「兄ちゃん」の腕次第であった。

その「兄ちゃん」のその後は・・知らない。
「叩き売り」のような商法は、現在のスーパーの「目玉商品」(仕入れ値を切って売る)などあらゆる方面に受け継がれている。

そんな混沌の中から、「神武景気」や「○○景気」と言われる数度の高度成長ののち、今日の繁栄がある。トヨタだって松下だって、まだ成長途上の子供のような時代であった。
そのような時代を支えた「後期高齢者」達が、置き去りにされようとしている。若い、そんな時代を知らない「厚生省の役人」によってだ。