K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

関東大震災から90年

2013年9月1日(日)晴  防災の日

東京は今日も猛暑日
日が落ちてから室内には涼しい風が入ってくるのでホッと


防災の備えは・・すぐ食べられるものと水は確保と、大きい声では言えない心細い量です

昨日から関東大震災のメカニズムや画像がTVから流れています。え鎌倉や横浜の被害の写真の報道に、過去にこんなに公開されていたのかしら?びっくりしました。また、体験者のお話で99歳の方や100歳を超える方が当時の状況をしっかり伝えていらっしゃるのを聞いて、ご立派だな、と。

今年は関東大震災から90年になります。(1923年大正12年9月1日)
この9月1日が近づくと、タヌキは必ず父親の話をします。毎年父親が当時のことを語っていたとのことです。
タヌキの父親は千葉の九十九里に住んでいました。関東大震災がおこったころには故郷に母親を残して一人上京して本郷の下宿で一高受験の勉強をしていたそうです。震災で下宿も焼け、実家に帰りたくも橋が落ちてしまい千葉には帰れずだったとのことです。そうこうしていると東京から地方への列車の切符の無料配布を受け、上野で乗れる列車に乗ったということです。停車する駅ごとで炊き出しのおにぎりの配給があったので、北へと目的もなく向かったそうです。そして、降りた駅が弘前だったとのことです。どのような経緯かわかりませんが牧師館に身を寄せて、お手伝いをしながら弘前高等学校を卒業したようです。身を寄せたところが牧師館だったので英語はかなり身に付いたとのことです。この様なことで卒業ころには人生観も変わり、東京に戻って、インド哲学に進んだとのことです。
10年ほど前にタヌキと東北旅行をした時に弘前大学によって卒業者の名簿(石に刻まれています)から義父の名前を見つけました。
私の両親は諏訪湖の近くに生まれたので、関東大震災の影響はなかったとのことです。といっても母は関東大震災の年の2月に誕生したのでまだ乳児でした。

さて、タヌキの父親は先の戦争で召集令状を受ける年齢ですが、徴兵検査で目が引っかかったのか戦地は行かなかったそうです。しかし、この戦争で再び人生観に変化があったようです。長いこと禅の研究や修業をしていましたが、富永半次郎先生の著書に出会い、これぞ本物の学問にであったとあらたに学び始めました。その勉強に刺激を受けたタヌキは富永半次郎先生の学んだあとを歩んでいます。月1回先生の著書を読む勉強会をおこなっています。その会は毎月第一日曜日午後です。8月はお休みし、今日が勉強会でした。会場が住まいに近いので私も会場のお手伝いを兼ねて参加しています。
会場近くに毎年かわいらしいお花を咲かせるマンションがあります。去年の7月だったか、勉強会の会員の方がそのお花をながめているところに私が通りかかり「かわいい花ですね。お花の名前を知っていますか?」私もわかりませんでした。今もネットで探してみてもわかりません。



その方はがんで余命あと僅かとなった時に古巣のこの勉強会に戻ってきて、数回参加した方でした。残念なことに去年の夏に亡くなったのでその日の勉強会参加が最後でした。その花が咲くと(故人なのでお名前を書きます)佐々木小太郎さんを思います。


勉強会場と住まいの中間点くらいに桃の木を発見
私の眼はどこについているの?なんで今まで気がつかなかったの?
コンクリとアスファルトの都会では果物の木を見つけるとなんだか幸せ気分になります。




お昼にごぼう・こんにゃく・牛小間・生姜の煮物を作りました。お昼には硬かったごぼうですが、半日ビタクラフト鍋でむらしておいたらやわらかくなりました。すぐれものの鍋です。




もう一つ欲しいなビタクラフト鍋。Amazonストアをながめています。なかなか決断できないお値段です。
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