似顔絵をコツコツと一人で描いていると、先が全く見えなくなることがあります。
サービスとしての似顔絵ならば、相手の喜ばれる絵を提供することに全力を尽くせばよいのかもしれません。
けれど、似顔絵というもの(「こと」かもしれませんが)を突き詰めようとすると、樹海へ入ってしまったような感覚になってしまいます。
+創意工夫が必要なことは分かっていますが、その創意工夫の糸口がつかめません。
「画風模写似顔絵」は、一つの似顔絵のカタマリとしてつかみかけた達成感はあるのですが、次に繋がっていきません。
このままでは、私の似顔絵が一般の方のサンプル、あるいはファンアートになってしまいそうになります。
全てを捨てて描こうとすると、温い線しか引けません。(※ベンシャーンとビアズリーの線を見て)
愚痴を言ってもしかたないのですが、過去の似顔絵を振り返り、一歩でも革新的な似顔絵に近づき、創造したいです。
中学校の先生たちの似顔絵。そう、ボス、ブリューゲルのような群衆を描くのが好きでした。ここですでに、私の似顔絵の限界が見えている感もあります。
フリーハンドでのレタリング。その純粋なアナログ思考が、今は薄れているかもしれません。
これも、群衆。
群衆を描くことに、ヒントがあるのかもしれません。沢山描けということでしょうか・・・おそらく違いますね(^^;
P.S
自分の短い時間軸ではダメかもしれません。モディリアーニのように、あるいは縄文式土器からインスパイアされた岡本太郎のように、原始芸術にヒントがあるのかもしれません。
サービスとしての似顔絵ならば、相手の喜ばれる絵を提供することに全力を尽くせばよいのかもしれません。
けれど、似顔絵というもの(「こと」かもしれませんが)を突き詰めようとすると、樹海へ入ってしまったような感覚になってしまいます。
+創意工夫が必要なことは分かっていますが、その創意工夫の糸口がつかめません。
「画風模写似顔絵」は、一つの似顔絵のカタマリとしてつかみかけた達成感はあるのですが、次に繋がっていきません。
このままでは、私の似顔絵が一般の方のサンプル、あるいはファンアートになってしまいそうになります。
全てを捨てて描こうとすると、温い線しか引けません。(※ベンシャーンとビアズリーの線を見て)
愚痴を言ってもしかたないのですが、過去の似顔絵を振り返り、一歩でも革新的な似顔絵に近づき、創造したいです。
中学校の先生たちの似顔絵。そう、ボス、ブリューゲルのような群衆を描くのが好きでした。ここですでに、私の似顔絵の限界が見えている感もあります。
フリーハンドでのレタリング。その純粋なアナログ思考が、今は薄れているかもしれません。
これも、群衆。
群衆を描くことに、ヒントがあるのかもしれません。沢山描けということでしょうか・・・おそらく違いますね(^^;
P.S
自分の短い時間軸ではダメかもしれません。モディリアーニのように、あるいは縄文式土器からインスパイアされた岡本太郎のように、原始芸術にヒントがあるのかもしれません。