子供の頃に、木製のヒビの入ったバットをプレゼントされたことがあります。
重すぎて素振りすらできない。
なので、空振りするだけで「凄い」と感じて見ています。
「自分のピッティングを」とよく言われますが、自分のピッチングがしづらい構えや打順などがあり、それが相手あっての似顔絵と似ていると感じています。
観ていて面白いと思ったのは、「自分の野球をして失点して交代する」というシーンです。
文化系なら、「失点しないプレーを自分たちの野球にすれば」と考えてしまいがちかもしれませんが、「自分の野球」で負けたときには、ベースボールではなく、「野球」として続いていく、繋がっていったことが、想定の範囲外で驚きました。
私個人の課題として、「自分の似顔絵」というのを持たなすぎて、策として繋がらせない絵を描き過ぎていたと反省しています。
絵は勝ち負けではないと考えていますが、相手のフィールドで勝ち負けの暗黙の了解がある場合には、それを知る術はないので確実に負けです。
けれど負け方として、自分のポートレートで負けたり、自分の似顔絵で負けたりしたいと思っています。それはマナー違反扱いかもしれないですが、ルール違反にならない方法だと考えています。
比喩表現ですが、デッドボールが怖いので、バッティングでは離れて構えたいと思っています。