お絵描き日記~イラストレーター照井正邦

職人、照井正邦の似顔絵、意匠など。画力の向上を目的に練習しています。

自分のバッティング(似顔絵雑記)

2021-08-22 13:39:45 | 雑記

子供の頃に、木製のヒビの入ったバットをプレゼントされたことがあります。
重すぎて素振りすらできない。
なので、空振りするだけで「凄い」と感じて見ています。

「自分のピッティングを」とよく言われますが、自分のピッチングがしづらい構えや打順などがあり、それが相手あっての似顔絵と似ていると感じています。
観ていて面白いと思ったのは、「自分の野球をして失点して交代する」というシーンです。
文化系なら、「失点しないプレーを自分たちの野球にすれば」と考えてしまいがちかもしれませんが、「自分の野球」で負けたときには、ベースボールではなく、「野球」として続いていく、繋がっていったことが、想定の範囲外で驚きました。

私個人の課題として、「自分の似顔絵」というのを持たなすぎて、策として繋がらせない絵を描き過ぎていたと反省しています。
絵は勝ち負けではないと考えていますが、相手のフィールドで勝ち負けの暗黙の了解がある場合には、それを知る術はないので確実に負けです。
けれど負け方として、自分のポートレートで負けたり、自分の似顔絵で負けたりしたいと思っています。それはマナー違反扱いかもしれないですが、ルール違反にならない方法だと考えています。

比喩表現ですが、デッドボールが怖いので、バッティングでは離れて構えたいと思っています。

似てないと言われることの利点(似顔絵雑記)

2021-08-22 06:56:53 | 雑記
滝沢カレン似顔絵イラスト画像

「似ていない」と言われると凹むこともある。
けれど、「似ていない」と言われる機会を受け入れないと、「似ている」と言われる機会も失ってしまう。
あり得ませんが、全ての人に「似ている」と言われるようになってしまったら、もしかしたら、絵ではなく文字でモデル名を書いただけで「似ている」と言われてしまうかもしれない。

似ているか似ていないかを楽しむのが子供や素人であることになってしまうと、それによってはっきりと表出する玄人の似顔絵の輪郭というものは、肖像画になっていく気がします。
万が一そうなったとき、肖像画を描く気のない素人さんの絵が似顔絵になり、似ている似顔絵を描くものが肖像画家になるとするなら、一般の方から見ると、肖像画は似顔絵と呼ばれ、似顔絵は沈下しているように思えてしまうのかもしれない。