異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

辺野古か普天間かを迫る政府にCoccoが反論!「ギロチンか電気イスかじゃない選択肢を」

2015-05-28 17:42:02 | ご案内

LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見http://lite-ra.com/2015/05/post-1138.html

辺野古か普天間かを迫る政府にCoccoが反論!「ギロチンか電気イスかじゃない選択肢を」

2015.05.27
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Coccoの2014年のアルバム『プランC』(ビクターエンタテインメント)

 昨日26日の会見で、またしても菅義偉官房長官が沖縄に“脅し”をかけた。辺野古への基地建設工事の中止を求める翁長雄志・沖縄県知事に対し、それに応じるつもりがないとし、「辺野古移設を断念することは普天間飛行場の固定化を容認することにほかならない」と述べたのだ。

 沖縄が選挙というかたちで出した答えは「基地の県外移設」である。にもかかわらず、いまだ政府は辺野古か普天間の二択を沖縄に迫りつづける。こうしたなか、沖縄出身のミュージシャン・Coccoがこんなコメントを発表した。

「ギロチンか、電気イスか。苦渋の選択を迫られたとしてそれはいずれも“死”だ。辺野古か普天間を問われるから沖縄は揺れ続ける」

 Coccoのこのメッセージは、現在、ポレポレ東中野で先行上映が行われているドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み』(いくさばぬとぅどぅみ)に送られたもの。Coccoは同作品のナレーションを担当しているのだが、コメントは以下のようにつづく。

「口をつぐんでしまった友、デモに参加する友、自衛隊に勤める友、みんな心から沖縄を愛する私の大切な友です。ギロチンか電気イスかではなく根底からの『NO』を誰もが胸に抱いてる。人として当たり前に与えられていいはずの正しいやさしい選択肢が欲しいと私は、そう想うのです」

 正しい、やさしい選択肢が欲しい──。この切実な訴えの、ほんとうのところを、そのじつ「内地」に住む人びとはよくわかっていない。ボーリング調査のための重機が辺野古沖に沈んでゆく映像をニュースでちらっと観ても、そのことが孕む問題がわからない。オスプレイが旋回する空が映し出されても、その音は消されている。ネット上では「基地建設に反対しているのは住民ではなく県外の左翼ばかりだ」と書き込まれ、政府は「沖縄は国防の要だ」と言う。そして「だったら、沖縄にあればいいんじゃない?」と安易に答えを出す……。

 わたしたちはいま、沖縄で何が起こっているのか、“ほんとうの沖縄”を知らない。だが、映画『戦場ぬ止み』は、Coccoの言う「人として当たり前に与えられていいはずの正しくやさしい選択肢」の意味を教えてくれる。

 たとえば、辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前には基地移設に反対する多くの辺野古住民たちや、名護市以外からも県民が集まり、日々、工事車両を阻止しようと行動している。そのなかに、ひとりのおばあがいる。85歳のおばあは杖をつき、ときには沖縄県の警備機動隊たちにもみくちゃにされながら、反対の声をあげている。おだやかな顔をしたおばあは言う。「ダイナマイト腰にでも巻いて、政府の前に行ったほうがいいんじゃないの(と思う)」。

 おばあは沖縄で繰り広げられた地上戦のとき、目の不自由な母親と幼い弟と連れ立って糸満の壕に避難した経験がある。米軍は壕に手榴弾を投げこみ、さらには壕を火炎放射器で焼いた。大やけどを負って瀕死となった母は、助かる見込みが少ないからと野戦病院で毒殺されそうになるが、そこから母を連れて逃げ、若かったおばあが一家の大黒柱になって家族を守ってきた。あの地上戦を沖縄は忘れたのか──その苦しさ、悔しさが、おばあをゲート前に向かわせる。

 ゲート前の反対運動のリーダーは、同じ沖縄県民である機動隊の隊員たちに、こう語りかける。

「我たちはきみたちを敵だと思っていない。きみたち若者を含めて、すべての若者を守りたい。二度と戦場に若者を送らないという想いであるから一生懸命なんだ。沖縄を二度と戦場にさせないという想いがあるから、見てごらん。70、80(歳)になっても、ここに立ち尽くしている」

 じつはこのリーダーは、今年の2月に基地の敷地内であることを示す「黄色い線」を越えたといって、米軍に身柄拘束されている。そのことが報道されると、ネット上には「テロリストは拘束されて当然」「暴力団は取り締まれ」などと彼を罵る書き込みが溢れたが、いったい彼のどこがテロリストで暴力団なのか。まるで過激な闘争が行われているように情報操作したいのか、あるいはほんとうに反対運動が危険なものだと信じているのかもしれないが、実際の様子を見れば、そんなことは言えなくなるはずだ。

 昨年8月、辺野古の海上に工事のための海域囲い込みがはじまった日。反対派は4隻の小さな船と20艘のカヌーで抗議したが、それに対して、防衛局と海上保安庁は80隻以上の船を動員。なんと20ミリの機関砲を装備した大型の艦船まで出している。わざわざ政府は尖閣諸島の海域から巡視船を呼び寄せ、辺野古に結集させたらしい。もちろん、カヌー隊がこれに対抗できるはずもなく、あっけなく制圧されてしまう。この異常な風景には、反対運動が嫌いだという防衛局に雇われた船の漁師さえ、「かわいそうに」とこぼす。

 なかでも住民たちの怒りが頂点に達するのは、翁長知事が当選した3日後から“粛々と”海上工事が再開されたときだ。しかも4日目の朝には、前述したおばあがゲート前で機動隊に引き倒され、救急車で運ばれるという事件が起こる。ゲート前は騒然となり、あまりにむごい機動隊のやり方に集まった人びとは厳しく詰め寄る。だが、そんなときでも、反対派のリーダーは機動隊にこう声をあげた。

「機動隊の隊長は辞表出せ! おまえくらいの体格があれば、我々行動隊の隊長にすぐ抜擢する! 辞表を出して、こっちにこい!」

 この演説には笑い声と拍手が起こり、つづけて「我々の気概を見せよう!」と言ってはじまったのは、機動隊を威嚇したり責め立てる行動ではなく、余興のような空手ふうのパフォーマンスだった。機動隊に対して許せない怒りはある。でも、彼らも同じ沖縄県民だ。この憤りをわかってほしい、わかるはずだと、どこまでも訴えかけるのだ。

 そう。映画に出てくる沖縄の人びとは、どこまでもおおらかでやさしい。反対運動が嫌いだと公言する漁師は、「ケンカばかりしてたらダメなんだよ」と言って、大晦日の夜、辺野古の浜に集まった反対派の人びとのためにおいしそうな刺身盛りをつくる。「これ食べて、来年から基地反対やめろや」と軽口を叩きながら、でも、みんなで一緒に酒を飲み交わし、歌を歌う。

また、辺野古の海にブロックが沈められる様を海上の船から涙を流しながら見つめる女性は、海保の男性に「お兄さんたち、止めて! みんなで肩もみするからよ」と声をかける。「おれは言えないよ」。その返事に、彼らの葛藤が浮かんでくるが、対して女性は、笑顔で「いつも気にかけてくれてありがとう」と礼を述べ、手を振った。──いがみ合ったりなんてしたくない。それが沖縄の願いであるはずだ。

 映画は、美しくゆたかな辺野古の海を映し出す。海底には色とりどりの珊瑚が息づき、ジュゴンは波にゆられながら、碧い海をゆったりと泳ぐ。こうした自然が壊されていく風景を目の当たりにすることは、住民じゃなくても胸が締め付けられるような痛みを感じる。しかも、沖縄は「県外移設」「新基地建設反対」という民意を知事選によって政府に示しているのだ。沖縄で日本政府がやっていること、それを表現する言葉は「理不尽」という三文字以外、見つけられない。

 本作の監督は、以前本サイトでも紹介したことがある『標的の村』の三上智恵氏。彼女は今回の映画について、こう綴っている。

〈辺野古のゲートや海上で彼らに襲いかかってくる権力は、警察、防衛局、海上保安庁にその姿を変え、素手の県民を押さえつけます。でも、いくら押さえつけられても、その口は歌を唄う。怒りの絶頂を瞬時に笑いに変え、気力を盛り返す。撮影しながら、私は確かに地鳴りを聞きました。「島ぐるみ闘争」の震動は、やがて激震となって本土に到達するでしょう〉

 タイトルの「戦場ぬ止み」とは、「辺野古のゲート前に掲げられた琉歌の一説に由来している」という。《今年しむ月や 戦場ぬ止み 沖縄ぬ思い 世界に語ら》。──「今年11月の県知事選挙は、私たちのこの闘いに終止符を打つ時だ! その決意を日本中に、世界中に語ろうじゃないか」。そんな意味が込められている。

 もうすでに沖縄の答えは出ている。いまは「内地」が、「人として当たり前に与えられていいはずの正しいやさしい選択肢」を国に訴えるときがきている。「ギロチンか、電気イスか」なんて選択を沖縄に押し付け、人びとのあいだを分断する、わたしたちはその当事者なのだから。
水井多賀子

 

『戦場ぬ止み』http://ikusaba.com/
6月5日(金)まで東京「ポレポレ東中野」で先行上映中
7月11日(土)より沖縄「桜坂劇場」、7月18日(土)より東京「ポレポレ東中野」、大阪「第七藝術劇場」で本上映開始。以降、全国で順次公開予定(詳しくはHPまで)

 

 


教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために㉑  在日朝鮮人(2)

2015-05-28 17:41:30 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために

在日朝鮮人(2)


1945年の敗戦のおり、在日朝鮮人は「朝鮮戸籍」をもつ「日本人」でした。しかし、この年早くも在日朝鮮人の参政権は奪われます(今も奪われたままです)。1947年の外国人登録令によって在日朝鮮人は外国人と見なされ、その年発布された日本国憲法では日本国籍をもつ人々には認められた基本的人権は在日の人々には保障されず、1951年のサンフランシスコ講和条約締結のさいに朝鮮人、台湾人の「日本国籍」は一方的に奪われてしまいます。指紋押捺制度もこのときから始まります。

そうした経緯により、在日朝鮮人は税金を納めているにもかかわらず、さまざまな社会福祉制度からも除外されることになります。

...

在日朝鮮人たちは日本社会にあって、さまざまな差別や偏見に苦しみ、今にいたるまで厳しく、過酷な生活を強いられてきました。とくに在日一世の人々の労苦は想像を絶するものでした。かつて日本の手によって土地を奪われ、生活を断たれ、あるいは強制連行によって連れて来られた在日一世たちの多くは、戦争中は労働力として酷使され、戦後は帰国の望みも失い、何の補償もないまま日本に残され、排除と切り捨ての対象とされました。

在日朝鮮人に対する日本社会の差別と偏見は今なお存在しています。日本国籍をもたないゆえに仕事や住まいを得られない貧困と苦境に加え、朝鮮名を名乗っただけで冷たい視線にさらされ、人権をおびやかされるといった状況が今もあるのです。

 

そこで生じるのが「帰化」、すなわち日本国籍取得の問題です。差別の壁に苦しめられた在日の親が、子供には同じ苦しみを味わわせたくないとの思いから日本国籍を得るということも起こり得ます。そうすることで日本社会に暮らしやすくなるということはあるかもしれません。

しかし、そこにも大変な苦しみがともないます。多くの苦しみや困難の中で在日の人々を支え続けたのは、朝鮮民族としての誇りでした。彼らは異教の地日本で、かつて植民地支配の時代に同化政策により根こそぎにされた「民族」を大切に守り抜いたのです。懸命になって子孫たちに朝鮮の歴史や言葉を教えたのです。

帰化をするというのは、その意味で朝鮮人であることの根本を揺るがす選択なのです。朝鮮籍を保持し続けることには、当然さまざまな困難やたたかいがともないます。一方帰化の道を選ぶ人々も、自分は朝鮮人でも日本人でもないとの意識に苦しめられることになるのです。

 

この国にあって、故国喪失と自己分裂の苦しみに耐え続けた人々があります。この人々と共に生きること。この人々の隣人となること。この国の人々が平和に生きるために、不可欠の課題です。

 

 


教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑳  在日朝鮮人(1)

2015-05-28 17:41:04 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために
 

在日朝鮮人(1)


1945年8月15日は日本にとっては敗戦の日ですが、朝鮮の人々にとっては36年にも及ぶ植民地支配から解放された記念日【注1】です。その時点で、日本には朝鮮の総人口のおよそ1割にものぼる人々が生活していました。この人々は日本の敗戦を知ると、もちろん歓喜の声をあげました。ようやく祖国に帰ることができる、新しい歴史の歩みを築いていくことができると、希望に胸をふくらませたのです。帰国を望む人は8割を超えました。

...

しかし、日本政府はこの人々が朝鮮に帰国するための便宜をはかろうとしませんでした(ある人々は命がけで、自力で玄界灘を越えていこうとしました)。加えて、変えるべき祖国がどのような状況にあるのかもしだいに伝わってきました。日本の支配からときはなたれたのもつかの間、朝鮮の人々にはあらたな苦難の歴史が待ち受けていたのです。

 

敗戦により日本は朝鮮の統治権を手放しますが、このときすでにアメリカとソビエト連邦とは朝鮮半島を北緯38度線をもって分割統治することを決めていたのです。38度線の南側ではアメリカが軍政をしき、北側もソ連軍によって占領されました。そして南と北のそれぞれが、アメリカとソ連の支配のもとに単独国家の樹立へと向かっていきます【注2】。戦後の冷戦の枠組みの中で、自由な国家をつくるという願いはまたも押しつぶされてしまったのです。そして朝鮮の人々は、愛する祖国を分断されてしまうこととなったのです。

 

日本にいた人々の多くは南朝鮮の出身でしたが、南朝鮮はすでにアメリカの軍事占領下に置かれていました。インフレ、住宅難、食糧難、自然災害といった暗い知らせも入ってきました。さらに、日本政府は彼らの財産の持ち帰りを厳しく制限しました。

そのような事情によって、祖国に帰ったところでそこに生活の基盤を据えることはむずかしいという現実が重くのしかかってきたのです。今も日本で生活している在日朝鮮人の人々は、そうしてやむなく異国に残ることとなった人々と、その子孫たちです。

 

【注1】「光復節」と呼ばれます。

【注2】1948年8月に資本主義国の大韓民国が、翌月には社会主義国の朝鮮民主主義人民共和国が成立します。


【写真】 心を打たれる悲しい光景 「アメリカ戦没将兵の墓地にて」

2015-05-28 02:02:16 | 平和 戦争 自衛隊

 Frank Somerville KTVUさんのFBより転載(引用) 

 
 
 
 
 

アメリカ戦没将兵追悼記念日 2015年5月25日(5月最終月曜日)

戦没将兵追悼記念日

 

 

 

 

 

 

 ーリントン国立墓地

 
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Masa Okumura@mokumura5月25日)より転載

これも心を打つ悲しい光景 戦死した夫の写真を敷物にして、父を知らない、抱かれない、会えない幼児と、墓の前で オバマ、そして次の大統領の大きな使命はこの光景を再度起こさせない事

 


[選挙権年齢を18歳以上に引き下げ]審議の参考人で、自民党がAKB国会招致を断念した本当の理由

2015-05-28 02:01:40 | 政治 選挙 

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http://lite-ra.com/2015/05/post-1140.html

自民党がAKB国会招致を断念した本当の理由 安倍首相と真逆の憲法思想の持ち主だったから?

2015.05.27
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AKB48内山奈月の国会招致が急転、理由は…

(『憲法主義 条文には書かれていない本質』PHP研究所)

 

 

 

 

 現在、自民党が進めている「選挙権年齢の引き下げ」。現在、20歳以上と決められている選挙権年齢を18歳以上に引き下げるというもので、今国会で法案の審議を行い、6月2日に採決される予定だ

 だが、そんななかで妙な話が洩れ伝わってきた。29日には本法案について国会に専門家を呼び、意見を聞く参考人質疑が予定されているが、自民党はその参考人にAKB48のメンバー・内山奈月を選定。しかし、昨日26日に内山の国会招致を断念したというのだ。

 自民党は断念した理由を、本人の都合が合わなかったことと「党幹部から「パフォーマンスと思われかねない」との異論が上がったため」(朝日新聞より)としている。だが、これはほんとうだろうか?

 そもそも「なんでAKBを呼ぶの?」と疑問の方に解説すると、内山は“特技は憲法暗唱”という特異なキャラをもつメンバーで、昨年7月に『憲法主義 条文には書かれていない本質』(PHP研究所)なる本を出版。南野森・九州大学准教授による憲法講義を内山が受ける模様を収めた同書は「わかりやすい憲法入門書」としてヒットを記録したのだ。

 憲法についてよく知る現役大学生のAKBメンバー。このキャッチーさに自民党が飛びついたのは確実で、最初からパフォーマンス目的だったはず。それに、AKB側にとってはメンバーが国会に参考人として呼ばれるのは名誉あることなわけで、第一、政治に接近するのが大好きな秋元康総合プロデューサーが断るはずはない。では、どうして内山の国会招致は立ち消えたのか。

 その答えは、きっと内山自身の本にあるだろう。というのも、前述した『憲法主義』を読めば、内山は安倍首相とは逆をゆく憲法思想の持ち主であることがよくわかるからだ。

 たとえば、集団的自衛権の容認をめぐる憲法第9条1項・2項の解釈問題。安倍首相は強引に解釈改憲を行ったが、こうした解釈改憲について内山は〈解釈改憲が手軽に行えるとしても、それを繰り返すことは非常に危険〉と言及。しかも、内山はこうも述べる。

〈憲法の価値とは、「誰が草案を書いたのか」とか「草案の素晴らしさ」がそれを決めているのではない。(中略)憲法が「その国に根づいているか」、「安定しているか」、「運用されてきたか」ということが、その憲法の価値を定めているのだ〉

 そう、安倍首相が主張する「現行憲法はGHQによる押し付け憲法だ」という主張を内山は否定し、憲法の価値はそこにはないと斬り捨てているのだ。

 また、本の出版後に内山は、あの「しんぶん赤旗」にも登場。ここでも解釈改憲について、「内閣がしていることを国民が知らないということが、一番問題なのではないかと思います」と言い、国民へ満足な説明も行わないまま改憲を押し進める安倍政権の批判ともとれる発言を繰り出している。

 さらにダメ押しは、憲法記念日前の5月1日に出演した『NEWS23』(TBS系)でのコメントだろう。憲法特集に若者のひとりとしてVTR出演した内山は、南野の憲法講義でもっとも興味深かった点は?という質問に、こう答えた。

「いちばん衝撃を受けたのは、日本国憲法は国民が守らなければいけないものではなくて、国家権力が守らなければいけないものだった、ということですね」
「日本国民は日本国憲法に逆に守ってもらっている。国民の権利を守るために日本国憲法があるということを知って、ステキだなって思いました」

 憲法とは、権力者が守るべきものであり、国民が権力者に権力を濫用させないために「憲法を守れ」と命ずるもの。──安倍首相がまったく理解しない、そして憲法改正によって否定しようとしているこの「立憲主義」の精神に、内山は「ステキ」と最大の賛辞を贈っている、というわけだ。

 内山は護憲派・改憲派という立場表明は行っていないが、これだけを読んでも、安倍首相などよりもずっと憲法について重要な知識と理解をもっていることがわかる。若い人に興味をもってもらうためにも、内山を国会に呼ぶのはおもしろい試みだとも思うが、逆にいえば、自民党にとっては内山のこうした主張はおもしろくないはずだ。

 きっと自民党の人間たちは、内山をたんなる“AKBの憲法キャラくらいにしか認識していなかったのだろう。憲法を暗唱できる、かわいらしい慶應大生アイドル。そんなふうにナメてかかっていたら、よくよく調べると自分たちに都合の悪い発言がボロボロと出てきた。そして一気に青ざめて、国会招致を取りやめた。──舞台裏はこんなところだろう。

 この自民党のマヌケさは笑えるが、それにしても内山が国会に呼ばれなかったのは少し残念である。ぜひ、内山には国会で「みなさんは立憲主義を理解していますか?」と投げかけてほしかったものだ。
水井多賀子

 

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