異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

日本国憲法の制定過程(その3) 日本国憲法関連 略年表②

2014-08-27 17:59:02 | シェアー

http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20140508/p1 より転載

日本国憲法の制定過程(その3) 日本国憲法関連 略年表②

 <続き>

1946年 

1月1日 天皇、「人間宣言」。

1月24日 幣原首相がMをペニシリンの礼のため訪問。「天皇維持」と「戦争放棄」を憲法に盛り込むことで合意

 →これが9条の起源である 

1月25日 Mがワシントンへ「天皇擁護」の電報を打つ。

2月1日 毎日新聞松本委員会の改正案をスクープ 

 →その内容は旧憲法本質的な変更のないものだった。 

2月3日 ホイットニー民政局長、M憲法改正三原則天皇元首戦争放棄封建制度廃止)を示して、民政局草案作成を命ず。

2月4日 GHQ民政局 条文化作業を開始

   →2月10日成案。

2月8日 日本政府松本委員会、旧態然たる「憲法改正要綱」をGHQに提出。 

2月13日 ホイットニー民政局長ら、GHQ草案吉田外相松本国務大臣らに手渡す。

2月22日 幣原首相はGHQ草案受け入れを閣議決定する。 

      →GHQ草案の邦訳作業が極秘で進められる。 

2月26日 極東委員会(FEC)が発足した。

     →これは天皇維持論者Mにとっての脅威。

3月4日 政府案をGHQへ提出するも、否定される。

3月5日 GHQ草案の対訳作業を徹夜で完成し、「憲法改正草案要綱」完成。

3月6日 政府は緊急記者会見で「憲法改正草案要綱」発表。

天皇は「憲法改正発議」の勅語を発出。 

4月10日 戦後初の衆議院総選挙。30人を超える女性議員が選ばれる。 

4月17日 「憲法改正草案」発表。

5月3日 極東国際軍事裁判所開廷。

5月16日 第90回帝国議会が開かれる

5月22日 第一次吉田茂内閣成立。

6月20日 「憲法改正案」、帝国議会に提出。 

7月2日 極東委員会憲法国民主権を明示することを求める。 

8月24日 衆議院第9条第2項冒頭に「前項の目的を達するため」という「芦田修正」を含む修正案を可決。

10月7日 貴族院、「文民条項」など4項目修正の上、憲法改正成立。

11月3日 日本国憲法発布。 

1947年

5月3日  日本国憲法施行

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コメント

日本国憲法はわずか9日間で書き上げたのだ」というのが言い古された改憲派の主張であるが、実態はどうだったのか。

 米国日本占領政策には二つの指針があった。一つは、ポツダム宣言であり、もう一つはSWNCC-150「降伏時におけるアメリカの初期対日指針」である。これらは日米開戦直後から用意周到に準備されてきたものを背景としてできあがったものであった。

 日本側はどうか。まず、政府松本委員会が用意した改憲案は旧態然たるものだった。だが、民間憲法研究会憲法草案要綱」はGHQに特に注目・評価された。その内容は、明治自由民権運動憲法研究の成果だった。また、幣原喜重郎首相マッカーサーに対する「戦争放棄」提案が、後の9条となる。さらに、帝国議会憲法改正案を鵜呑みにしたわけではなく、委員会を設けて相当に議論して修正案を加えた上で可決している(こちら参照 http://www.ndl.go.jp/constitution/gaisetsu/04gaisetsu.html)。

 


日本国憲法の制定過程(その3) 日本国憲法関連 略年表①

2014-08-27 17:25:26 | シェアー

http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20140508/p1 より転載

日本国憲法の制定過程(その3) 日本国憲法関連 略年表①Add Starcangael

 (2)日本国憲法関連 略年表

 下の年表をじっくりと読んでいただけば、日本国憲法は下の4つの総合だとわかると思う。

1 開戦直後から米国側の、日本軍国主義から解放することを意図した、用意周到な準備研究

2 鈴木安蔵による、明治期の自由民権運動研究成果(儀礼天皇国民主権人権尊重

3 幣原喜重郎首相による天皇維持と「戦争放棄」提案

4 帝国議会での審議

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1881年明治14年)

 植木枝盛東洋大日本国国憲按」発表。

自由民権運動の中でももっと民主的な憲法案。「憲法研究会憲法改正要綱」に影響。

1928年

8月27日 パリ不戦条約ケロッグブリアン協定)締結。米国はじめ15カ国が国策手段としての戦争放棄を宣言する。日本の全権代表幣原喜重郎

 →幣原の「戦争放棄」はここに胚胎している。

 1941年

 2月7日 太平洋戦争勃発。

 1942年

8月 米国国務省内に「極東班」が設置され、日本全面降伏後の政策について研究を始める。

1944年 

2月 「戦後計画委員会(PWC)」が設置され極東班の研究をより具体化し始める。

1945年

8月14日 ポツダム宣言受諾。 

9月27日 昭和天皇マッカーサー(以降Mと略記)を訪問

10月9日  幣原内閣成立 

10月11日 Mと幣原喜重郎首相面談

         Mは婦人解放など五大改革を幣原首相に指示。 

10月25日 政府憲法問題調査委員会松本委員会)を設置する。 

 →委員長松本烝治は、国体護持を最優先課題とする。 

 →Mが天皇に関する議論も解禁。

12月8日 松本国務相、「憲法改正原則」を表明。

12月26日 憲法研究会憲法草案要綱」(儀礼天皇国民主権人権尊重)発表。

 →おもな起草者は自由民権運動憲法史の研究者鈴木安蔵。GHQ民政局はこれに注目。これがGHQ草案の骨子となる。

 

モスクワでの米英ソ中外相会議極東委員会(FEC)を46年2月26日に創設することを決定。極東委員会天皇制廃止を強く示唆していた。)。

⇒続く


【ガザ】イスラエル・ハマース停戦合意~これはもの悲しい「引き分け」なのか? 

2014-08-27 17:18:23 | シェアー

戦争で残されるのは、いつも悲しみと破壊だ。

https://www.facebook.com/profile.php?id=100008112182457#!/annokazuki?fref=nf

Anno Kazukiさんのフェイスブックより

これはもの悲しい「引き分け」なのか? イスラエル・ハマース停戦合意
                
こういう意見がある。「イスラエルは7週間にわたるガザ攻撃において、いくつかの軍事的成功をおさめたが、勝利は得られず、結果として、もの悲しい引き分けにおわった」
http://www.haaretz.com/news/diplomacy-defense/.premium-1.612650
                
しかし、実際には、26日の夕方に結ばれた停戦合意によって、イスラエルとパレスチナをめぐる政治情勢に大きな変化が起きた。
                
第一に、イスラエル政府が、これまでテロ組織と認定してきたハマースをパレスチナ社会の主要なプレイヤーと認め、間接的ではあれ交渉をつづけ、ハマースが提示した条件をのむかたちで、停戦に合意したこと。
                
イスラエル政府は、アメリカ政府と同じように、テロ組織とは一切交渉しないと主張してきたのだから、これはおどろくべき変化だ。

第二に、イスラエルは、6月のはじめにハマースがファタに全面的に譲歩して成立したパレスチナ統一政府を事実上、承認することになったこと。
                
イスラエルはこの統一政府を安全保障上の脅威と見なし、パレスチナの政治的統一を阻止し、ふたたび分断するために、ガザ攻撃を行った。50日間も攻撃をつづけたのに、最大の戦略目的が果たせなかったことになる。
                
それなら最初から、攻撃などせずに、パレスチナ統一政府を承認し、アメリカと西側諸国に懐柔され堕落しきったアッバス政権を操って、政治的な利益を得たほうがよっぽど賢かった。


絶対的なちからをもつ強者はかならず状況判断を誤る。計算は狂いに狂う。イスラエル政府はアメリカ政府によく似ている。
 
 

【ガザ】イスラエル、無期限の停戦に合意 抵抗を最後まで支持したガザ住民の勝利か

2014-08-27 17:17:24 | シェアー

https://www.facebook.com/profile.php?id=100008112182457#!/annokazuki?fref=nf

Anno Kazuki さんのフェイスブックより

 
イスラエル、無期限の停戦に合意 抵抗を最後まで支持したガザ住民の勝利
                
8月26日火曜、イスラエル政府とハマースをはじめとするパレスチナの各党派はエジプト政府の停戦案に合意した。
                
エジプト外務省が公開した声明文によると、停戦は無期限、イスラエルは即座にガザとの境界検問所を解放して、人道支援物資および建築復興資材の流入を容認することとされた。
             
また、声明文には、イスラエルがガザに運びこまれる物資を検閲する仕組みは規定されていない。
                
合意された停戦の条件はすべてハマースが提示したものであり、イスラエルが提示していた条件(ガザ地区の武装解除・再武装の抑止・トンネル網の破壊など)はひとつもふくまれていない。
                
人道支援とガザ復興のために必要な物資の搬入の他に合意された停戦条件は、ガザの漁業領域を6海里(約11キロメートル)まで拡張することである。
                

これはガザの住民がいのちがけで求めてきた封鎖解除にひとしい。この停戦合意はガザの人びとが勝ち取った。歴史が動いた瞬間だった。
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Netanyahu saw his chance to run away from Gaza, and he took it
All Israel's prime minister wanted in the end - after all the promises, and the rhetoric - was to achieve a cease-fire with Hamas at just about any price.
By Barak Ravid, Aug. 26, 2014, 11:25 PM
http://www.haaretz.com/news/diplomacy-defense/.premium-1.612637
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Israel, Hamas sign open-ended cease-fire deal
By Barak Ravid, Aug. 27, 2014
http://www.haaretz.com/st/inter/Global/dailyedition-en/today/#
                .
#パレスチナ #イスラエル #ガザ
#FreePalestine #SupportGaza #IStandWithGaza #EndIsraeliOccupation #GazaUnderAttack #ICC4Israel
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「実質賃金」前年度比、連続大幅減が続く、さて次月は

2014-08-27 17:04:56 | シェアー

実質賃金は、前年度3.8%減と連続大幅減が続いている。わずかな賃金増も、消費税増税・円安誘導による物価上昇により、実質賃金は大幅減が続いている。さて、次月の結果は?

http://www.excite.co.jp/News/economy_g/20140731/Cobs_016685.html より

物価に賃金追いつけず…6月の「実質賃金」は前年比3.8%減、12カ月連続で低下

2014年7月31日 11時46分(2014年7月31日 13時10分 更新)

 

厚生労働省は31日、2014年6月の毎月勤労統計調査(速報、事務所規模5人以上)を発表した。それによると、所定内給与(1人平均)は前年同月比0.3%増の24万3,019円となり、2年3カ月ぶりに増加した。なお、5月も速報で2年2カ月ぶりに増加したと発表されたが、確報で下方修正されている。

現金給与総額は前年同月比0.4%増の43万7,362円と、4カ月連続の増加。ただし、現金給与総額に物価変動の影響を加味した実質賃金指数は同3.8%減と、12カ月連続で低下した。消費増税が実施された4月以降、下げ幅は2009年12月(同4.3%減)以来の大きさが続いている。

所定外給与は前年同月比1.9%増の1万9,058円と、15カ月連続の増加。所定内給与と所定外給与を合わせた「きまって支給する給与(定期給与)」は同0.4%増の26万2,077円と、4カ月連続の増加。ボーナスなどの「特別に支払われた給与」は同0.3%増の17万5,285円となった。

現金給与総額を就業形態別に見ると、一般労働者は前年同月比0.5%増の57万6,449円、パートタイム労働者は同0.6%増の10万1,512円となった。

総実労働時間(1人平均)は前年同月比0.5%増の149.7時間で、うち、所定内労働時間は同0.4%増の139.1時間、所定外労働時間は同2.9%増の10.6時間。製造業の所定外労働時間は同4.7%増の15.4時間で、季節調整値では前月比3.3%減少した。

常用雇用者数は前年同月比1.5%増。一般労働者は同1.3%増、パートタイム労働者は同1.9%増となった。