http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20140508/p1 より転載
日本国憲法の制定過程(その3) 日本国憲法関連 略年表②
<続き>
1月24日 幣原首相がMをペニシリンの礼のため訪問。「天皇維持」と「戦争放棄」を憲法に盛り込むことで合意。
2月3日 ホイットニー民政局長、M憲法改正三原則(天皇元首・戦争放棄・封建制度廃止)を示して、民政局に草案作成を命ず。
→2月10日成案。
2月8日 日本政府松本委員会、旧態然たる「憲法改正要綱」をGHQに提出。
2月13日 ホイットニー民政局長ら、GHQ草案を吉田外相・松本国務大臣らに手渡す。
→GHQ草案の邦訳作業が極秘で進められる。
→これは天皇維持論者Mにとっての脅威。
3月5日 GHQ草案の対訳作業を徹夜で完成し、「憲法改正草案要綱」完成。
4月10日 戦後初の衆議院総選挙。30人を超える女性議員が選ばれる。
6月20日 「憲法改正案」、帝国議会に提出。
7月2日 極東委員会、憲法に国民主権を明示することを求める。
8月24日 衆議院、第9条第2項冒頭に「前項の目的を達するため」という「芦田修正」を含む修正案を可決。
10月7日 貴族院、「文民条項」など4項目修正の上、憲法改正成立。
11月3日 日本国憲法発布。
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<コメント>
「日本国憲法はわずか9日間で書き上げたのだ」というのが言い古された改憲派の主張であるが、実態はどうだったのか。
米国の日本占領政策には二つの指針があった。一つは、ポツダム宣言であり、もう一つはSWNCC-150「降伏時におけるアメリカの初期対日指針」である。これらは日米開戦直後から用意周到に準備されてきたものを背景としてできあがったものであった。
日本側はどうか。まず、政府松本委員会が用意した改憲案は旧態然たるものだった。だが、民間の憲法研究会「憲法草案要綱」はGHQに特に注目・評価された。その内容は、明治の自由民権運動の憲法史研究の成果だった。また、幣原喜重郎首相のマッカーサーに対する「戦争放棄」提案が、後の9条となる。さらに、帝国議会は憲法改正案を鵜呑みにしたわけではなく、委員会を設けて相当に議論して修正案を加えた上で可決している(こちら参照 http://www.ndl.go.jp/constitution/gaisetsu/04gaisetsu.html)。