http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20140508/p1 より転載
日本国憲法の制定過程(その3) 日本国憲法関連 略年表①
(2)日本国憲法関連 略年表
下の年表をじっくりと読んでいただけば、日本国憲法は下の4つの総合だとわかると思う。
1 開戦直後からの米国側の、日本を軍国主義から解放することを意図した、用意周到な準備研究
2 鈴木安蔵による、明治期の自由民権運動の研究成果(儀礼的天皇・国民主権・人権尊重)
4 帝国議会での審議
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→自由民権運動の中でももっとも民主的な憲法案。「憲法研究会「憲法改正要綱」に影響。
8月27日 パリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)締結。米国はじめ15カ国が国策の手段としての戦争の放棄を宣言する。日本の全権代表は幣原喜重郎。
→幣原の「戦争放棄」はここに胚胎している。
8月 米国国務省内に「極東班」が設置され、日本全面降伏後の政策について研究を始める。
2月 「戦後計画委員会(PWC)」が設置され極東班の研究をより具体化し始める。
10月25日 政府は憲法問題調査委員会(松本委員会)を設置する。
→Mが天皇に関する議論も解禁。
12月26日 憲法研究会「憲法草案要綱」(儀礼的天皇・国民主権・人権尊重)発表。
→おもな起草者は自由民権運動・憲法史の研究者鈴木安蔵。GHQ民政局はこれに注目。これがGHQ草案の骨子となる。
モスクワでの米英ソ中外相会議で極東委員会(FEC)を46年2月26日に創設することを決定。→極東委員会は天皇制廃止を強く示唆していた。)。
⇒続く