大晦日での荒れ模様を忘れさせるほど、元旦そして今日において穏やかな天候が続いている。しかも、近くの低山からの展望がきわめて良好である。今日は八ヶ岳に夕陽が沈んだが、100 km以上も遠方で起こっている現象とは思えないほど、落日の光景には臨場感があった。
視点(標高200 m)から八ヶ岳の稜線まで、眺めを妨げる起伏がない(関東平野の広さを感じて)。
ダイヤモンド赤岳ということになるだろう。
八ヶ岳上空の雲が夕陽に染まった。山体のシルエットでは、あまりにも輪郭がはっきりとしていた。
撮影、2010年1月2日、桐生市にて。
弊ブログは新しい「ヒトリシズカ特論2」に移行しました。
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コメントありがとうございます。
桐生の住民として、初めてこのことに気付いたとき、小生も驚きました。
それ以来、八ヶ岳や浅間山が生みだす光景の遠望に魅せられています。
新ブログを拝読し、フォロー登録をさせていただきました。
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今年の正月に撮影された八ヶ岳連峰の夕焼けの写真を拝見しましたが、茜色に染まる夕焼けと八ヶ岳連峰の黒のシルエットが素晴らしいですね。100㎞以上も離れているというのに長玉を使うと、近くで見ているかのように感じますね。
30数年以上前に、八ヶ岳の麓の野辺山高原や小淵沢、諏訪市を訪ねたことがあり、懐かしく思いコメントさせていただきます。
深田久弥は名著「日本百名山」で、八ヶ岳を取り上げ、「まず私たちの眼を喜ばせるのは、広い裾野を拡げた八ヶ岳である。全く広い。そしてその裾野を引きしぼった頭に、ギザギザした岩の峰が並んでいる。八ヶ岳という名はその頭の八つの峰から来ているというが、麓から仰いで、そんな八つを正確に数えられる人は誰もあるまい」と述べていますが、広大な野辺山高原に厳然と聳え立ち、荒々しい岩稜の峰々が連なる八ヶ岳を絶妙に描写しています。
私たちが八ヶ岳野辺山高原を訪れたのは初夏の頃で、キャベツやハクサイ、レタス、ブロッコリーなどの高原野菜畑が広がっていました。緑一色の野辺山高原と背後に聳える荒々しい岩肌が露出した八ヶ岳連峰の男性的山容にしばし見とれました。小淵沢駅から野辺山高原駅まで小海線のキハ形の気動車にも乗りましたが、牧歌的で田園風景に溶け混み、心が癒されました。日本一高い所にある野辺山駅は尖塔が立ち、正面玄関がアーチ型の洒落た白塗りの駅舎で、ヨーロッパ的雰囲気がありました。
その後で、八ヶ岳の麓に残る「信玄棒道」を取材しました。戦国武将武田信玄が北信濃攻略のために、八ヶ岳南麓から西麓に甲斐と信濃を結ぶ軍用道路を開発し、一本の棒のように存在することから「信玄棒道」と呼ばれています。最強といわれた武田騎馬隊が素早く移動できるように、真っ直ぐな道にしたといわれています。信玄は上の棒道、中の棒道、下の棒道の3筋の棒道を築き、今は、上の棒道の一部が残されています。
小淵沢町の郷土史家に案内してもらい、棒道を見て回りました。道幅は狭いのですが、曲がりくねった山道とは違い、比較的真っ直ぐに延びた道が多かったのと、道端には石仏(観音様)が安置されていて、全部で38体残っているそうです。郷土史家の話によると、棒道で昔の武者姿の亡霊を何人もの人が見たとのことでした。確かに今にも軍馬の嘶や蹄の音を轟かせて、武田騎馬隊が疾走してくるかのような感じがしました。山林内を走る棒道からは時おり八ヶ岳が見られました。
そして七年に一度開催される諏訪大社の「御柱祭(おんばしらさい)」も取材しました。日本三大奇祭の一つで、諏訪大社の上社本宮と上社前宮、下社春宮と下社秋宮のそれぞれの境内の社殿の四隅に4本ずつ御柱を立て、式年造営するという諏訪地方に1200年以上前から伝わる大祭です。御柱祭に使われる16本の大木の半分は、八ヶ岳連峰の一つ阿弥陀岳中腹の御小屋山にある樅木(もみのき)が使われます。御柱の長さは16m、直径1m、重さは10トンもあります。
春、山から里に御柱を運ぶ「山出し」や道中を曳き各神社の社殿まで運び、四隅に御柱を立てる「里曳き」は、諏訪地方の氏子たちの男気や熱い絆、神聖な熱狂が見学者に伝わってきます。特に氏子たちが御柱に乗って、木落とし坂から滑り落ちる「木落とし」や冷たい宮川を渡る「川越し」は氏子たちも命がけで、見学者も手に汗を握る思いで見る大祭のクライマックスです。
八ヶ岳と私は縁があり、愛着を持っています。kotsunagi567さんの八ヶ岳連峰に夕日が沈む素晴らしい写真を拝見して、遠い昔の思い出をコメントさせていただきました。ありがとうございました。
当方の画像がtomiokalucyさんの思い出を誘起することができたようです。
tomiokalucyさんの深い思い出を拝読しました。
コメントありがとうございました。