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こつなぎの写真ノート

身近な自然の彩りを楽しみながら

冠雪の浅間山、今春最後の姿を眺めて (4月上旬)

2025-04-27 | 山を眺める
今日の山麓からのライブイブカメラ映像には、雪で覆われていない浅間山の姿が登場した。このところの異常な気温で雪解けが急速に進んだのであろう。しかし、今月上旬では、冠雪の姿が印象的であった。
 
日の出を待って、市内の展望スポットにて
朝日で紅色に染まった富士山は「紅富士」と呼ばれている。そのことにならって「紅浅間」を狙ってみた。花粉や黄砂の影響で霞んでいたが、雪面は幾分か朝日に染まった。余談ながら、左下に写っている高い建物は県庁(前橋市)である。
 
 
 
 
市街地(桐生市)と浅間山
市街地に朝日が届きはじめた頃、雪面での薄紅色が消えた。それでも、わたくしたちの街にとって、冠雪の浅間山は格好の借景であった。
 
 
結果として、このような姿は来冬まで望んでも見られないものになった。
 
 
浅間山より遠方に位置している八ヶ岳連峰(長野県)はかなり霞んでいた。
 
 
遠方は霞んでいたが、上空では透明な青空が広がった。展望スポット付近にて。
 
 
 
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4月5日早朝、桐生市にて、CPLフィルター使用。
 
 

春の訪れを感じて(その5)、雪の残る妙高山とミズバショウ(水芭蕉)(アーカイブス)

2025-04-17 | 山を眺める

あるとき、(旧)信越本線において幾分か眠気を感じつつ車窓から山並みを眺めていたとき、突然にも山全体が雪を覆われた高峰が視界に入った。その高峰は妙高山(2448 m)であった。雪を被った山容の見事さに出会ったとの感動はいまだに覚えている。さて、アップした画像は2009年4月中旬に撮ったものである。この年は雪解けが早かったので、私たちは妙高山をもう一度眺めてみたいとの気分に駆られて、群馬から長時間のドライブをした。

 

 

深田久弥はその著書「日本百名山(新潮社)」において、「妙高山は越後の名山である。越後富士とも称せられる。越後のみならず、私は日本の名山であると思っている。その均整のとれた山容の気品と言い、ドッシリとした量感と言い、のびやかな裾野の雄大さと言い、名山としての名に恥じない。」と述べている。

 

しかし、妙高山は、私たちにとって容易にはシャッターボタンを押せない被写体であった、近くで眺めた山容の凄さに圧倒されたからだ。

 

山麓の「いもり池」の対岸で眺めた妙高山

 

いもり池は妙高高原、池の平温泉に位置し、周囲は500mである。晴れた日には妙高山がはっきりと水面に映る。その名は、かつてイモリが多く生息していたことに由来すると言われている。4月下旬から5月下旬のミズバショウが有名である(妙高観光局HPから)

 

上信越高原国立公園との案内板を前して(現在は、妙高戸隠連山国立公園)

 

散策しながら、私たちはいもり池の周辺がミズバショウ(水芭蕉)の見事な名所であることを知った。

 

この自然環境のもとで自生しているミズバショウの姿に惹き込まれて、私たちはしばし時の流れを忘れた。

 

光背のように包む雪白色の仏炎苞(ぶつえんほう)の質感が美しいものを探して

余談ながら、このときはマクロレンズ(単焦点レンズ)を購入していなかった。無念の思いを抱きながらシャッターボタンを押した。

雪解け水の流れの中にて

 

帰路では、自動車道ではなく、国道18号沿いで妙高山のビューポイントを探した。

午後の陽射しを浴びる妙高山(関川に架る信越大橋付近にて)

斜め横から眺める中央火口丘(妙高溶岩ドーム)。その険しさ、そして外輪山の山容とのバランスが際立っていると、私たちは思っている。

 

帰りに寄り道をして(関川の関所跡)

関所跡への太鼓橋

河川敷での春

 

2009年4月午前と午後、妙高市にて(新井、妙高高原、妙高の3町村の合併)、再現像(2025年4月)。

 

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Goo ブログサービス終了とのこと、たいへん残念です。サービス停止後に他のサイトに移転するかどうかは決めていません。今後はかなり以前に撮り保存している画像も記事として積極的に紹介したいと思っています。ご一読いただければ幸いです。

 

 


赤城山のシルエット、夕暮れ時に、渡良瀬川(桐生市)にて(3月)

2025-03-22 | 山を眺める

昨日から日内での気温差が約20℃と変則的な天気になっている。今日の最低気温は5℃、最高気温は25℃であった。間もなく、周囲の山並みで山桜が咲きはじめるだろう。

さて、日の入り頃に、市内を流れる渡良瀬川で赤城山のシルエットにレンズを向けてみた。

川の流れの奥にドッシリと構えているシルエット、このスポットならではの眺めに、わたくしは感動を覚えた。

 

先日、雨が降ったにもかかわらず、川の水量は少なかった。

2月中旬(午後)
 

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このスポットでは浅間山も望める。

スポットに到着したとき、赤く輝いた太陽が浅間山に沈みはじめていた。

画像は30秒前に到着していればその瞬間が撮れたにと後悔しつつシャッターボタンを押した結果である。

太陽が沈んだ直後に現れた赤い輝きは美しかったが....。

 

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20日18時頃、桐生市、渡良瀬川(錦桜橋歩道)にて。


渡良瀬川で眺める赤城山、青空のもとで雪雲をまとって(1月)

2025-01-18 | 山を眺める

渡良瀬川はわたくしたちの街、桐生市を横断するように流れています。この川で眺める「赤城山」には、この地ならではの魅力が感じられるとわたくしは思っています。時季、天候、時間帯に応じて一期一会と思いたくなるほどの変化が現れるからです。

このときの空模様は赤城山とその周辺以外に雲が浮かんでいない状態でした。それだけに、寒さを思わせる雲の衣をまとった姿に心を引かれました。

山から吹き下ろす風による凧揚げ、子供時代での遊びを思い出しました。いいですね、凧糸がアナログ的雰囲気を演出しています。

 

ここでは、赤城山が上底と下底が長い台形のように見えます。山内でどの山頂も穏やかに存在感を示しています。そして、山沿いに上昇した気流が上底付近で雲をつくり出しています。

 

最高峰の黒檜山(右端)はその姿が見えないほど厚い布(雲)をまとっていました。

 

当地では、新年になりましてから僅か1日間ほどしか雨が降っていません。流れでの水量がかなり減っています。たっぷりとした流れの奥に赤城山との構図はいつ頃に現れるでしょうか。

積乱雲が発達してできるかなとこ(金床)雲ではありませんが、山を包む雲はかなとこを想わせる形になりました。

 

画角を広げてみました。限りなく澄んだ青空のもとで雲を発生させている赤城山、わたくしにとっては印象的な風景でした。

 

13日午後、桐生市にて。

 

 


遠く離れた名山、両神山がシルエットとして、夕日の効果で浮かび出る(1月)

2025-01-04 | 山を眺める

今日アップします画像は2日の夕刻に撮った遠景です。このときは無風状態でしたので、わたくしは近くの桐生川沿いを歩きました。関東平野を隔てて100キロメートル以上離れた秩父地域(埼玉県)の山並みを遠望しながらでした。落日が迫まったとき、突然にも山並み方向の上空が厚い雲で覆われました。結果として、その雲と大学の建物(体育館)との隙間から、山並みが夕日を浴びる光景を眺める状態にわたくしは置かれました。いつもならば、人工物が大きくは入らないスポットに移動します。でも、ふと、この合間をスリットとして、これから現れる光景を眺めたくなりました。

 

厚い雲が反射板として働いたためでしょうか、この雲が無ければ見られないなような光景が現れました。秩父地域の名山「両神山(りょうがみさん、百名山の一座、1,724 m )」が、シルエットとして夕日の効果で浮かびあがりました。

100キロメートル以上も遠距離に位置している両神山が100メートル先の屋根の間近に。望遠による距離圧縮効果を思い切り楽しみました、絶好のチャンスと思いながら。

「きりゅう川」との銘板を画角に入れてみました(わたくしのこだわりです)。

 

クリックで、画像を拡大できます。

 

 

気象条件が良ければ、夕日の力を借りなくても両神山(1700メートル)を遠望できます。ところが、より標高の高い背景、奥秩父連山(2000メートルクラス)に埋没するために、両神山固有の形がはっきりとは見えません。ちなみに、埋没しないスポットで眺めた両神山の画像を添えます。ロウバイ(蝋梅)の名所、宝登山(秩父市)、1月下旬にて。

 

「私がいつも気をつけて見る山に、両神山がある。...... 大よその山は、三角形であったり屋根形であったとしても、左右に稜線を引いて山の体裁を作っているものだが、両神山は異風である。それはギザギザした頂稜の一線を引いているが、左右がブッ切れている。あたかも巨大な四角い岩のブロックが空中に突き立っているような、一種怪奇なさまを呈している。古くから名山として崇拝されているのも、この威圧的な山容からであろう(深田久弥、日本百名山)」

 

画角を広げた画像をアップします。低い高度からの太陽光が、まさにライトアップとしての効果を見事に発揮しています。照らし出された背景の山並みは破風山(はふ)、百名山の一座である甲武信岳(こぶし、2,460 m)、三宝山、十文字峠などで構成されています。体育館とビルは大学の桐生キャンパス構内のものです。山並みは埼玉県・山梨県・長野県などの境になっています。

 

望遠での距離圧縮効果を利用して撮りましたが、この夕景は肉眼でもその視力に応じて気づくことができました。望遠で撮っている変人(?)に尋ねてみたかったのでしょうか、あの見事な光景はどこの山によるものかと、通りかかった人々に声をかけられたました。遠く離れた秩父・奥秩父の山々が見えるのだとの答えに、驚きながらスマホで撮りはじめた人もいました。

 

帰るときにて、矢印は上の画像で望遠レンズを向けた方向です。

 

わたくしたちの街から関東平野を隔てて両神山などを望めるのは、展望地点の標高が110メートルであり、海抜0メートル以下の地域を含めて関東平野の標高差が10メートル程度であるためです。わたくしたちの街は半扇状地に立地しています。自宅から中心街に自転車で向こうとするならば、往路では何らの抵抗を感じませんが、帰路では.それなりの脚力が求められます。

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2日16時過ぎ、桐生川中流域にて(桐生市)、望遠では 70-200 mm。

 

 


赤城山の上空に、水平に伸びる帯状の雲(12月)

2024-12-30 | 山を眺める

赤城山の上空や山腹ではさまざまな形の雲が発生する。この山が関東平野と日本海側まで続く山岳地帯との境界に位置しているからだ。平野から流れてくる気流は赤城山に沿って上昇する。一方、山岳地帯方向からの気流は赤城山を越えると下降する。どちらの気流にとっても、赤城山は気流の温度を著しく変化させるエネルギー障壁である。結果として、気流の温度は一気に10℃以上も変化する。 冷房が一般的でなかった頃、赤城山はわたくしたちにとって近場の避暑地であった。余談ながら、富士山は海方向からの気流が急激に4000メートル以上も上昇することにおいて、雲を生み出す「奇跡の山」である。

さて、今月上旬、帯状の雲が赤城山の上空で水平に伸びる景色が現れた。市内から見る赤城山の姿は上底と下底が長い台形状である。だからこそ、このような帯状の雲が生まれたに違いない。

 

最高峰の黒檜山(1828メートル、外輪山)には灰色の雲がかかろうとしていた。中央は長七郎山と地蔵岳(無線中継アンテナ、中央火口丘(ドーム))である。

 

 

雲の有様とともに赤城山が雪を被っていなかったことに、わたくしは感慨を覚えた。かつて、12月中旬に無雪状態の地蔵岳などの山頂を歩いたことがあるからだ。

 

帯状の雲は一種の波状雲に分類されるが、これに加えて新たな波状雲が伸びてきた。上昇気流に新たな乱れが生じたためであろう。

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画像は市内の別の場所で撮ったものである。彩りが残っている里山の奥に、山頂部が霧氷か雪を被っている赤城山・黒檜山、そして笠雲に見える厚い雲。今月の上旬ならではの風景である。

 

今年も今日を含めて2日間。原稿を書きながら眺めると、数本の飛行機雲が上空に伸びている。来年は巳年(へびどし)であるぞと強調するかのように。

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12月上旬、9時頃、桐生市にて。

 


渡良瀬川(桐生市)で眺める赤城山、青空のもとで雪雲をかぶって(12月)

2024-12-12 | 山を眺める

わたくしたちの街(群馬県桐生市)の最高地点は赤城山(あかぎやま)の最高峰、黒檜山(1828 m)である。今週の初めに、山内のライブカメラ映像に促されて、市内を流れる渡良瀬川の河川敷で赤城山を眺めた。黒檜山の山頂は厚い雪雲で包まれ、そこから川に吹き下ろす風(あかぎおろし)は真冬の到来を想わせるほど冷たかった。事実、河川敷に設けられた芝生地でグランドゴルフを楽しんでいた人々はすべて退散し、わたくしだけがその場に残っている状態になった。それでも、この山と雲のフアンである者として、わたくしはいわゆる「孤独のグルメ」を味わうような気分で、赤城山にレンズを向けた。

 

 

左から、地蔵岳(1674 m、山頂に電波中継アンテナ)、駒ヶ岳(1685 m、部分的冠雪)、黒檜山(山頂は雲で包まれている)。雪をかぶりはじめた山体と紅葉散るとなっていない里山との対比は、この時期ならでの風物詩である。

 

青空に浮かぶ雲をアングルに入れて

 

 

今日も、ライブカメラ映像によると山内では吹雪いているようである。赤城山が雪雲をストップしているので、わたくしたちの市街地は気温が低いながらも雪を被らない。富士山に次いで裾野が広い山体に敬意の念を抱いて、今週末も河川敷で赤城山を眺めるつもりだ。

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12月上旬、渡良瀬川にて(桐生市)。  今日(12日15時)の天気:晴れ、気温 8℃、西北西の風 4 m、湿度 41%。

 

 


冠雪の浅間山を眺める、近くの紅葉を前にして(12月)

2024-12-02 | 山を眺める

今年、浅間山での初冠雪は先月上旬であったが、自分たちの街から遠望する山体にはほとんど雪が残っていなかった。もっとも、この山を毎日のように眺めていなかったので断言できないが.....。ところで、先週末から市街地を囲む山並みが深い晩秋の色を帯びるようになった。紅葉が残っているうちに浅間山が雪で覆われることを、わたくしは期待した。以前に紅葉の里山の奥に冠雪の浅間山を眺めたときの印象が脳裏に残っているからだ。

 

先週土曜日(11月30日)、雪雲で覆われたが、午後には全体的に雪を被っている山体がライブカメラ映像に登場した。チャンス到来、わたくしは以前と同じ展望ポイントに立った。しばらくは我慢を強いられたが、15時半ごろ夕日に近い日差しを浴びる「冠雪の浅間山」が目線の先に現れた。

 

夕日が沈む頃での光景

 

そして、翌朝はゆっくりと眺めよとばかりに、雪化粧をしたコニーデ形独立峰が展望ポイント付近での紅葉の先で、ファンの到着を待っていた。

 

 

今回は青空だけを背景とする単純な構図では終わらなかった。レンズ状の雲と長く伸びる雲が青空に浮かんだ。多分、温度の逆転層が山頂付近に生じたのであろう。ちなみ、浅間山の標高は2560メートルである。山頂で雲のように見えるものは噴煙だろうか。

 

 

展望ポイント周辺の常緑樹などが年々高くなっている。数年後には、このポイントも紅葉化しない木々で囲まれるかもしれない。そう思うと、シャッターボタンを押す回数が増えた。

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11月30日、12月1日、桐生市にて。撮影でのホワイトバランスは太陽光(昼光色)。望遠70ー200 mm。

 

 


あるときに眺めた、雪を被った北アルプス、鹿島槍ヶ岳、白馬岳など(長野県小川村にて)

2024-11-30 | 山を眺める

今日は雲ひとつ浮かんでいない夜明けでスタートした。山並みの上に浮かぶ雲が朝日に染まるとの場面を期待していた者とては空振り三振の気分になった。そして、今は冷たい北風が吹いている。

閑話休題、かなり以前に、雪を被った鹿島槍ヶ岳、白馬岳などを、長野県の小川村(北アルプス展望広場)で眺めたことがある。全体的に雪を被った高峰と紅葉が残る里山とのコントラストは、広場を離れることが惜しいほど自分達にとって印象的であった。

 

鹿島槍ヶ岳(2889メートル)、南峰(左)と北峰(右)そして八峰キレットなど

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「鹿島槍は私の大好きな山である。高い所に立って北アルプス連嶺が見えてくると、まず私の眼の探すのは、双耳峰をもったこの山である。北槍と南槍の両峰がキリッとせり上がっていて、その二つをつなぐ、やや傾いた吊尾根。その品のいい美しさは見飽きることがない(深田久弥、日本百名山)」

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左から、爺ヶ岳(2889メートル)、鹿島槍ヶ岳、そして五竜岳(2814メートル)

 

白馬岳(しろうまだけ、2932メートル)

 

白馬三山(白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳)

 

五竜岳(左)と唐松岳(右)

唐松岳への登山路の途中に八方尾根がある。八方尾根では蛇紋岩変性固有植物が美しい花を開く

 

展望広場で眺められる高峰(山座案内)

 

広場にて、多少なりとも尺度になりそうなモデルに立ってもらって

 

帰路で眺めた場面から、鹿島槍ヶ岳とそれを想わせる屋根

 

撮影、2011年11月下旬(午後の日差しで陰影が強くなる時間帯にて)、長野県上水内郡小川村、広場での駐車場: 普通車10台/大型バス1台(小川村観光協会HP)。

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広場からの眺めに相当する映像が、「小川村の林りん館」によってインターネットで公開されている。

 


赤城山、長い層雲で包まれて(2月)

2024-02-25 | 山を眺める
昨日は、何時か撮ってみたい思っていた景色に出会った。明るくなりはじめて、前夜の小雪による山並みでの雪化粧が視界に飛び込んできたとき、市内を流れる渡良瀬川で「赤城山」を撮りたいとの衝動に、わたくしは駆られた。路面がところどころで凍結していたので、その状態がなくなる時間帯を待って目的地に向かった。
 
 
河川敷で眺めた赤城山
高さ1,000 m から1,300 m ゾーンの山体を包む層雲(長さは約 12 km )、層雲上に姿を現す冠雪の山頂、上空に伸びる帯状の薄い雲、そして穏やか色合いの青空。これらが、見事にマッチしてこの時季ならではの美しい景色を構成している。
 
 
層雲が長く伸びていることは、高さ1,500 m付近に温度での逆転層が生じていることを物語っている。

 

日本人は大ていふるさとの山を持っている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護神のような山を持っている。そしてその山を眺めながら育ち、成人としてふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。どんなに世相が変わっても、その山だけは昔のままで、あたたかく帰郷の人を迎えてくれる。(深田久弥、「日本百名山」、新潮社、1991年)

赤城山は、縁あって定住した桐生を第二の故郷としているわたくしにとって「ふるさとの山」である。渡良瀬川の流れと市街地中心部の彼方に悠然と構えている山容に、わたくしは安心感を与えるバックボーンを想い抱き、惹かれる。赤城山を構成する黒檜山(最高峰)から鍋割山に至る稜線において、どの山頂も穏やかにどっしりとしてその存在を示している。そして、国内で富士山に次いで広い裾野も視界に入ってくる(以前の記事を部分的に引用)。

 
眺められる「赤城山の範囲」 (地図の出典)「国土地理院」https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html
 
 
 
部分的クローズアップ 
(左から)荒山(1,572 m)、雲の右側に地蔵岳(1,673 m)、長七郎山、小黒檜山、篭山(僅かに写っている)、駒ヶ岳、黒檜山(最高峰、1,828 m)
 
 
 
 「100 mほど先の橋」と「20 km 以上離れた赤城山」との距離を、望遠(300 mm)で圧縮してみた。余談ながら、橋には融雪剤(塩化カルシウム)がまかれていた。
 
 駒ヶ岳と黒檜山に焦点を合わせて
 
 
地蔵岳に焦点を合わせて
 
 
 
約1時間後、赤城山は見馴れた姿に戻った。
日差しで山腹が暖めれたためであろう。層雲の大部分が消え去った。
 
 
 
 市街地奥の山並みでの雪化粧(橋の歩道にて)
 
 
 
 
 
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撮影:2月24日午前8時半頃から、桐生市、渡良瀬川にて