先週土曜日の午後、那須高原での会合が終わってから、私は自然研究路と駒止の滝周辺を散策した(18日13-15時)。
自然研究路
研究路は八幡温泉、弁天温泉、大丸温泉を結ぶ遊歩道である。そして、道には吊り橋や展望櫓などが設けられている。弁天吊り橋と茶臼岳(右、1915 m)。橋で谷底の紅葉を見下ろすと、それなりの高度感と風による揺れが味わえる。
ところどころで、はっとするほどに鮮やな紅葉が陽差しを浴びていた。このときは、他に歩いている人がいなかったので、黒い毛皮の持ち主との鉢合わせだけは避けたかった。仮に歩いた感想を問われるならば、研究路は隠れたカエデやツツジの紅葉スポットだと答えたい。
展望櫓にのぼると、茶臼岳や朝日岳などが視界に飛び込んでくる。これらの山を眺めながら、こんなことを思い出した。何十年か前のことであったが、那須町の住民であった頃、遠来の友人と茶臼岳で正月祝いをしたことがある。
山頂では、雪景色のパノラマ、睫や眉毛が凍り付くほどの冷気、黒磯駅(JR東北本線)で買った駅弁「九尾の狐」の味を満喫したが、下山では互いの姿が見え隠れするほどの濃霧に囲まれてしまった。
ロープウェイ山頂駅方向。ゴンドラと切れ落ちている箇所を眺めて、あのときは濃霧の中で道を外さなくて良かったと述懐してみる
茶臼岳の隣には、朝日岳(1896 m)が聳える。画面には入れていないが、このときはヘリコプターが山腹でホバリングしていた。救助活動のためであったのだろうか。
私の古い思い出は、地元の人々から朝日岳では滑落、落石、濃霧の中での道迷いに注意しなさいと何度か言われたことである。
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駒止の滝
県道17号(那須高原道路)での入り口(北温泉入り口)にて(電柱と電線の写り込みは避けたかったが)。案内板に滝まで1 kmと示されている。この入り口そばには、駐車スペースがある。
駒止の滝は、かつて幻の滝であるとされていた。那須御用邸用地の一部が「那須平成の森」として一般公開され、観瀑台が設けられた(2011年)。観瀑台駐車場は50台程度の規模であり(北温泉と共用)、アクセス道路にはカーブが多い。なお、駐車場にはトイレがない。
対岸の岩壁を流れ下っている滝の落差は約20 mであるらしい。しかし、数百メートルほど離れた高台(観瀑台)からの眺めには、かなりの高度感とスケール感がある。私が観瀑台に立ったとき、滝とその周辺は日陰に入っていた。それでも、滝と周辺の彩りは魅力的であった(15時頃)。
滝の上部のクローズアップ。滝は二段になっているように見える。その奥はどうなっているのだろうか。滝口の形と岩や水の色が美しい。
観瀑台において、滝の全景を眺められる位置は、この時期は手摺り際1メートルの範囲に限られている。混雑の合間を見て全景を撮ってみた。岩壁の紅葉(暗赤色)がアクセントになっている(この部分をクローズアップで撮ることを忘れてしまったが)。
滝の撮影条件は手持ち、焦点距離 75-150 mm、シャッター速度 1/15-1/1000秒、ISO感度100-2000である。焦点距離 75mmm、シャッター速度1/13秒の条件では、手振れを抑えることができなかった(苦笑)。
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那須岳での見事な紅葉は、リンクしているブログ「花の詩山の詩」や「K2Couple」での記事をご覧いただきたい。
台風19号(アジア名、ヴォンフォン(すずめ蜂))は自分達が住む街の近くを通過した。さて、今朝(15日)は肌寒さを感じるほど気温が低かった。そのためだろか。桐生川上流(群馬県桐生市梅田町)でも紅葉が部分的に始まった。
石鴨神社付近にて(最上流部地区)
谷間のモミジが陽射しで浮かび上がる。
今年も、紅葉が進むと、カメラマン(カメラパーソン)が集まるだろう。
この画像はHDRで撮った。
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石鴨から下流のスポットに移動すると。
ふるさとセンターの上流にて
川沿いで、早く紅葉が進むとされている大樹。夏は葉が陽射しがよく浴びるので、この樹の紅葉は鮮やかになる。
余談。モミジのそばに電柱が立てられている。無粋なことと呟きながらも、どのように電柱を避けて撮るかは腕の見せどころだと思い直す(苦笑)。
一部の枝では紅葉がかなり進んでいる。
上流側(逆光)からにて。すべての葉が紅になるのはいつ頃であろうか。
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桐生川は群馬県桐生市を流れている利根川水系渡良瀬川支流である。その源流林は「水源の森百選」や「森林浴の森日本百選」に選ばれている。
早瀬での奔流
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撮影日時、10月15日午前10-11時。 EOS 6D、EF 28 mm F2.8、シャッター速度 1/15-1/2000秒。
今頃になると、なぜかこの和歌を思い出す。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞおどろかぬる(藤原敏行、古今和歌集)」。ところで、赤城山(あかぎやま)でも、秋の彩りが山肌を覆うようになった。前回に続いて、今月7日に撮った画像をアップロードする。
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地蔵岳にて
黒檜山や駒ヶ岳の山腹のところどころに、紅葉の色づきがある。
黒檜山では、猫岩(岩壁)付近において紅葉が目立つ。南面での登山道はこの岩のそばを通っている。そして、岩のあたりにはツツジが多い。なお、黒檜山左側の山頂は小黒檜山だ。最奥の稜線は、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳、四郎岳などである。
駒ヶ岳のクローズアップ。ツツジの色づきで、山腹が斑模様をあらわれている。背後の山波は袈裟丸山である。今頃は袈裟丸山も紅葉の時季を迎えているのだろう。山肌が幾分か秋の色を帯びている。
地蔵岳登山道沿いの色づきも秋の訪れを感じさせる。
山頂で、長七郎山(右)、小地蔵岳(左)、そして小沼を眺める。小沼では、長七郎山側の岸辺にドウダンツツジが多く自生している。
地蔵岳は銚子の伽藍の展望台である。伽藍は小沼を源とする流れでつくられた峡谷だ。この日、私達は雲間から陽射しが伽藍を照らし出すシーンを待った。
伽藍にはツツジはツツジの名所である。陽射しが伽藍が照らすと、ツツジの紅葉が浮上する。
ところで、赤城山にはダケカンバやシラカンバが多い。前日の強風(台風18号)で、これらの葉(黄葉)はかなり散ったのであろうか。これらの幹や枝の白さが目につく。
雲の影は、篭山に対してプラスの方向に作用する。この小さな山にはアカヤシオ(アカギツツジとの別名がある)群生している。このツツジの紅葉はどこまで進むだろうか。右下は鳥居峠である。
篭山でのアカヤシオ(5月中旬)
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鳥居峠にて
鳥居峠からのパノラマ(11時頃)。右側尾根での紅葉は主にアカヤシオによるものであろう。
鳥居峠からのパノラマ(15時半頃)。長七郎山の山影が尾根を覆い始めた。吹き上げてくる風は寒さを感じほどあったが、私達はこのパノラマはしばらく眺めていた(気温、11℃)。
眺めていると、赤城山ではあり得ないものだとわかっていても、カール状地形が目の前にあると錯覚したくなる。撮る者にとって、光のマジックショウーは面白い。
覚満淵、大沼、五輪尾根などを眺める。覚満淵は小さな湿原であるが、ここでは草紅葉と水面の対比が見所の一つになるだろう。
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この日は、リンドウ、マツムシソウ(残花)、ナギナタコウジュなどの花を道沿いや草むらの中で見かけた。笹が刈り払われると、ナギナタコウジュなどが復活する。
ナギナタコウジュ(薙刀香薷): シソ科ナギナタコウジュ属の1年草。花期は9-10月。花穂が反り返り、花が片側についている様子が薙刀にたとえられた。この個体の花穂では、色が濃い(フトボナギナタコウジュと区別したかったが)。
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10月7日、EOS 6D、EF 17-45 mm F4L、EF 70-200 mm F4L、RAW、Aperture 3.5。
新緑や紅葉の季節になると、自分が小学生であった頃のことを思い出す。それは、映画の宣伝で「総天然色」との表現が使われたことである。その後、総天然色は「カラー」との表現に変わった。それにしても、誰が「総天然色」とのキャッチコピーを思いついたのであろうか。デジタルカメラと画像処理ソフトを使い始めてから、そのような昔の記憶が時に蘇る。
閑話休題、先月30日午後、私達は中禅寺湖スカイライン(栃木県道250線、中宮祠足尾線)の終点(半月山駐車場、標高1600 m)に向かった。湿度が高かったために、やや霞んでいたが、足尾山塊方面で秋の彩りが目立ち始めた。
駐車場で撮った画像から
眼下に、対照的山容の眺めが広がっている(焦点距離、30 mm)。右奥は皇海山(双耳峰、2144 m)である。
山腹のモザイク模様と縞模様を少しクローズアップする(焦点距離、70 mm)。
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ここでのキーワードは多様性である。紅葉、黄葉、緑葉などの対比が顕著な部分を切り取ってみる。
望遠画像(その1)(焦点距離、170 mm)。
望遠画像(その2)(焦点距離、190 mm)。
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沢(利根倉沢であろうか)の右側(焦点距離、30 mm)。山頂は、左から、皇海山(左奥、2144 m、奥)、社山(右、1960 m)、錫ヶ岳(右奥、2388 m)などである(焦点距離、30 mm)。
社山の山腹をクローズアップする(焦点距離、135 mm)。
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当日の空模様と半月山。半月山(半月山展望台)では、屈指の大展望が人々を待っている。
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9月30日13-14時。EOS 6D、EF 17-40 mm F4L、EF 70-200 mm F4L。絞り優先、シャッター速度1/50-1/1000、ISO感度100-400。 現像・画像処理ソフト Aperture 3.5。
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P.S.
足尾地区から半月山までの経路(赤倉山経由)については、ハイトスさんの「ハイトスの里山山行記」(赤倉山、半月山)やたそがれオヤジさんの「たそがれオヤジのクタクタある記」(足倉沢右岸の尾根は楽勝どころか結構な試練尾根であった)などの歩行記事がある。