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耳塚

2008年06月19日 | 京都
法住寺から、三十三間堂、国立博物館の前を通って、豊国神社にやってきました。



この一帯は石塁が続きます。

あまり知られていませんが、ここにはかつて「大仏」が建っていました。建てたのは秀吉です。

最初の大仏は地震で倒壊してしまい、その後再建と焼失を何度か繰り返し、最終的には焼失したまま現在に至っています。

大仏の正面につながるということで名づけられた正面通りを西に進んでいくと、左手に大きな塚が現れます。



耳塚(鼻塚)です。

秀吉の2回目の朝鮮出兵時に、戦いの証として敵兵の鼻を切取り日本に持ち帰ったものを葬った塚です。秀吉の「負の遺跡」です。
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