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セミの終わる頃(13)

2017-01-03 09:52:57 | 小説
  第八章 小鹿への愛の引き継ぎ

治子が鹿を自宅近くの雑木林に埋葬している時に小鹿が治子にすり寄って来て、
「お父さんは治子さんが好きだったんだね。僕も治子さんが好きだよ。」
と言っているように治子は感じられた。

それから、小鹿は母親の鹿の元を離れ、一日中治子に寄り添うようになっていった。
「あなたはお父さんから私を愛するように頼まれたのでしょ。そんなことしなくてもいいのよ、あなたは若いのだから素敵な恋人を探しなさい。あらっ、鹿だから恋人ではなく恋鹿だわね。素敵なお嫁さんを探すのよ。」
しかし、治子は鹿が首を左右に振ったように感じたので、
「あなたのお父さんもそうだったけれど、私は人間よ。もっとも、私は、あなたのお父さんも好きだったけれど、あなたも好きよ。」
その時、治子には心なしか小鹿が微笑んだように見えた。
「あなたはお父さんにソックリで頑固ね。」
それを聞いた小鹿は、二度、三度と首を縦に振って喜んで見せた。
「あなたも、あなたのお父さんも、私が鹿であれば結婚していたでしょうね。残念だわね、私は独身だけれど人間よ。」
小鹿は治子にすり寄って来て「ギュ~イ。」と可愛く鳴いて、座った治子の膝の上に頭を乗せて動かなかった。

セミが鳴くのが終り、今年もいつものように季節が移り変わっているが、小鹿は相変わらず治子の下を離れようとはしなかった。
そして、治子が埋葬した鹿の墓に手を合わせに行く時には小鹿は興奮気味に治子を先導して行き、治子が手を合わせている間じっと治子を見つめていた。その小鹿の心の中は、「お父さん、僕は治子さんを大事にしているから安心していてね。」
と言っているように治子は思えた。
「本当に親子して仕方がないわね。あなた方は鹿で私は人間よ。愛してくれてうれしいけれどね。」

セミの終わる頃(12)

2017-01-02 09:14:28 | 小説
  第七章 自然の中に

白石は、いつも本社で勤務をしているが、進捗確認のために工事の現場事務所に頻繁に訪れていた。温泉宿の取り壊し、近隣の丘の造成、そして広大な平地となった場所の整地等の進捗について、現場監督から工程表との差が無い事の説明を受けた後で、全体が見渡せる高台に登って、自分の目でも確認をしていた。

治子も時折この高台に登ってきては変わり行く風景に涙を流していた。
そして、この高台に来る時に必ず鹿が治子に寄り添っていた。
「私も寂しいけれど、あなたも寂しいのね。」
治子の問い掛けに鹿がうなずくような仕草をして、潤んだ目で治子の顔を見ていた。

心の張りを失ってしまった治子は風邪をひいて寝込んでしまい、熱でうなされている時に、治子の夢の中に鹿が出てきて
「治子さん、僕を助けてくれてありがとう。しかし、僕を介抱してくれた温泉宿は壊されてしまったね。僕は助けてもらったおかげでお嫁さんをもらって雄の子供もできました。
僕は、猟師に殺されたお母さんの代わりに、治子さんをお母さんだと思って甘えていました。だけれど、僕の心の中の治子さんはお母さんから恋しい人に変わっていきました。
鹿の僕が人間の治子さんをお嫁さんにすることができないのは分りますが、僕の治子さんを想う気持ちを押さえる事ができません。
そして、治子さんを悲しい思いにさせている白石という男を、僕は許せません。
明日、白石に仕返しをします。鹿の僕は人間には勝てないと思うので、僕が高台に居て白石を待っていて、白石が来たらぼくがぶつかっていって崖から突き落とします。僕も一緒に落ちるかもしれませんが僕は構いません。
そして、僕の治子さんを愛する気持ちを、僕の子供の雄鹿に引き継がせます。」

「待って、止めて。あなたの私を愛する気持ちは前から気付いていたわ。だけれど、私の代わりに白石さんに仕返しをしなくてもいいの、あなたは雌鹿や小鹿のために生きなさい。」

高熱の治子が目を覚ますと時計は十時を指していた。
白石がいつも十時頃に高台から全体を見回して、それから現場事務所で進捗状況の説明を受けることにしているのを知っている治子は高台へ急いだ。

その時救急車とパトカーのけたたましいサイレンの音が高台に向って行くのが聞えた。
治子が現場事務所に着くと息絶えた白石が救急車で運ばれるところであり、近くには一匹の鹿が横たわっていた。
治子が鹿を抱き抱えようとしたが、警察官から実況検分中だと制止された。
現場監督が、高台から「ギュルギュル、ギュ~イ。」と動物の吠える声が聞えた直後に、白石と鹿が落ちてきたのだと警察官に説明をしていた。

警察官の実況検分が終り、治子は手伝ってもらって鹿を連れて帰り、鹿の頭を両手で抱えて顔に口付けをしてやると、鹿はかすかに目を開けて何かを訴えるように口を震わせた。た。
「しっかりして、死んだらダメ、死なないで。」
と叫んで抱きかかえた時に治子は鹿の訴えていることが手に取る様に感じられた。
「治子さん、ぼくは死ぬと思います。しかし、白石への仕返しができたので満足しています。そして、ぼくは死んでからも治子さんをずっと愛し続けます。」

白石が湯治場に来た時はセミがまだ泣いていたが、白石が鹿に高台から突き落とされた時に、激しく鳴いていたセミが一瞬鳴きやんで、あたり一面の空気が凍りついたようにシーンとなり、時が止まったようであったという。
治子は鹿の執念に驚かされ、一瞬の静寂があったのを理解するのはたやすかった。

セミの終わる頃(11)

2017-01-01 10:11:51 | 小説
  第六章 経営権

しばらくして、おかみさんが体調を崩したが、家族のいないおかみさんに代わって治子が温泉宿を切盛りしていた。
しかし、ひなびた湯治場の温泉宿は相変わらず経営が厳しかった。

白石らが帰ってから1ヶ月が過ぎたある日、おかみさんのもとに臨時株主総会の招集通知書が届き、決議する議案として、
第一号議案 温泉宿の取り壊しと除却
第二号議案 株式発行による増資
第三号議案 近隣の山林の取得
第四号議案 リゾート施設の建設
第五号議案 取締役の解任
が記載されていた。

そして、おかみさんは商社の本社会議室で開催される臨時株主総会に出席したが、おかみさん以外は大株主の商社と、少数株主の委任状を手にした商社の社員が有給休暇を取って出席していた。

各議案は簡単な説明のあと採決を行われたが、全て賛成多数で可決され、おかみさんは取締役を解任されたのである。
そして、決議された議案通りリゾート施設建設がスタートされることとなった。

白石は、いつも商社の中に有る観光会社の本社で実務を取り仕切っていたが、久し振りに現地の温泉宿へ出向いて取り壊しの進捗状況を把握することにして、朝早く出発した。
そして、駅には現地常駐の部下と工事関係者が揃って出迎え、温泉宿ではおかみさんが白石を出迎えた。

「あれっ、何をしているんだい、あんたはもう経営には関係ないんだから来てもらっては困るよ。」
と、おかみさんに対して高圧的な態度で臨んだ。
「ええ、分かっていますが、ここは私が手塩にかけて守ってきた温泉宿なのですよ。」
「あんたの古い経営手法だからこうなったのですよ。我社は一大リゾートにして、この地を蘇らせて見せますよ。」
「白石さん。」
治子は変わってしまった白石に思わず声を掛けてしまった。

その時、治子に寄り添っていた鹿が歯をむき出しにして
「ギュルギュル、ギュ~イ。ギュルギュル、ギュ~イ。」
と威嚇した。
「あなた変わったわね。」

「仕事で勝ち抜くためには仕方ないさ。
負ける方が悪いんだよ。
ところで君は、まだ副支配人としてここで働く気にはならないのかね、僕が君を雇ってあげても良いんだよ。そ
うすると昔のように、仕事も一緒にできて、私がここに来た時の夜は一緒に居られるよ。」
「いいえ、結構です。」
「どうぞ、ご勝手に。」

その時、再び鹿が歯をむき出しにして
「ギュルギュル、ギュ~イ。ギュルギュル、ギュ~イ。」
と激しく吠え立てて白石にとびかかろうとしたので、白石は近くに有った木の枝を振り回して鹿を追い払った。

セミの終わる頃(10)

2016-12-31 11:28:31 | 小説
  第五章 白石との再会

同僚の白石は治子との思い出も忘れ、順調に業績をあげて出世をしていった。
白石のいる会社は、次々と出資していた観光会社の経営権を取得して、温泉宿の古い経営体質から観光リゾートへの脱皮を図ることになり、白石に経営を委ねた。

白石は持ち前の強引さで、旧経営陣と縁の有る社員を全員解雇し、自分の方針に同調する者のみで体制を確立していった。
 
一方、おかみさんの経営している温泉宿は、ひなびた田舎の湯治場の古い温泉宿なので、常連客には人気があるが、新規の利用客は伸び悩んでいて経営は厳しく、いたる所の修繕に資金が必要であった。
おかみさんは仕方なく投資会社から経営参加を条件に資金を借り入れたが、投資会社は経営効率を考えて、リゾートホテルへの転換を迫った。
しかし、おかみさんは経営効率より常連客がくつろげるのが湯治場なのだと、受け入れを拒否し続けたので、投資会社は投資効率を向上させて温泉宿を転売し、高収益を揚げることが不可能だと判断し、商社に持ち株を譲渡してしまった。

商社は投資会社のようなスピードは要求しないが、五ヶ年計画で経営改善を求めてきた。
しかし、おかみさんは、常連客がくつろげなくなるような五ヶ年計画は立案せず、商社とも対立していった。
また、高齢なおかみさんは信頼を置ける治子に温泉宿の実務全般を任せ、自分は経営判断のみを行なうようにしていた。

ある日、治子は商社との会議におかみさんと同席する事になって、温泉宿の玄関で商社のメンバーを出迎えた。
そして、商社のメンバーが乗ったタクシーが温泉宿に近付いてくると鹿が「ギュルギュル、ギュ~イ。ギュルギュル、ギュ~イ。」と激しく威嚇するように吠えた。

タクシーが玄関に止まり、そこから最初に下りてきた男の顔を見た治子は目が釘付けとなった。
「白石さん。」
「おう、君はこんな所に居たんだ。元気かい?」
「あらっ、この方をご存じなの?」
おかみさんは不思議そうに治子に問いかけてきた。
「この人よ、商社で一緒に働いていた人は。」
「そうなの、この方なの。」

「私は君の残した損失を半分にした能力を評価され、観光会社の社長に抜擢されたんだけれど、本当はこんなちっぽけな子会社の社長には収まりたくないんだよ。私の実力は親会社の商社の社長に相応しいんだよ。その時までにこのちっぽけな温泉宿は取り壊して、この辺一帯を日本でも有数なリゾート施設にしてしまうよ。こんな湯治場の温泉宿ではまともな収益は見込めるはずがないんだよ。」
「いいえ、湯治場はお客様がゆっくりくつろいでもらう場所なんです。」
「それでは投資効率が悪いのが、あなたもお分かりだと思いますがねえ。先祖代々受け継がれた温泉宿だと思いますが、時代の流れに取り残されて、逆にご先祖様に申し訳ないのでは無いのでしょうか?」
「いいえ、私の代で終っても、常連のお客様が喜んでいただける温泉宿のままにします。」
「分りました。それでは臨時の株主総会と取締役会を開催して、この温泉宿の取り壊しとリゾート施設建設の決議を行ないます。」
「私は決議に反対します。」
「現在の株主構成をご存じでしょ。今、我々は何でもできるんですよ。
それから治子さん、あなたは社員名簿に載っていないので正式な社員ではないですよね。君さえ良ければリゾート施設の副支配人として私が雇ってあげてもいいよ。今の私は何でもできるからね。君が副支配人でここに居てくれたら、私がここに出張で来た時に、以前のように二人で夜を楽しめるしね。」
「お断りします。あなたは、私の知っている白石さんではありません。」
「この温泉宿は間もなく無くなるのだから、考えた方良いよ。」
「結構です。」
「おかみさん、あなたの頑固さは分りました。今日は、これから帰って臨時株主総会の準備を行いますので、招集通知書が届いたら出席して下さい。代わりに委任状を提出してもらっても良いのですけれどね。それでは今日はこれで。」

そして、タクシーが走り始めると、鹿がまた「ギュルギュル、ギュ~イ。ギュルギュル、ギュ~イ。」と、けたたましく吠え立てた。
草食動物の鹿は下の前歯(切歯)が包丁となっていて、前歯の無い上あごに草を押し付けてかみ切って食べているので牙は無く、本来おとなしい動物なのであるが、そのおとなしい鹿が威嚇するような形相で歯をむき出しにして吠え立てたのであった。

セミの終わる頃(9)

2016-12-30 13:25:18 | 小説
    第四章 鹿の想い

治子が介抱してやった小鹿はお嫁さんを連れてくるようになり、仲睦まじくしている。
しかし、治子を見る目が潤んでいて、エサをくれる人間以上の想いが治子には感じられる。
成長した雄鹿の治子への想いは、自分達に小鹿が産まれてからもずっと続いており、雄鹿が治子にすり寄って来た時に
「あなたには奥さんが居るでしょ、浮気はダメよ。」
と声を掛ける毎日であった。
治子も若い雄鹿が人間であれば不倫に及んでいただろうと考えて、フッと白石との思い出が頭をよぎることが有った。
白石とは恋人ごっこであったが、体は激しく燃えていた。本当の恋人であれば、この上ない幸せであっただろうと考えると、寂しさが込み上げてきた。

治子はふっと、この鹿が人間であれば命を助けてあげた男性から感謝の心と愛する心を貰えるなんて素敵ではないかと考えた。

「ねえ、私とずっと一緒に居てくれる。」
「もちろんだよ、僕の命は全て君の贈り物だからね。体も心も全て君に捧げるつもりだよ。」
二人で知らない地に足を踏み入れたり、
名作のラブストーリーが上映されている空間で二人が主役になったり、
二人で小さな遊園地の迷路で迷ったり、
今日は特別な日だから奮発した食事をしたり、
太陽の下の広い海辺で水着を着た二人で駆けっこをしたり、
大空の花火を見た後で手に持った線香花火に火をつけて二人で眺めていたり、
大きな木の陰で背中合わせに座って本を読んだり、
思い切ってオーロラを見に行ったり、
今まで忘れていた思い出造りができたであろうと思うと治子は寂しさがこみ上げてくるのであった。

そして、治子はこの鹿の愛情が手に取るように分るが恋人にはなれない。
「あなたには雌鹿と小鹿がいるでしょ。」
「鹿の愛と、人間への愛とは別なんだよ。僕は鹿であり人間なので、人間の僕が愛しているのは治子さんだけなんだよ。もちろん鹿の時は雌鹿と小鹿を愛しているんだよ。」
「そんな都合のいいことが有るの?」
「僕の愛は鹿とか人間とか関係なく、生きているものに対する愛なのです。」