北の森から眺めてみれば

北海道に移り住んで十数年。ここから眺めた身近な世界、遠い世界の出来事をつづる日々雑感。

ヤンキー先生、どうしちゃったの?

2007-07-10 | 政治・経済
昨年の秋、義家弘介氏の講演を聞いた。少年時代にワルをやって不登校になり、余市北星学園を経て「善良な教師」となった彼の話はそれなりに面白かった。話そのものは巧くないし、ジョークとして語られた妻へのプレゼント「ハーゲンダッツ」の話にも失笑したが、私としては彼の語ったこの一言に得心した。
「教育とは人生の選択肢を広げるものであると思う」
この一言を聞いて私は彼が教師をやるのは大変意義がある事だと思った。自分の生い立ちを振り返った時、彼に人生の選択肢を与えたのが北星学園での「教育」だったのであろう。生活環境や境遇により、様々な困難を抱えて人生の目標を持てない若者たちを、彼ならたくさん救えるかもしれないと思った。

しかし…、
今回の参議院選挙に自民党の集票マシーンとして立候補した彼には失望した。失望というより絶望と言っていい。私自身は失望だが、彼の志はこの事によって絶望的な結果を招くであろう事は明らかである。まだ若いのだからやり直しはきくかもしれない。しかし、その事に一刻も早く気がついて元の道に戻れると良いなと、彼のために思う。

なぜ私がそう思うのかというと、今の自民党の目指している「教育再生」の中身は教育の迷走・腐敗に限りなく近いと思うからである。例えば安倍総理の考えている教育とは、戦前の家父長的道徳観と体制に従順な生活規範を植え付けようと言う魂胆が見えるからである。曰く「美しい日本」とは、大和心を尊び祖国のために喜んで戦地に赴き、勇ましく敵艦に体当たりする青年の育成である。
悪いが義家君、君はとんでもない思い違いをしているよ。と言いたい。大体、教育再生諮問会議のメンバーになったあと「イジメる方を停学にする」などという突拍子も無い方針を出してきたのが彼の発案らしいと聞いた時に違和感があった。まだ彼は「ヤンキー」から脱皮していないんだね。彼が議員になんかなってしまえば、ますます勘違いが増幅されて再び道を踏み外す事が予想される。体制に取り込まれ、都合よく自分の主張を順応・糊塗してありきたりの嫌な大人になってしまうのだろうか。残念である。



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