北の森から眺めてみれば

北海道に移り住んで十数年。ここから眺めた身近な世界、遠い世界の出来事をつづる日々雑感。

人生のアラーム

2007-11-14 | My History
自分の人生のアラームをセットしました。
あと半年の命です。
半年後、自分としては遺憾ながら
この世界と別れなければならなくなりました。
このアラームは正確ではないけれど、
間違いなくその近辺に行くと
動作し、私はわたしでなくなります。

さあ、私はこれから残されたわずかな人生を
一体どう過ごしたらよいのでしょうか。
今までやりたかったことを少しでもやりますか。
それともなにか記念になるものを
形になって出来るだけ長く残るものを作りますか。
こんなちっぽけな私でも、一国の総理大臣と変わらない
夢とか希望とか、色々と持っているものです。

友川かずきという私と同い年の歌手がいます。
「生きているって言ってみろ」という歌があります。
さあ、どうだ。お前は今肉声で「生きている」って言えるのか。
本当は「死んでいる」んじゃないか。
生きているって言える証のようなものがあるのか。

そんなメッセージが込められている。
歌手として洗練されていない、泥臭い、決して「うまい」とは
言えない歌を作り、自分で歌い続けている。
彼は間違いなく「生きている」って言える仕事をしている。
私は後ろから来る「そいつ」を受け流す、そんな存在なのである。

「60年代の素描」

2007-10-09 | My History
今年4月に出された川上徹氏のこの本は読んでみたいと思っています。60年代の最後の年に特別の思い入れがあります。
私は札幌のT高校を卒業して1969年3月に上京しました。実際大学に入学出来たのは1970年の事でしたが、一刻も早く日本の中心で「学生運動」に参加したかったからです。心配する親には「バカなマネはしないよ」と言いつつ東京で受験勉強するという事で上京、牛乳配達で自活しながらやる事にしました。早稲田にいた兄が探してくれました。
アルバイト体験の出発となった牛乳販売所は明治通を挟んで都電の学習院下停留所の向いにありました。
茨城出身の親方が用意してくれた下宿が神田川にほど近い豊島区上高田の三畳一間、小学校の向いにある小さな文房具屋の離れでした。最初部屋に持ち込んだのは布団一組、後から食卓用テーブルと椅子、電気スタンド、スチール本棚を買い、そこに受験の為の参考書を並べました。そしてちょっと奮発してソニーのステレオ式トランジスタラジオを買いました。音楽だけは唯一の娯楽だったのです。後に販売店のオヤジさんが「なんにもないと退屈だろ」と言って古いテレビをくれました。

食事は普段はコッペパンに店でもらった牛乳、後に電熱器と鍋・薬缶・フライパンを買い足し、インスタントラーメンも作りました。オカズはソーセージと卵、もやしなどでした。部屋を出て神田川の小さな橋を渡ると都電の面影橋、そこから線路伝いに10分も歩けば早稲田大学の構内でした。兄に教わって早稲田の生協学食で時々は少し栄養価の高いランチを食べました。地下鉄早稲田の近くの立ち食いそばもよく食べました。
あの当時、早稲田大学には門とか柵が無く、キャンパスが街の一部であって誰でも何時でも出入り自由な空間でした。その気になれば大教室の授業を聴く事だって出来ました。時は70年前夜、立て看板が林立し、ビラが配られ、アジ演説や集会が頻繁に開かれ、いつも騒然としていました。そんな大学に入る事を夢見ながら、東京での生活をスタートさせたのです。
なつかしい青春時代がよみがえります。

いちご白書 その1

2005-03-31 | My History
 1969年3月に、札幌のとある公立高校を卒業した私は、東京の有名私立W大学の受験に失敗していたにもかかわらず、上京した。学習院下の牛乳販売店に職を得て、W大のすぐ前にある予備校に通いながら、再受験を目指した。当時通った銭湯が、後に神田川に出てくる「横町の風呂屋」こと安兵衛湯だったことは後で知った-蛇足。

 しかし、時はまさに70年前夜。目前のW大紛争が全共闘によるバリスト突入となり、おきまりの機動隊導入、火炎瓶による抵抗、封鎖解除、ロックアウトとめまぐるしい情勢転換を目の当たりにする。私も予備校生の分際で、学生集会を見物し、有志を集めデモの隊列に加わったりした。

 明けて70年、再びW大の受験に失敗した私はこれ以上の足踏みはできず、地下鉄で駅二つ隣のH大学になんとか引っかかった。そして、新学期が始まる前に自治会を訪れ、サークルに入り「学生運動の闘士」となっていた。政治の季節だった70年をあっという間に駆け抜けて、いつしか学部の中核的なメンバーになっていた。

 71年になり、気がつくとアルバイトと学生運動の合間に授業に出るような生活だった私の視野に、ひとりの同学部の女子学生がいた。ショートヘアで丸顔で、目がクリッと愛くるしくて、形の良い厚めの唇で、少し顔を傾けながら早口にしゃべる、ミニスカートの似合うその子がいつも視野のどこかにいた。

 ある時、たまたま学生ホールで二人っきりになったとき、「なんか会議なんかすっぽかして映画でも観たいね」と私が言うと、「ウン、行こうっ」と思いがけなく一致。そのとき二人で観たのが「いちご白書」だった。それはまるで私たちの物語だった。日頃思ったり感じたりしていることを互いに日記で交換するようになった。まだ淡い恋心だった。…つづく