北の森から眺めてみれば

北海道に移り住んで十数年。ここから眺めた身近な世界、遠い世界の出来事をつづる日々雑感。

世襲議員、二世議員

2009-05-03 | 政治・経済
 以下のニュースである。
「自民党の選挙対策副委員長・菅義偉衆院議員は4月13日都内の講演で、「自民党も身を切っていると思われないと選挙には勝てない」と危機感を示し、具体策として両親から選挙区を受け継ぐ「世襲」の制限や、国会議員の定数削減などを挙げた。この後、党内から反論が出たが、菅議員は20日の講演でも改めて、「党の覚悟のほどを国民に示す必要がある」と「世襲制限論」を引っ込めなかった。これに対し小渕優子や鳩山邦夫など世襲議員からは様々な異論の声があがっている。」

 この話を聞いて菅氏の世襲制限論に対して「そうだ。その通りだ」と思う人は多いのではなかろうか。
しかし、私はもっと根本的におかしな議論になっていると思う。
結論を先に言うと、「世襲議員」は居ても良いと思うのである。ただし、という条件がある。

 この議論がおかしくなっているのは、そもそも「国会議員」という仕事が、親から子へ、子から孫へと引き継ぎたくなる様な「おいしい仕事」になっている点が問題なのだと思う。結局、長年続いてきた自民党保守政権には、絶対に手放したくない利権があり、一度やったらやめられない、他人には渡したくない「うまみ」があるからなのだ。

 これが政治の間違いの元なのである。高い議員報酬はもらえる、政治献金はもらえる、政党助成金ももらえる、それらの一部を地元の結婚式だのお祝い事などにバラまいて「先生、先生」とちやほやされれば、こんな良い商売はないのである。ぜひとも我が子に譲りたくなるのは当然だろう。長男の出来が悪ければ次男に、実子の出来が悪ければ従兄弟に、と世襲になる。

 政治家というものは、本来、PTA役員や町会役員のようにボランティアであるべきである。私利私欲を捨てて社会公正のために自らの力を発揮しようと言うものであるべきである。報酬は「名誉」だけで良いのである。本来税金から支払われている歳費としては、損しない程度の「経費」と一般国民並みの「生活費」さえ支給されれば良いのである。

 民主党の小澤代表が口にした(すべらせた?)ように、政治献金を全面禁止にして、議員報酬も一般社会の管理職並みに下げ、ひたすら公共の福祉のために働くシステムにして、それでも議員にしたければ世襲にして良いのである。いいや、どんどんなって欲しいのである。世襲議員バンザイである。「あの家は金持ちではないけれど、親子代々国のために立派な仕事をしているんだよ」と孫子の代まで語り継ごうじゃないか。なんなら私が国会議員をやっても良いくらいである。

コメントを投稿