北の森から眺めてみれば

北海道に移り住んで十数年。ここから眺めた身近な世界、遠い世界の出来事をつづる日々雑感。

「60年代の素描」

2007-10-09 | My History
今年4月に出された川上徹氏のこの本は読んでみたいと思っています。60年代の最後の年に特別の思い入れがあります。
私は札幌のT高校を卒業して1969年3月に上京しました。実際大学に入学出来たのは1970年の事でしたが、一刻も早く日本の中心で「学生運動」に参加したかったからです。心配する親には「バカなマネはしないよ」と言いつつ東京で受験勉強するという事で上京、牛乳配達で自活しながらやる事にしました。早稲田にいた兄が探してくれました。
アルバイト体験の出発となった牛乳販売所は明治通を挟んで都電の学習院下停留所の向いにありました。
茨城出身の親方が用意してくれた下宿が神田川にほど近い豊島区上高田の三畳一間、小学校の向いにある小さな文房具屋の離れでした。最初部屋に持ち込んだのは布団一組、後から食卓用テーブルと椅子、電気スタンド、スチール本棚を買い、そこに受験の為の参考書を並べました。そしてちょっと奮発してソニーのステレオ式トランジスタラジオを買いました。音楽だけは唯一の娯楽だったのです。後に販売店のオヤジさんが「なんにもないと退屈だろ」と言って古いテレビをくれました。

食事は普段はコッペパンに店でもらった牛乳、後に電熱器と鍋・薬缶・フライパンを買い足し、インスタントラーメンも作りました。オカズはソーセージと卵、もやしなどでした。部屋を出て神田川の小さな橋を渡ると都電の面影橋、そこから線路伝いに10分も歩けば早稲田大学の構内でした。兄に教わって早稲田の生協学食で時々は少し栄養価の高いランチを食べました。地下鉄早稲田の近くの立ち食いそばもよく食べました。
あの当時、早稲田大学には門とか柵が無く、キャンパスが街の一部であって誰でも何時でも出入り自由な空間でした。その気になれば大教室の授業を聴く事だって出来ました。時は70年前夜、立て看板が林立し、ビラが配られ、アジ演説や集会が頻繁に開かれ、いつも騒然としていました。そんな大学に入る事を夢見ながら、東京での生活をスタートさせたのです。
なつかしい青春時代がよみがえります。