北の森から眺めてみれば

北海道に移り住んで十数年。ここから眺めた身近な世界、遠い世界の出来事をつづる日々雑感。

「小市民」社会の憂鬱

2012-01-12 | ニュース斜め読み
 恒例により方々で新年の挨拶を交わすが、心してか知らずか「今年もよろしくお願いします。」とだけの挨拶が多い。あんな事があったから「明けましておめでとう」とはなかなか言いずらいのは確かである。
 国と国策企業の「共犯」となった人為的災害=原発事故で年が暮れ、この国の抱える問題点が、任をなさない「指導者たち」によって放置され続ける予感の中、新しい年を迎えた。

 長年経済界から尻を叩かれてきた消費税増税を「復興支援」を大義名分にすることで実現しようという政府・マスゴミ一体となった宣伝が繰り返され、物事を人任せにする習性の染みついた「小市民」が「それもやむを得ないだろう」と同調し、増税決定が目前である。しかしこれには絶体反対である。反対する大義は以下の通り。

 従来「社会福祉のため」という口実で創設された消費税は、過去1989年の創設から2011年までに(当初3%、97年より5%)238兆円が徴収されている。その一方で法人税率は1990年に40%から37.5%に、98年には34.5%に、さらに99年には30%に引き下げられるという大幅な減税処置が採られ、その間の大企業の減税額は223兆円に達している。庶民の増税が「社会福祉」にではなく実は「大企業減税」に使われたことが明らかである。こんなシステムのままでは、いくら消費税を増やしても、社会保障は良くならず、トヨタやソニーや東芝、キャノンなど大企業ばかりが内部留保を増やし、格差が拡大するばかりである。

 原発に対する政府の方針にも疑問である。「絶体安全な原発」が保障できない以上、将来的に廃止すべきである。今後も活断層地震や津波、可能性としては原発へのテロ攻撃もあり得る現代においては早急に廃止に取り組まなければならない。今回の事故で福島県の浜通り地区は「人が住めない」地域となった。領土を失ったのと同じである。さらに、福島の子供たちの健康被害も深刻である。本当に影響が出るのは5年後くらいからである。

 避難区域が20キロ圏から30キロ圏に拡大という政府方針も杜撰である。原発から30キロの同心円を画き、線引きしている。これも本当におかしな話である。原発から放出された放射性物質は、いつも同心円に広がるわけではない。地形とか季節の風向きとか天気によって30キロ圏内でも無害なところもあれば50キロはなれていても高濃度汚染されるところもある。なぜ行政はそうした具体的条件によって避難区域を設定し、避難指示を出すと言うことをしないのか。仕事が「おざなり」なのである。9時から5時までの勤務時間中にテキトーに策定しているだけなのである。

 新年早々、事件自体は小さいが、広島刑務所から収監されていた囚人が脱獄・逃走するという事件が報じられている。日を追ってその詳細な内容が報道されているが、知れば知るほど「あきれてしまう」刑務所側のずさんな管理体制が明らかになる。早々と刑務所の責任者が3人、揃って最敬礼し「申し訳ありませんでした」と謝罪を口にした。
 こんな場合、普通の感覚ならこの刑務所の幹部は「懲戒免職」であるべきだと思う。「訓告」とか「戒告」と言った処分で済まされることではない。
 工事中の足場が組まれていて、逃げやすい環境を作りながら、きちんとした囚人監視を怠った刑務所の任官全員が「クビ」と言っても良いと思う。国民の血税によって仕事を与えられているのに、その任を果たしていないのである。テキトーな仕事しかしていないのである。

 これは今日の日本社会に蔓延するサラリーマン病と深く共通する問題であると思う。放射能漏れを引き起こした東電の広報的役割にありながら、不倫で職を解かれた西山審議官もそうである。高学歴の学生に人気の「安定した職業」と言われる国家公務員を筆頭に、日本全体がそうした「サラリーマン」に仕切られているような気がする。公務員は国民の税金から労働報酬としてサラリーを受け取り、国民のために何が出来るか、どう役立つかを考え続け実現する仕事である。絶体に「小市民」になってはならない職業である。

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