北の森から眺めてみれば

北海道に移り住んで十数年。ここから眺めた身近な世界、遠い世界の出来事をつづる日々雑感。

近頃のニュースに思う

2005-03-12 | Weblog
 本当にいいニュースがありませんね。
特に犯罪が際限なく凶悪化し、倫理を無視してると言うか、逸脱してると言うか…、
本来若い者を諫める役の結構な年寄りが、だらしなく分別のない犯罪に駆り立てられているようです。
「近頃の若い者は…」と言える年寄りがすっかり見えなくなってしまいました。
いい加減なベテランの先生が生徒にわいせつ行為をはたらいたり、
国会議員が酒に酔って痴漢行為をはたらいたり。
もう決定的に道徳の崩壊、人間の自制心の崩壊とでも言うべきところに来ているようです。
これでは人間の希求するモノとして、人々がより幸せに暮らせる社会を目指すなど無理ですね。
現実はそれに完全に逆行しているかのように見えます。

 この原因は一体何なのでしょうか。私には少し見えています。一見それほど大きな影響がないところでの出来事が、人々の心を騒がせ、不安にして、ストレスを溜め、刹那的に発散させる方向へ導いている。そんなアブストラクト・センスで私には感ずるところがあるのです。

人口100人の地球村をコピペします

2005-02-12 | Weblog
もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。その村には──

 57人のアジア人
 21人のヨーロッパ人
 14人の南北アメリカ人
 8人のアフリカ人がいます
 
 52人が女性です
 48人が男性です 
 
 70人が有色人種で
 30人が白人
 70人がキリスト教以外の人で
 30人がキリスト教
 
 89人が異性愛者で
 11人が同性愛者
 
 6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍
 
 80人は標準以下の居住環境に住み
 70人は文字が読めません
 50人は栄養失調に苦しみ1人が瀕死の状態にあり
 1人はいま、生まれようとしています
 1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
 そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています

ブログのタイトルから

2005-02-05 | Weblog
 「北の森から…」は私の住んでいる北海道南部の自然を背景にしたものですが、例しに「北の森」で検索をかけてみると、あるわあるわ…かなりの量で色んなサイトをヒットしてきますね。でも、そのうちのかなりの部分がテレビドラマ「北の国から」に関わっているものであるようです。このドラマはもう終わって20年以上も経つというのに、その後スペシャルで続編が作られるなどして日本人の心の中に大きな影響を与えてきたと言うことなのでしょう。

 私もこのドラマは最初の数回は見逃したものの、後に再放送などで全部ビデオに保存して何度か見直しました。当初、北海道育ちの私にとっては方言とか、人物描写に若干物足りなさはあったのですが、倉本聰さんの人間観察眼には敬服します。いま、「優しい時間」が放映されていますね。

 さて北の森ですが、これは北海道でも南部の森林をイメージしています。特に黒松内近辺の「ブナの森」です。日本のブナ林では宮城県、岩手県、秋田県あたりの紅葉樹林が有名ですね。特に秋田青森県境の白神山地や仙台から近い船形山など植生が良いようです。私の実家の近くには野幌の原生林と言うのがあって昔そこを訪れたことはあるのですが、笹藪や下草が多く、少し痩せた森のイメージだったと記憶しています。

自己暗示

2005-02-01 | Weblog
 今朝、私は妻に「オレは今日から44歳になるから。」と高らかに宣言しました。実年齢よりも10歳若くなろうというわけです。歯を磨きながら鏡を見ていてなぜこんな事を思いついたかというと、日頃から人の実年齢と見かけ年齢には差があると思っていたからです。たとえば、女優の森光子、十朱幸代、男優では田村正和、尾藤イサオなど実年齢よりも10歳から20歳若く見えるではありませんか。昨日もテレビで中條きよしが「もう60近いですから」なんて言うのを聞いていたら、無理して見かけより上の実年齢を言う必要はないと思ったのです。

 私はかねがね「へえー、若く見えるね」とよく言われてきました。その度に「いやぁもう50すぎてあちこちガタがきて…」などとしきりに実年齢を公表してきたのですが、考えてみるとそれって意味のないことに思えてきたのです。それでもう無理をしないで見かけの年齢でこれからの人生を過ごそうと言うわけです。もちろん公文書とか戸籍とかはごまかしが利かないですが、それ以外なら関係ない。ずっと自分も十歳若返ったつもりで過ごそうというわけです。これで人生が十年ほど余分に生きられる。ちょっと儲けた気分です。

 ところで私より平均7歳年下の妻は、今日から3歳ほど年上の、つまり姉さん女房ということになります。妻には一応言っておいた方がいいと思い、宣言しました。しかし妻は、私の顔も見ず「???」というか、反応がありませんでした。きっと説明しても理解できないでしょう。なにしろ彼女は「固定観念」の塊のような人ですから。「なにバカなこと言ってるんだか」と思うに違いありません。だから私はそれ以上言いません。心の中で「オレは昭和35年生まれ、君は32年生まれだ」と密かに確認したのです。
 さあ、定年の60歳まであと16年、これからの人生設計をどうするか、楽しみです。

津波

2005-01-26 | Weblog
 2004年12月26日にインド洋沿岸を襲った巨大地震、それに続く大津波は、史上最大級の惨事を引き起こした。死者15万人、負傷者50万人、避難者500万人という悲劇は、人類はそう度々は経験していない。しかも、惨禍は国際的な規模に及ぶ。アジアの八つの国、アフリカの五つの国が、同じ日に天変地異に襲われた。アジアとアフリカの13カ国の他に45カ国前後のおよそ1万人が、死亡あるいは行方不明とされる(スウェーデン人2000人、ドイツ人1000人、イタリア人700人、オーストリア人500人、フランス人200人、ニュージーランド人200人、さらに日本人、メキシコ人、コロンビア人、ブラジル人、フィリピン人、等々)。
 今回の場合、現地に先進国の観光客や現地企業人として欧米人が多数おり、犠牲者に含まれていたことが世界的な反応を呼び起こしたと言える。もしもこの悲劇が、アジアだけの出来事であったならば、これほど世界中で「我が事」として衝撃を持って受け止められ、重要視されることはあり得なかったであろう。

 津波にやられた国々に約束された政府や民間の援助は、現時点でおよそ40億ドルに達している。誰もが金額の大きさを礼賛する。しかし、他の出費に比べてどうなのか。アメリカの軍事予算ひとつとっても、年間4000億ドルにのぼる。2004年秋にフロリダがハリケーンによって深刻な、とはいえ今回のインド洋の惨禍には比べるべくもない被害を受けた時、アメリカ政府は即座に30億ドルの支援金を出した(今回は1億5000万ドル)。そして国連のアナン事務総長によると、この種の援助金は多くの場合約束通りそのまま支払われた例しが無いという。

 一方、世界銀行の最新統計によれば、被災国のうち5カ国の対外債務を合計すると3000億ドルにのぼる。その返済は並たいていのことではない。年に320億ドル以上、つまり、この数日間に発表された「気前のよい」贈り物の約束の10倍に相当する。世界的に見ると、貧しい国々は債務の返済という名目で、豊かな北半球に毎年2300億ドル以上を支払っている。これでは世界が逆さまだ。津波を契機として、打ちのめされた国々の債務返済を猶予することも示唆されている。だが、必要なのは猶予ではない。債務の純然たる帳消しである。アメリカが、軍事的に占領するイラクの債務について、最近パリ・クラブの同輩諸国に強要したのと同様の措置である。イラクという石油と天然ガスに恵まれた国のためにできることが、それよりはるかに貧しいうえに、ノアの大洪水を思わせるほどの惨事に見舞われた国々のためになぜできないのだろうか。 このあたりにテロリズムとの戦いの鍵があると思われるのだが。