北の森から眺めてみれば

北海道に移り住んで十数年。ここから眺めた身近な世界、遠い世界の出来事をつづる日々雑感。

心が顔を作る…

2013-12-02 | 政治・経済
「デモ隊の絶叫戦術は、本質においてテロ行為と同じ」というトンデモ発言を自らのブログで公開し、批判が集中すると撤回した自民党執行部の石破幹事長。民主国家の議員としてこの発言に現れている世界観は、あまりにもお粗末としか言いようがない。
 デモンストレーションというのは、政治権力に対して自らの投票権以外なんらの直接的表現手段を持たない市民が、止むにやまれぬ思いでモノを言うための民主的な権利である。署名活動などもその一つであるが、一人では声を上げてもあまりにも小さくかき消されてしまうが、同じ思いの人々が集まって大きな声を上げて主張するのは、世界の民主主義の歴史の中で何度も繰り返され、大きな成果を上げてきた「示威行動」として、万人に保障されてきた人権の一つである。

 中国の「天安門事件」やフィリピンの「人民革命」、あるいは東欧の「ルーマニア革命」や「ベルリンの壁崩壊」などは、市民のデモが発端となって歴史の歯車を大きく回転させた事件である。
 そんなデモ隊の集まる人数が多ければ多いほど、声が大きければ大きいほど、その批判対象となっている権力者にとっては「聞きたくない」「認めたくない」ものであるのは当然のことである。しかし、民主国家の統治者は、その声に真摯に耳を傾けるべきなのである。
 秘密保護法案に反対するデモ隊の声が大きくなるのは当然である。それを聞きたくない、認めたくない石破氏の思想こそ独善的であり、デモ隊をテロと同列に見るなど、天安門事件の時の中国の指導部と共通のものであろう。極めて危険な思想である。
 思想は顔にも表れる。特にあの「目つき」は異常である。

コメントを投稿