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引越しいたします。

「東トルキスタン運動」の紹介本 時事通信 服部健司氏

2005-12-27 23:10:43 | レビヤ・カディール

たまたま手にとった本がこういう題で「東トルキスタン運動」の紹介の章があったりする。「平凡社新書 世界テロリズムマップ」 <iframe marginwidth="0" marginheight="0" src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=truthofsilkro-22&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4582852114&amp;fc1=000000&amp;IS2=1&amp;lt1=_blank&amp;lc1=0000ff&amp;bc1=000000&amp;bg1=ffffff&amp;f=ifr" frameborder="0" scrolling="no" style="WIDTH: 120px; HEIGHT: 240px"> </iframe>

出てくる人たちがオサマにザワヒリ、オマル、ヤシン、オジャラン、バサーエフ、グスマンに岡本公三、シンガンスにマクベイ、他にも知らない人で有名な「テロリスト」が一杯という本。

中国東トルキスタン担当が時事通信社の服部健司という人であった。服部氏は1955年生まれで1990~2002年まで中国在住最後の4年は中国総局長であった。
服部氏は「東トルキスタン独立運動」がにわかに注目されたのは同時多発テロが契機であったとする。
2002年8月26日、日本でもおなじみの当時のアメリカ国務次官補、リチャード・アーミテージ氏が訪中日程を終え北京のアメリカ大使館広報文化部での記者会見を行った。
「それから、中国側はETIM(東トルキスタンイスラム運動)をテロ組織リストに載せるという決定に満足を示した。」
これがアメリカがウイグル独立派を見捨てた瞬間だとする。
9.11以後でも当初はウイグル独立派がテロ集団だとする中国の主張は西側に受け入れられなかったという。そこで中国側は独立派はアフガンのタリバン、アルカイダとつながっているというキャンペーンをはじめた。
週刊誌「三聯生活週刊」が2001年11月始め「東突分子のベールを剥ぐ」なる特集を組み中国人民大学の専門家、張国鳳教授などに取材し独立派の1000人以上ががアルカイダのキャンプでテロ訓練を受け新疆に潜入、テロ活動に従事していると主張した。
銭基シン副首相はこの情報を確認、2002年1月22日に国務院新聞弁公室が「東突テロ勢力の逃れがたい罪科」なる報告書を発表した。
そこでオサマ・ビン・ラディンが1999年初めにETIMの幹部と会談し、資金援助を約束し、ETIMとウズベキスタン・イスラム解放運動およびタリバンの協調行動を要求したとする。ETIMのほかにもこの報告書には多数のウイグル独立派団体の名前がでてくるが、乱立気味でほとんど実態はわかっていない。
ETIMの幹部として名前が挙がっているのがハサン・マフスム、中国側の一方的な主張に寄れば1998年2月にメンバーをつれて新疆に潜入、秘密基地などを設け150人のテロリストを養成したなどとしている。しかしこれは客観的事実でなく、詳しいことは何もわかっていない。
これに対して東トルキスタン情報センター、アブドゥウジェリリ・カラカシ氏は2002年2月に「本当のテロリストは誰か?」という声明を出し、何者かにウイグル独立派が中国国外で惨殺された例が4つに及ぶと反論している。
しかし圧倒的な中国の情報戦略により、ETIMはテロ団体との烙印をアメリカや国連にも押されてしまった。
中国の激しい弾圧で独立派は力を失っている。しかし、活動は先鋭化しウイグル人の理解がある限り闘争は続く。

こういった内容であるが、最後に注目すべきはレビヤ・カディール(ラビヤ・カディル)さんが独立派に資金援助していたということが「発覚した。」と述べている。(しかし1999年の逮捕、収監については記述なし。)自分はこういう話は聞いたことがなかった。本当ならば中国当局が宣伝にもっと使ってもよさそうなものであるが、服部氏はどこからこの情報を得たのだろう?
全体的には中国の報道が中心の記述だが、あくまでも一方的だという注釈つき、活字でレビヤさんを一行でも取り上げている稀有な例の一つである。

押田さんのブログの以下のエントリーがこれらの情報に付いて詳しい。ハサン・マフスムのその後についても。

http://oshida.exblog.jp/1327343/

http://oshida.exblog.jp/1306231/