【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【森山浩行】大阪に立憲民主の旗なびく、もりもり候補とえだのん(枝野代表)「集団的自衛権は同盟国の戦争」「憲法を守れ!当たり前のことを言わせるな」

2017年10月16日 01時16分31秒 | 森山浩行 大阪16区

[写真]立憲民主党の森山浩行さん、枝野幸男代表、2017年10月15日、大阪16区、南海・堺東駅前で、筆者・宮崎信行撮影。

 第48回衆院選の焦点は、中盤、やっと「集団的自衛権安保法制」(2015年9月強行採決、2016年3月施行)の是非になってきました。

 (日付をまたぐ前の)きょう(平成29年2017年10月15日)の選挙サンデーに立憲民主党の枝野幸男代表が、大阪16区の森山浩行公認候補の応援にかけつけました。

 私が南海「堺東」駅で、街頭演説を見るのは、菅直人さん、長妻昭さん、岡田克也さんに続き、合計4回目。しかし、きょうは9年ぶりにやってきました。というのは、今朝の朝日新聞で、当地で森山浩行さんがリードしているとの中盤情勢を見たからです。昨日の新宿演説会に久しぶりに触発されたこともあります。すなわち、森山さんが情勢1位の「晴天の日」にだけ当地にあらわれるのが筆者・宮崎信行。良い子のみなさんは私のような大人になっては駄目ですよ。でも、お天道さんは見てござる。雨が私を迎えました。

 なお、私は良い場所をとっていたのですが、後から来た、関テレ(関西テレビ放送)さんと、NHKさんに場所を譲ったので、映像が見にくくなりました。雰囲気物とお考え下さい。こうやって、「後から来た人に譲る」から、私も長くやっていけるんだよね。

 それはさておき、会場には、大阪府内ナンバーの、民進党という文字に「立憲民主党」の張り紙をした宣伝カーが登場。早めに行った私は、演説開始までに合計5名以上の知人に会いました。9年経っても、同じ人が集まる、森山さんの人徳。

 やや興奮した私に、街頭演説会の冒頭、連合大阪の山崎弦一会長(電機連合)がカウンターパンチ。連合大阪会長は「みなさん、きょうの朝日新聞で森山浩行がリードしているという記事が出ました。しかし、これでゆるんじゃがっかりです。これでゆるんじゃだめなんです」と簡潔明瞭なメッセージ。さすがは連合地域協議会会長であり、私としては本部の神津李季生会長に見習ってほしいと感じました。



 きのうの小林よしのりさんの演説から、集団的自衛権とは、日本の戦争にアメリカを巻き込むのではなく、アメリカの戦争に日本が巻き込まれるのだ、という平和安保法制の詭弁が、ようやく、第48回総選挙の焦点にすえられた、と私は思います。

 森山浩行さん、通称モリモリは、「安保法制は同盟国とともに一緒に戦争するといおう法律です」と強調し、大きな拍手を得ました。

 枝野幸男代表、通称えだのんは、「安保法制、集団的自衛権、憲法を無視してやることか。(解釈改憲という)やり方がそもそも立憲主義に反する。(第3次安倍自民党・公明党政権は)ルールを守れ!その当たり前のことを当たり前にやるのが立憲民主党です」と語りました。

 

 私は2日間で、枝野代表の演説を延べ4回聞きました。きょう興奮した聴衆のみなさんに水を差すようですが、よく聞くと、当たり前のことを当たり前に、分かりやすく雄弁に演説しています。いわば、当たり前のことを言っているだけです。しかし、政権交代ある二大政党政治において、小選挙区での演説は相対的な概念であり、どちらがまっとうな政治、どちらがましな候補者かを選ぶ選挙です。

 同党がどれだけ票を取るかは見えません。比例は大勝ちするかもしれませんが、小選挙区はむしろ失速すると考えるのが妥当です。選挙運動最終日となる、今週の土曜日にも演説会をやるようです。票を取りに行くことが優先ですが、2度目の参加をしたい人は、友達を連れて行くのがいいでしょうね。

 政権交代ある二大政党政治の当たり前の選択肢を、289小選挙区すべてで、持つことができない、第48回衆院選は慙愧に耐えません。

 とはいえ、私はなぜか明るい気がします。

 大阪16区には、立憲民主党の元職・森山浩行さんと、公明党の前職・北側一雄さんの2人が立候補しています。

 このエントリー記事の本文は以上です。

 以下には、当ブログ内で過去に書いた、森山浩行さんの記事を再掲して、このエントリーは終わります。所属政党に関しては、今第48回衆院選と違っていますから、日付にご注意ください。以下のエントリーには筆者が撮影・所持していない、写真も含まれており、ご懸念なら、メールアドレス(miyazaki@wa2.so-net.ne.jp)にご連絡ください。

 (C)2017年、宮崎信行

[以下、当ブログ内エントリーから関連記事を紹介]


僕の“カリスマ”を紹介します(1) 森山浩行さん(大阪16区)

2008年07月23日 06時26分11秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代

(このエントリの初投稿は2008-07-23 06:26:11)

 さてさて。

 とても大事なエントリのアップを忘れておりましたm(_ _)m

 2月、最年少町長さん当選の翌朝から、私は近畿で“幸運のたすきリレー”をして参りました。

 一人はアップ済みの前衆院副議長の中野寛成・大阪8区(豊中市)総支部長です。

 そしてもう一人は、ジャジャーン!なんと、堺市(堺区・北区・東区)=大阪16区総支部長、森山浩行(もりやま・ひろゆき)さんです!!!

 え、ご存じない? 確かにそうでしょうね。こっちは新人です。

 堺市議、大阪府議をやりましたが、全国的な知名度などあるわけありません。第45回総選挙での初当選をめざして、日常活動に励む森山浩行さん。これはかなり良いタマです。

 民主党公認内定者の紹介ページはこちらをクリックするとご覧になれます。

 でも、この男の名前を覚えておいて損はありません。私が保証します。

 ああ、初当選前の人間をこんな風に言ったら、叩かれちゃうかな。心配だな。

 でも、こういう風に思える人間って一生に何人も会えるわけではない。私は首相をはじめとする多くの政治家を見てきました。その経験と照らし合わせると、これは確信です。ただ、この確信をブログに書くと、叩かれたり、上滑りしたりするんじゃないかといろいろ考えていたんです。でもやはりハッキリ書くべきですね。

 森山浩行(37歳)、

 この男、宰相の器(代表の器)
です。



[阪急百貨店前で演説する森山さん。地の底から響き渡るようなエラく良い声]



[こういう“いかにも”な構図の宣材写真に潜在能力を感じます]

 私には民主党内に数人、宰相の器にあると思う政治家がいます。

 各年代に総理候補がいます。1971年(昭和46年)4月8日生まれの森山浩行は団塊ジュニア世代での代表格。

 私が森山と出会ったのは、1992年4月。1993年6月18日の宮澤解散の1年2ヶ月前。当時は日本に自由主義政党は自民党しかありませんでしたから、私は自ずと、自民党学生部(全国学生交流会)に入りました。

 その初めの会合で、新年度の副会長として紹介されたのが、明大法学部2年生だった森山先輩。とにかく第一印象は腹の底から沸き上がる「エラくいい声」。「どうも森山です」という声と同時に床が響き渡ります。そのときの五感の記憶(The memory of sence)は今も強烈に残っているし、同級生も同じような印象をもったようです。

 森山さんは明大雄弁部の代表選手で、中央大、日大、國學院大などの弁論部が作る「全関東学生雄弁連盟」の委員長をしていました。

 同時にカンボジア、旧ユーゴスラビア(セルビア及びモンテネグロ)、ロシア、阪神大震災などでボランティア活動をしました。



 森山さんを訪ねたとき、ちょうど「コソボ」が独立した直後だったので「コソボに行ったことがありますか?」とたずねました。森山さんは「いやあ、ないね。クルマで通過しただけだよ」とのこと。もう一度確認すると、コソボに“行った”ことはあるんです。でも「クルマで通っただけだよ」と。森山さんの言葉では、「行った」扱いにはならない。この辺は私たちの世代の感覚です。「アメリカには何度か行ったことがあるけど~」と切り出すおじさんがいますが、「何度か」だったら回数くらい正確に言ってほしいものです。だれかと張り合っているんでしょうが。

 森山さんは「コソボを通過した経験がある」わけです。その経験があれば、情報を入れて、想像すれば、国会での議論もしやすくなり~~ああ、違った。まだまだ国会議員じゃないんです。こういうことを言った瞬間に通るものも通らなくなりますね。
 自重、自重(>_<)。

 森山さんは明大卒業と同時に、帰阪。関西テレビ放送(関テレ)に就職します。そして堺市議、大阪府議の合計10年以上、東京を不在(absence)にしています。この間、私も結婚式の二次会(東京会場)で会って以来で、本人に会ったのは、10年3ヶ月ぶりでした。

 あまり久しぶりという感じはしませんでした。この10年3ヶ月間に森山さんのことが友人・知人の間で何度も話題になっていたからです。例えば・・・

 ◇

 國學院卒のA君「森山さん、大阪の大学に行けば良かったって嘆いているんだってささ」
 私「市議選を闘っていてそう感じたんだろうけど、あの人はいずれ国会に出てくるだろうから、4年間外から大阪を見た経験は大きいと思うけどね」


 ◇

 私「森山さん、関西テレビ時代に和歌山カレー事件なんかで随分、全国ネットに出ていたそうですね」



 明大卒の相模原市議「そうらしいね。俺も見たことないんだけど、『出ていた』ってしょっちゅう聞くよ」


 ◇

 早大卒のB君「なんか、森山さん、地方議会の限界に悩んでるらしいよ」
 私「800万(860万人)自治体の大阪府議会でも限界を感じるんだねえ、ため息だね」

 ◇
 私 「いやあ、私の先輩で頼もしい男がいるんですよ。大阪府議会から堺市長選挙に出て、3万票差だったんですよ。もう政令市移行が確実になっている状態でしたからね。もし通っていたら、いまごろ34歳の政令市長ですよ」
 高級官僚 「すごいですね、で、当選した市長はどれだけとったんですか」
 私 「9万票弱です。投票率低すぎですよね」
 高級官僚 「(かなり驚きながら)・・・ですね」 

 ◇

 というように、森山浩行というのは、僕らにとって、やたら気になる存在なんです。で、今ご紹介した森山さんに関する“伝言ゲーム”。本人に確認したら、「全部正解」だそうです。

 私は子どもの頃から、政党の幹部が、自分の選挙区に一回も帰らないのに当選するのが不思議でなりませんでした。どうして、本人がいないのに当選するのだろう?

 でも、それはこういう風に気になる(予定)候補者に関して伝言ゲームがはじまる。そして、ある程度正確な伝言ゲームをしてくれる人間が集まる(予定)候補者が当選していくということなんでしょう。

 あ、いやいや森山さんがどうなるかはまだまだ分かりませんが・・・


「こないだ奥さんには会ったけど、あんたと会うのは初めてだよ!」


[右は「票の半分をとってくる」という奥さん

 
[三国丘高校同級生の山本さん(手前)、明大雄弁部後輩の釘島さん(奥)。この写真には写っていませんが佐々木さんらが森山さんを支えます。人生経験豊かなシニアボランティアの方々を含めて森山応援団は日々強力になっているようです]

 堺市役所は大阪16区にありますが、大阪17区(ベッドタウン)と大阪15区の一部も堺市です。

 彼は、堺市議、大阪府議(堺市選挙区)、堺市長選挙と、堺市全域を選挙区として3回の選挙をたたかいました。

 今回は小選挙区ですから、それより区域が小さい。
 「森山君、こんどは何の選挙?」とからかわれることもある第45回総選挙ですが、森山さんは生まれ育った地域から立つことを選択した。

 堺市長選では、大阪17区に位置する西区・南区などでトップ得票だったので、「もったいない」と言う支持者が多いようです。が、これは票を伸ばすためにベッドタウンに家を借りて引っ越していた成果だそうです。政治家として大成するためには、このくらいしなきゃダメです。今は地元に戻って、基本からきっちりと活動しているんです。


[“日本の夜明け”を訴える森山の演説は帰宅するみなさんにどのように響いたのだろうか]

 さて、この人は日常活動もアイディアマンなんですね。
 「始発から終電までマラソン演説」、「堺の名所までウォーキングしながらポスティング」など・・・

 というわけで、次回エントリ

“堺の鉄人28号” 森山浩行さん(大阪16区) 僕の“カリスマ”を紹介します(2) 

 で彼のアイディアマンぶりをご紹介致します。


“堺の鉄人28号” 森山浩行さん(大阪16区) 僕の“カリスマ”を紹介します(2) 

2008年09月09日 23時26分59秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代
(このエントリーの初投稿は2008-09-09 23:13)

[写真は大阪府議会議員に当選した森山浩行さん=2003年]

 僕の“カリスマ”を紹介します(1)森山浩行さん(大阪16区)の続きです。

 前回エントリーから1ヶ月半が経ちました。堺はことしも暑かったようですが、僕の“カリスマ”は2008年夏(民主党の青春)の日常活動に元気に取り組んでいたようです。

[陽炎の中「1000回スポット演説キャンペーンに取り組む森山さんの2008年夏]

【20時間マラソン演説!】

 堺市(堺区・北区・東区)大阪16区の総支部長、森山浩行(もりやま・ひろゆき)さんと仲間たちの恒例行事は、始発から終電までマラソン演説。これは堺市内の駅頭で、午前5時5分ころの始発から翌日未明0時20分過ぎの終電までの20時間近く演説し続けるという街頭演説。どうだ!この根性。

 さすがに一人でしゃべり続けるのは大変なので、神奈川県議、三重県議、愛媛県議らが応援して3人がかわりばんこにしゃべります。


[朝から]


[晩まで]

 ある金曜日、このマラソン演説隊の前を4回通ったサラリーマンがいたそうです。

 ①自宅→会社への出勤途中
 ②会社→営業先に向かう途中
 ③営業先→会社に帰る途中
 ④会社→飲み屋に向かう途中

 さすがに4回目には、この方、「あんた応援するわ!」。

 「朝立つ人はよく見るが、4回も見たのは、あんたが初めてや。感動したわ。組合もいつも以上に熱出してやると思うで」。

 森山さんは前回市長選で、連合さんが支援する候補(現市長)と対決したのが気がかりだったようですが、連合さんは見るところはちゃんと見てますから大丈夫なのではないでしょうか。

【日曜日は地元の歴史探訪&ポスティングデー】

 この人の日常活動はほかにも面白いですね。

 例えば、大阪16区内には仁徳天皇陵などの名所がありますが、みんなで歩きながら、森山さんのビラを配って歩く「歴史探訪&ポスティグンデー」という行事。自分の住んでいる自治体の名所というのは意外に行ったことがないですから、みんなで楽しく歩いておしゃべりしながら、見て歩こうという考えですね。ついでにビラも配れちゃう(^o^)

  
[後援会の有志のみなさんと楽しみながら・・・]

【森山浩行進化論】


①笑いの都・大阪生まれの大阪育ち(大阪府堺市)
 ↓

②東京に出て、大学弁論部で鍛錬
 ↓
③関西テレビ放送社員(同社幹部には上沼恵美子さんの夫も)
 ↓
④堺市議会議員当選
 ↓
⑤大阪府議会議員当選

 ↓
⑥堺市長選挙落選(次点)
 ↓
⑦民主党大阪府第16総支部長として政権交代へ・・・

[写真は24時間マラソン演説]

 この写真。秘密道具をたずさえて、真冬の夜明け前に演説する森山さんです。「自分を指さす人差し指マーク」を自作しました。これは「暗くて分からないと困る」という演出です(あまり効果がないので、すぐにやめたそうですが・・・)。


[花とともに・・・心優しい力持ち]

 どうですか、このユーモア感覚(大阪っ子+東京6大学弁論部+関テレ)。ユーモア感覚に限定すれば、民主党はいまだに“ハマコー軍団(自民党)”にはかないません。今の民主党にない物を持っている人、それが森山さんです。政権交代に絶対に必要な人なんです。


[月州中学校の水泳部や三国丘高校柔道部で鍛えた強靱な体。腹の底から響き渡る良い声も20時間マラソン演説の体力もこの体を見れば納得]



 森山さんは“政権交代”という僕らの夢をかなえる“堺の鉄人28号”なのかもしれないと思ってきました。ぜひ、森山さんが挑戦する大阪16区の現職は誰か、ご確認いただきたいと存じます。

[画像=Amazon鉄人28号 白昼の残月 DVD

「金で死なないでいいんだよ」 金融庁のメッセージ、森山浩行さんが引き出す 

2010年10月27日 21時25分42秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議

[画像]衆院内閣委員会で質問する民主党衆院議員の森山浩行さん、2010年10月27日、衆議院インターネット審議中継からキャプチャ

【衆院内閣委員会 2010-10-27】

 二大政党の議員は、秋の臨時国会を前に委員会の配置換えがあり、慣らしておいて、翌年の通常国会を迎える、というパターンが定着しています。森山浩行さんは、これまでの衆院経済産業委員に加えて、内閣委員も兼ねるようになりました。内閣委員会というのはこれは、面白い委員会で、首相官邸・内閣府に属する、すべての大臣が登場しますので、質問者がテーマを持って、政務三役に質問をすると、いろいろと出てくるおでんのような委員会です。

 私なんかは、森山さんというと、強いリーダーシップでぐいぐい引っ張る明治大学弁論部長としての「バンカラ番長」「猛獣使い」というイメージが強烈で、私は今でも引きずっていますが、国会議員になってからは、民主党秘書会の女性も、新聞記者の男性も彼を「やさしい感じの人だ」と評すので、「ふーん、印象というのはいろいろなもんだな」と感じておりました。こうやって、イメージのギャップを把握し、それが生じた理由を研究することは、ケネディ登場後の政治を分析するうえで、もっとも重要なことだ、と私は考えています。

 内閣委員会での初質問となった森山さん。ことし改正貸金業法で、1人に対する融資総額がその人の年収の3分の1以内に総量規制されましたが、金融庁政務官(内閣府大臣政務官)の和田隆志さん(広島7区)から、「多重債務などの負債の問題で命を絶つということはぜひしないでいただいきたい」との政府のメッセージを引き出しました。

 森山さんは「私は経済産業委員会の兼務で、(内閣委員会にも)所属させていただいておりまして、(経産委では)昨年から中高年の男性50代、60代の自殺に関心を寄せてきました。『経済問題」が理由の第一です。もちろん生命保険を担保とした融資は当然許されていないわけですが、それでも何年か経ったら、『ええんやろ』と言って自殺して、お金を返す、と。こういうような意思を持つ方が多いのではないか、と実感をしております。相談窓口があるんですが、『相談窓口なんか行ったって金貸してくれるわけやなし。そんなもん、役立つか!』というのも風潮としてあるかと思います。金融庁の相談窓口の現状についてお聞かせください」と関西弁をまじえて質問しました。

 答弁に立った和田・金融庁政務官は「今、森山委員ご指摘の通り、自殺の実態をご説明しますと、昨年を通じて多重債務を抱えて、それを苦になくなった方が1630人ほどおられるという統計でございます。それに、連帯保証(人としての)債務など、負債全般にわたって苦しんで命を絶たれた方を数え上げますと、合計3000人を超えておりまして、つまりは(自殺者の)1割はこういった理由に基づくという深刻な事情でございます」との認識を示しました。

 和田政務官は答弁を続け、「ご存じのように、ことし、改正貸金業法が完全施行になりましたので、その関係で、いろいろとお悩みを抱えている方のフォローアップとして、(金融庁に)チームを設置しました。『キャンペーン2010』として、(金融業界、自治体など)関係機関にも働きかけているところでございます。 例えば、さきほど、『窓口に行っても・・・』という話がございましたが、そこは、(金融庁が)幅広く悩みをお聞きしまして、それが債務の悩みであろうが、他の人生の問題であろうが、お答えしていくという幅広い対策をとっています」と説明しました。

 お金というのは、仕事と生活を動かす“荷札”に過ぎません。ですから、のっけから「お金の相談だけしろ」というのは無理な話。その人の生活そのものの実態を把握した上で、生活の立て直しを考えていかなければ解決できません。

 和田隆志さんは、「東大法学部→大蔵省(財務省)官僚→衆議院議員」というまさにエリート経歴を歩いて生きた人です。それならば選挙は圧勝かというと、そうではなく、自民党の「東大法学部→大蔵省(財務省)官僚→衆議院議員」という全く同じ経歴の人と小選挙区で激突してきました。ましてや、その相手、宮沢洋一(宮澤洋一)さんには「元総理大臣の甥っ子」という肩書きも加わりますが、苦労の末、第45回衆院選でついに小選挙区で初めて勝ち上がり、衆院3期目を迎えています。政治家にしては珍しく、とてもハニカミ屋の和田さんですが、政府としての強いメッセージを打ち出すために、「ちなみに・・・」と業界団体が作ってくれたパンフレットを取り出し、ハニカミながらも、金融庁、業界が連携してのフォローアップ体制ができていることをアピールしました。

 
[画像]ハニカミながらパンフレットを紹介する和田隆志・金融庁担当政務官とそのハニカミぶりに苦笑する玄葉光一郎・国家戦略大臣、2010年10月27日衆院内閣委、(衆院インターネット審議中継からキャプチャ)

 日本社会を支える社長さんたちの99%は東大法学部なんか出ていませんから、和田さんはこうやって答弁席でパンフレットを紹介するという、分かりやすい格好で、「多重債務などの負債の問題で命を絶つということはぜひしないでいただいて、私たち社会全体で支援の手をさしのべていきたいと考えて行きます」との政府全体のメッセージを発信しました。

 一方、メッセージ発信はお手の物、フジテレビ系関西テレビ(関テレ)出身でハニカミ知らずの森山さん。「ドラマなんかでも『死んで返せや』というのが横行している」とかつての仲間たちに苦言を呈しました。

 そのうえで、「つまり、借金のこと、『金で死なんで、いいんだよ」というメッセージを(政府としても)しっかりと発信していくということだと思います。『お金の問題で死ななくていいんだ」ということを政府の方でもドーンと言って頂きたく思います。私の質問を終わらせて頂きます。ありがとうございました」と質問を締めました。

 あの夏から1年2ヶ月。143人の政権交代チルドレン(民主党1期生)の中で、森山さんは「仕分け人」だとか「幹事長補佐」だとか陽の当たるポストにはなかなかつけないのですが、言葉以上にドーンと伝わってくるメッセージを感じました。

金融庁の無料相談会など「キャンペーン2010」のホームページ↓
http://www.fsa.go.jp/policy/kashikin/20100930.html


代議士を育てるのは誰か? 森山浩行 【追記あり】

 

2010年12月06日 19時52分53秒 | 宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki

 

[写真]民主党の森山浩行衆議院議員(当選1回、大阪府第16区=堺市、衆院・経済産業委員、災害対策特別委員会理事、内閣委員)

 鳩山由紀夫首相(民主党代表)はその最初の国会での演説(第173臨時国会)の中で、「かつての、だれもがだれもを知っているという地縁・血縁型の地域共同体は、もはや失われつつあります」として、「次に私たちが目指すべきは、(略)だれかがだれかを知っているという信頼の市民ネットワークを編み直すことであります」として“誰かが誰かを知っている共同体”を提唱しました。

 その意味を、「あのおじいさんは一見偏屈そうだけどボランティアになると笑顔がすてきなんだ、あのブラジル人は無口だけど本当は優しくて子供にサッカー教えるのもうまいんだよといった、それぞれの価値を共有することでつながっていく、新しい絆」だ、と民主党政権最初の所信表明演説は謳いました。

 私は、団塊ジュニア、第2次ベビーブーマーです。1971年4月生まれから1974年3月生まれと定義されています。

 団塊ジュニア、第2次ベビーブーマーである私たちは、所帯持ちは子供が2人いて「イクメン」として夫婦共同で子育てをする人が多い一方、独身で両親と暮らし、志を持って、おこがましくも「有権者を代表して国会をウォッチ」している私もいます。

 でも、この1年で感じたのは、「誰かが誰かを知っている共同体」である僕らの仲間は、「誰もが森山を知っている共同体」としてつながっているように思いました。

 民主党衆議院議員(大阪16区)森山浩行さんは1971年4月8日生まれ、私・宮崎信行は1974年3月1日生まれです。そして、それはその人が東京に居ようが、大阪に居ようが、ニューヨークに居ようが、一生変わらない。

 「誰かが誰かを知っている共同体だけど、誰もが森山を知っている共同体」。

 私は学生時代に森山さんと知り合っていて、「森山番長」のイメージが強かったのですが、政権交代後に森山さんを知った民主党秘書会員、新聞記者、同期当選の衆院議員によると、「森山さんはやさしい感じがする」のだそうです。複数の人が言っているのだからそうなんでしょう。ちなみに、彼が21歳の時から知っている私のことを、その1年後に知り合った森山さんの奥さんは「悔しい」と言っています(^_-)

 実は6月の代表選で、森山さんは、私が推した候補者でない候補者を推しており、それは森山さんは国会議員で様々な判断に基づく立場だから当然尊重していますが、そのプロセスを後になってから、報道および「誰もが森山を知っている共同体」のメンバーから知って、その時に私は「そんなスケールの小さい政治家だったのか」「何で記者出身なのにそんな簡単なことに気付かなかったのか」「3ヶ月後に定期代表選があるという政局感に欠けていたのではないか」と激高しました。すると、それはすぐに森山さんに伝わっていました。悪口は本人の前で言うのが私の信条ですが、森山代議士は超多忙ですし、その私の意見というのは、正確に本人に以心伝心で伝わっていたようです。言葉は要りませんでした。

 さて、丈夫そのもののの森山代議士ですが、2010年9月29日、最愛の母、森山由利子(もりやま・ゆりこ)さんが63歳で旅立ちました。子宮頸がんです。国会閉会で少し時間が出来たので、ファイルを整理していたら、2009年9月17日、森山浩行、初登院のときの画像が出てきました。森山さんの家族や後援者のみなさんは早朝に堺を出て、上京し、森山さんと一緒に初登院しました。そして、議員バッジをもらった森山代議士と一緒に国会見学をしたときの写真です。



[写真]そして、代議士になった当日、はしゃぐ森山浩行・衆議院議員の背中をほほえんで見つめる森山由利子さん(2009年9月17日、宮崎信行撮影)。

【追記 2010-12-19】

 お詫びと訂正です。12月6日夜の初投稿から、19日午前中まで、ここに掲示していた写真は他の方の写真でした。森山さんから指摘がありましたので、お母様の写真を探し、訂正しました。お母様、森山事務所にご指摘いただいた支援者のみなさま、森山議員、関係者各位にお詫び申し上げます。【追記おわり】

 「森山浩行を育てる集い in 東京」ということで、39歳の青年代議士を育てる役目は、有権者に引き継がれました。
 「誰かが誰かを知っている共同体だけど、誰もが森山を知っている共同体」は引き続きメンバーを募集しております。

【追記 2010-12-19】

 パーティー当日のもようを写真でご紹介します。(すべて宮崎信行撮影)

 冒頭は会議室で、「藤井裕久先生の講演」。「藤井先生の話なら聞きたいな」とパーティ券をご購入下さった方も多かったようで、営業しやすかったそうです。川端達夫議院運営委員長(前文科相)が真っ先に顔を出された後、開演後も、森山さんが初当選したときの代表である鳩山由紀夫前総理、問責決議をやられてご心労も多いと思われる馬淵澄夫・国交相、松本剛明・外務副大臣も列席しました。

 
[写真]鳩山由紀夫前総理と森山浩行さん(宮崎信行撮影)


[写真]あいさつする国交相の馬淵澄夫さん(宮崎信行撮影)


[写真]1時間たっぷりと財政、税制、経済の見通し、民主党のあり方を語った藤井裕久さん(宮崎信行撮影)

 藤井さんは、「控除から手当へ」の民主党税制(財政)は、個人に直接お金が行くことで、消費を喚起して、経済を回復するものだとしました。また、消費税増税にはまず政治家が身を切る(歳費と定数の削減)が必要だとしました。ドルに関しては、「私は浜矩子さんと仲がよい」として、浜矩子・同志社大学教授が主張している「ドルはもはや国際基軸通貨ではない」とする浜理論の方向性に近いことを示唆しました。


[写真]司会は永江孝子・衆院議員(右)。永江さんは南海放送アナウンサー出身で、関西テレビ記者出身の森山さんと「テレビ局出身」「政権交代チルドレン」という共通点があります(宮崎信行撮影)。

 
[写真]パーティー会場に場所を移して。ここら辺は中締め近くの写真です(宮崎信行撮影)。左の写真は宮崎岳志衆院議員のあいさつ、右は大阪府立三国ヶ丘高校の同級生の方のあいさつです。高校生のころから「将来は総理大臣になると言っていた」とか。司会は羽田次郎さん。写真はありませんが、野田佳彦財務大臣、武正公一さん、西村智奈美さんら多くの国会議員も閉会中なのにかけつけました。

 印象に残ったのは、パーティー会場での藤井さんの話。政権交代前、藤井さんは野党、森山さんは総支部長時代。「そこに後任の(財務大臣の)野田君がいるから言うわけではありませんが、私が応援演説に行ったときに、彼は関西空港まで迎えに来てくれたんですね。でも、むだな時間かも知れません。でも立派な人間だなと思いました」とおっしゃっていました。

 ボランティア・スタッフ30人くらいかな。そして、他の議員の秘書さんの応援は、数人で、要所要所(来賓の案内など)にお願いするだけという珍しい政治資金パーティーでした。中締め後も、1時間前後、立ったまま、話の輪が咲いていました。

【追記おわり】



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