【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【岡田克也】大阪在住なのに大阪万博に行ったことが無かったと明かす「高校3年生のころマンションから太陽の塔を見ていたから十分だ」と強がる、同時期に父がジャスコ創業で多忙だったのが影響か

2023年01月17日 22時58分25秒 | 岡田克也、旅の途中
[写真]大阪万博が開かれた「千里丘陵」、15年前の2008年に、宮崎信行撮影。

 岡田克也さんが、1970年3月から9月までに開かれた「大阪万博」に行ったことが無かったことが分かりました。きょうの記者会見で筆者の質問に答えました。

 岡田さんは「当時私は高校3年生だったが、マンションから太陽の塔が見えたので、それで十分だ」と大阪万博に行ったことがないと認めつつ、強がりました。 

 1970年3月は、岡田さんの父の岡田卓也さん(97歳)が、三重県から大阪市に引っ越して、大阪府吹田市の「シロ」兵庫の「フタギ」三重の「岡田屋」が集まり、「ジャスコ」(日本共同仕入れ会社という意味)を創業。岡田社長の就任が1970年4月で、いきなり新入社員960名を受け入れています。このため、卓也さんは万博に見物で行く気はなかったものと考えられます。

 一方、父と次男の2人暮らしを選び、週1回訪れる母の作り置きの料理を温める生活を自ら選んだ克也さんも、三重の中学から大阪教育大学付属池田高校の1年生に入学したことから、仲間内でチケットが回ってくる環境でなかったと推測されます。また2人暮らしでありながら、父に反発し「漠然とした公なものへの憧れ」で東京大学法学部をめざしたため、苦手な勉強に専念していたものと思われます。岡田さんの母の母が大阪に住むよう強く助言していたと岡田さん自ら明かしています。

 また「太陽の塔が見えるマンション」はシロが吹田市にあることや、「はるかに仰ぎ見る大巨頭の、ダイエーの中内さんよりも、見栄えの良い賃貸住宅に住んでハッタリをかます」として商売人マインドで選ばれた住宅に、岡田さんが同居していたということかもしれません。

 今週、安住淳国対委員長と岡田克也幹事長が、再来年の2025年大阪万博建設地を視察することについて、「国の行う事業であって一度見ておきたいと思っていました」とし、大阪府の対応は副知事の同席と、立憲民主党に所属する地方議員だけにとどまると明確に強調しました。

 以上です。


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