
[写真は山本孝史さんの哀悼演説で咽び泣く尾辻秀久さん=23日参院本会議]
【追記2017年】こちらもご参照ください→【広報】6月11日(日)、NHKホールで、故山本孝史物語、朗読劇「兄のランドセル」、田中健さん、市毛良枝さん、尾辻秀久さん、村木厚子さんら 【追記終わり】
【国会傍聴記 2008-1-23 参院本会議】
山本たかし(山本孝史)さんへの哀悼演説が、代表質問のあと行われました。
演壇に立ったのは、慣例に基づき山本さんが所属した民主党の反対党である自民党から。
尾辻秀久・参院議員会長が、厚労委の仲間として、そして厚労大臣として参院厚生労働委員会で山本さんと渡り合った思い出を交えて、山本さんを偲びました。
これに先立ち、江田五月議長がすでにご遺族に届けた弔詞を全議員起立の下、朗読しました。
モーニングに黒ネクタイ姿の尾辻さんが壇上へ。
〔傍聴席には山本さんの遺影を抱いた山本ゆき夫人らご遺族の姿がありました〕
2007年12月22日胸腺癌のため享年58歳で亡くなった山本さん。
尾辻演説によると、胸腺癌は極めて珍しい病気で、2005年1月、国立がんセンター中央病院で「ステージ4の状況」と診断され、ゆき夫人は「余命半年」と告げられました。
山本さんは兵庫県芦屋市に生まれ、大阪市南船場町に移りました。
5歳の時、兄がトラックにひかれて死亡。
「母が亡骸となった兄の脚を泣きながらさすっていたのを鮮明に覚えている」。
この経験から、交通遺児育英基金(あしなが育英会)の活動に進みました。
尾辻さんは自身が小泉内閣の厚労大臣だったときの参院厚労委員会での山本質問の議事録を読み返したそうです。
「助太刀無用の真剣勝負だ、と断って質問をはじめた山本さんに、私は明らかに役所が用意した紙を読みました」とし、とっさに自分の言葉で答えると、不確かな答弁だったにもかかわらず、山本さんが「武士の情け」を示してくれたことを打ち明けました。
年金記録の不備(「消えた年金」)など社会保障改革にかけた山本さんの参院での活躍ぶりを紹介。
「厚労委での小泉首相との討論はいまでも語りぐさとなっています」
(演壇下に手向けられた花)
「私事(わたくしごと)で恐縮ですが、」と断って参院本会議で自らががん患者であることを告白したがん対策基本法の討論で、「山本さんは『年間30万人のがん死亡者、3万人の自殺者の命が救われますように、議場のみなさんにお願いします』といつもと同じたんたんとした口調で話しましたが、あのときは抗ガン剤の副作用苦しみながら演説したのでしょう」
「衆参延べ37本の議員立法を提出し、命を削って立法者の責任を果たした。国会議員こそ立法者である、との信念を貫かれた」
尾辻さんは「がんも自殺もともに救える命」との山本さんの口癖を振り返りながら、「バトンを渡しましたよ、たすきをつなぐようしっかり引き継いでください。そういう山本さんの声が聞こえてきます」とむせび泣きながら声を絞り出すよう話しました。
「(山本)先生、きょうの外は雪です。(病のため)ずいぶん痩せておられましたから、寒くありませんか?」
「先生と自殺対策推進基本法の名称が『自殺推進基本法』と間違われると困るから(推進の)2文字を消してしまおう、と話したあの日のことを懐かしく思い出します」。
尾辻さんは嗚咽をもらしながら、こう述べました。
「あなたは参議院の誇りであります。社会保障の良心でありました。参議院議員としてのお別れの言葉といたします」
〔山本孝史さん、日テレ「NNNドキュメント'08」〕
参議院インターネット審議中継
(ビデオライブラリの1月23日の本会議、休憩後、午後の2時間36分ごろから尾辻演説です)
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