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ニュースサイト 宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

福田衣里子さん、民主党公認で長崎2区から出馬へ

2008年09月16日 19時25分14秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代

 朝日新聞の16日付夕刊は、薬害C型肝炎原告団の福田衣里子さん(27歳)が長崎2区から民主党公認で出馬する意向を固めたと報じました。

 長崎2区は長崎市の一部と島原市、諫早市、西海市、雲仙市、南島原市、西彼杵郡で構成。現職は国営諫早湾干拓事業をすすめた農水官僚出身の自民党平成研の久間章生さん。

 これで民主党の長崎県内の選挙区(1区~4区)は候補者が出そろいました。同時に同県で民主党独占の可能性が浮上し、一躍、注目県のひとつになりました。

 私は昨年12月の衆院厚生労働委員会で、民主党の山井和則さん(京都6区)の舛添厚労相に対する質問を傍聴する福田さんの姿を間近で見ました。

 改めて言うまでもありませんが、大変整った顔立ち。背筋がピンとしていて、真正面から食い入るように質疑を見つめていました。その福田さんの姿には、とても強い印象を受けました。さっそく福田さんの著作を読んでみました。幼稚園はイギリスで過ごし、毎週末、父親が連れて行ってくれた欧州の国々の記憶が、貴重な人生の糧になっているとのこと。

 広島修道大学を1年で休学し、再び世界を見ようとした矢先に薬害C型肝炎キャリアであることが判明。薬害肝炎訴訟の原告は団長の山口美智子さんら「フィブリノゲン」というミドリ十字の血液凝固製材を投与された人が多いのですが、福田さんは「クリスマシン」をこの世に生を受けた瞬間に投与されました。

[当ブログ内から抜粋して、再掲します]

 『It's now or never 私は早く、C型肝炎とさよならしたい!』福田衣里子著、書肆侃侃からの抜き書きです。

 福田衣里子(ふくだ・えりこ)さんは1980年長崎市生まれ。父親の仕事の関係で幼稚園からロンドンに。4歳半で帰国、長崎に。

 ――4歳半の頃、帰国した。大きな世界の存在を教えられ、小さい町へと押し込められた。それが私の中で、無意識ではあるが、常にある大きな不満となった。

 長崎西高校卒業。広島修道大学人文学部心理学専攻に進学。

 ――19歳、大学を1年で休学し、旅に出た。
 大学を卒業してからでもよかった。なんで、せっかく合格した大学を休学してまで、行かなければならなかったのか。その時、理由は全くわからないけど、今行かないといけないと強く思った。(略)

 20歳、「C型肝炎ウィルスに感染して、20年経過しています」と言われた。
 あんなにも焦っていた意味が今だとよくわかる。

 2004年4月、実名公表。

[再掲おわり]


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 次期衆院選の長崎2区で、民主党から出馬要請を受けていた薬害肝炎九州訴訟原告の福田衣里子さん(27)=長崎市=が立候補する意向を固めた。近く記者会見して、正式表明する。同選挙区は、久間章生・元防衛相(自民)が10期目を目指して立候補する予定。

 関係者によると、福田さんは立候補することで、超党派で活動してきた原告団や弁護団が活動しにくくなるのでは、などと心配して慎重な姿勢を示していた。だが、薬害肝炎被害者救済法の対象にならない多くの肝炎患者を救うために、と意思を固めた。「たくさんの人に支えてもらったおかげで生きていられる。これからは命をつなぐようなことをしたい」と話しているという。


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