ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

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岡田克也さんは渡部恒三さんについてどう語ったか、自民党経世会黄金時代「あの時は異常だった」と離党全く後悔せず

2020年10月04日 22時57分18秒 | 岡田克也、旅の途中
[写真]岡田克也さん、東京・新宿の早稲田大学構内で、8年前の2012年、宮崎信行撮影。

 渡部恒三さんが亡くなりました。

 岡田克也さんは、これまで、公式に発信していないことを、三重3区や全国の岡田ウォッチャーで気づいている人がいるかもしれません。

 実際には、残暑厳しい、先々月、2020年8月26日の「無所属フォーラム代表」の立場での記者懇談会で言及しています。該当部分を全文書き起こしましたので、ご紹介します。

 岡田克也さんは立憲民主党(9月15日結党)常任顧問に就任しました。

 以下のやりとりのうち、7奉行は「竹下派7奉行」と「民主党7奉行」の両方の意味が含まれています。

 竹下派7奉行は、渡部恒三さん、羽田孜さん、小沢一郎さん、奥田敬和さん、橋本龍太郎さん、小渕恵三さん、梶山正六さんの7名。

 民主党7奉行は、岡田克也さん、野田佳彦さん、枝野幸男さん、玄葉光一郎さん、前原誠司さん、仙谷由人さん、樽床伸二さんの7名。

 新生党には羽田さん、小沢さん、渡辺さん、奥田さんの4奉行が参加しました。立憲民主党には、岡田さん、野田さん、枝野さん、玄葉さんの4名が参加しました。

 該当部分の全文書き起こしは以下の通りです。

2020年8月26日 衆議院第一議員会館。

記者(宮崎)渡部恒三先生が亡くなりました。岡田さんは30年間のうちほとんどが、同じ党、渡部副議長のときに所属政党が無くなってしまったことはありましたけど、ほとんど同じ党。あさっては羽田孜先生の命日でもありますが。

岡田 誰の。

記者(宮崎) 羽田孜さん。まあ民主党七奉行というのが世間一般では知られているようですが、そのうち4人が新党に参加しますけど、それも含めて渡部恒三先生、改めてコメントをお願いします。 

岡田 何にコメントすればいいの。

記者(宮崎)渡部恒三先生のご逝去についてコメントをお願いします。

岡田 そうですね、渡部先生は私が自民党時代に、もちろんまだ公認ももらってなかったんですけど、最初の決起集会のとき駆け付けて来て、応援演説していただいた方なんですね。

 えー、まあ、たいへん懐かしいですが、あの演説でけっこう皆盛り上がったと。そのことをよく覚えています。

 その後も東京に後援者がバス旅行なんかでくると、渡部さんに演説してもらったり。

 ただ、渡部先生のパターンって6つくらいあるんだけど、なんか、間違えておんなじ人たちにおんなじ演説をされたこともあったりしたんですけど。とてもお世話になった先生ですね。

 我々が経世会を出るときに、3人か4人かということが問題になって。つまり七奉行のうち4人とも、羽田さん小沢さんは固まっていたので、あと、奥田さんと渡部恒三さん、ま、渡部恒三さん、最後までひっぱりあいになったんですけど。まあ、説得して来ていただいたとか。自民党時代はそんな思い出ですね。

 その後、時々こう、集めてごちそうしていただいたりしていました。私は最初の七奉行にはたぶん、入っていなかったと思うんですけど、ちょっと年長だということで。途中から入れていただいて。

 まあ、非常にユーモアのある。そして幅のある政治家だったですね。

記者(宮崎) 最初の自民党時代の演説のときは、現職の自治大臣・国家公安委員長の立場で見えたと思うんですが。そのときに、「自民党中選挙区三人目の公認予定の岡田君だけど、陳情は自治大臣の私が全部引き受けますから」という趣旨の演説をされて、会場が盛り上がったとうかがったことがあります。

岡田 それは、大きな演説の場ではありません。ただ、なんか「自治会長を集めろ」と言われて、自治会長さんみんな声をかけて、もちろん任意で来ていただいたんですが。

 「あなたたちの陳情のことは全部私が処理しますから」と言われたそうですね。もちろん処理はできないんですけど。みんなもまあ眉唾みたいに聞いてはいたけど、力強かったですよね。まあ自民党流のやり方ですよね。

記者(宮崎) 90年、ちょっと前は自民党竹下派の黄金時代でしたけど、今、野党というお立場で、少し隔世の感があるかたと思うますけど、だいぶ違うな、という感じはしますか。

岡田 いや。ちょっとあの時代は異常でしたよね、バブルが弾ける前で。まあ自民党の黄金期だったかもしれませんけど、まあ、そういう中で、私も矛盾を感じながら離党するという決断にいたるわけですけどね。いい面と悪い面と両方あったと思いますけど。

司会(芳野政策秘書)はい、いいですか、他に・・・

岡田 あと、恒三先生でね、非常に強烈の思い出は、一回だけゴルフしたことあるんですよ、福島に行って。

 そのときになんか、秘書と支援者と2人連れて来られていて、先生は自分の都合のいい時だけ、打つんですよ。ラフに行くと、なんか代わりの若い人が打ったり。パターは最初の一発しか打たなくて、後は、秘書か支援者か知らないですけど、なんかうまい人が打っておられて。「いいスコアだ」と喜んでおられたので。まあこういうゴルフもあるのかなと記憶に残っていますね。

記者(宮崎) スコアは自己申告ですか。

岡田 いや、自己申告というか、三人でゴルフやっているんだから、向こうは。いいスコアになるにきまってますよね。うまい人がやるんだから、ほとんど。

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Ⓒ2020年、宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki


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