福田内閣の官房副長官をつとめた自民党の大野松茂さん(72)が10日、埼玉県狭山市内の自宅で記者会見し、次期衆院埼玉9区への出馬を断念し、政界を引退することを発表しました。
埼玉9区は飯能市、狭山市、入間市、日高市、入間郡毛呂山町、同越生町。
大野さんは狭山市長から衆院議員に転じ、当選4回。今回の引退と関係があるかどうか分かりませんが、6月30日付の朝日新聞が、大野さんが衆院に当選した5日後に狭山市に対して大野さんの親族の私有地の売却を持ちかけ、実際に狭山市が購入したが、現在も未利用地(塩漬け土地)のままである、と報じました。本人も認めていました。
大野官房副長官の親族、狭山市に土地売り納税 「道路用」塩漬け11年(朝日新聞)2008.06.30
埼玉県狭山市が、道路用地として大野松茂・官房副長官(衆院埼玉9区、自民)の親族から買い取った土地が、11年の間、利用されていないことが分かった。買い取り価格は大野氏側の希望した2億8千万円余。同氏側は当時、相続税の手当てに困っていたという。その後の地価下落で土地には約8500万円の含み損が発生している。大野氏は「他の土地も市に売ろうとしたが、それは断られ、市から望まれてこの土地だけを売った。市に圧力をかけたことは一切ない」と言っている。(西川圭介、野上祐)
大野氏は狭山市長を8年間務めた後、96年10月20日の衆院選で初当選。大野氏の説明によると、土地の売買は、その5日後に大野氏側から書面で市に買い取りを申し入れ、希望売却価格は約2億8258万円だった。一方、同氏の妻と長男は同年11月11日に大野氏の亡父からの相続に伴う相続税(約5億6千万円)の支払期限を迎えており、同日、この土地などを担保に銀行から約4億9千万円の融資を受け、相続税を納付したという。
市の文書などによると、市が大野氏側からの買い取りの申し出を受理したのは同月28日。その後、実際に売買されたのは97年3月で、価格は大野氏側の売却希望額と同じだった。4月4日には根抵当権も解除された。
狭山市の道路計画は、近くに既存の道路があるうえ、周辺の住宅地の買収も必要だったため、公有地の取得を審査する市の委員会内にも当時から計画の実現を疑問視する声があったという。
土地は、西武新宿線狭山市駅に近い店舗と住宅の混在地域にある面積1439平方メートルの「畑」。96年1月、大野氏の妻と長男が相続した。民間の評価機関によると、現在の評価額は約1億9700万円で、買い取り価格より約3割下落、市の含み損は約8500万円になっているという。
道路計画は60年に都市計画決定されて、一部で工事が進められているが、市が大野氏側から取得した土地のうち道路予定地は約3割で、計画は土地取得から11年過ぎた現在でも実現のめどがたっておらず、現在はグラウンドゴルフの練習場になっている。
こうした現状に、市内部には「計画通りの整備は困難」との見方もあり、土地に隣接する別の道路を拡幅する案も浮上。この拡幅案でも土地の多くは道路用地には使われない見込みという。
この土地について狭山市は「道路計画は今も有効で必要な土地と考えている。予算がつけば周辺の住宅地でも粘り強く用地買収を行う」とし、買い取り額については「市も鑑定したが、売り主側の提示額の方が低くそちらを採用したようだ。ただ、鑑定書はすでに廃棄されている」と話している。
●「市のため、圧力一切ない」
大野副長官の話 亡父の相続税の物納を税務署に認めてもらえず、親族が土地を担保に金を借り、最終的に土地を市に売って銀行に返済した。都市近郊の農家はみな相続税に苦労している。
当時は選挙で忙しく、すべてを顧問税理士に任せていた。民間に売った方が高く売れただろうが、市のためにと思って売った。市に圧力をかけるようなことは一切していない。
道路整備が遅れているというが、将来的に必要なものは確保するべきだし、結果的に塩漬けになっている土地はいっぱいある。あの土地はグラウンドゴルフの練習場にもなっており有効利用されているし、住宅地に空き地を確保する意味も大きいと思う。
■大野氏と親族の土地を巡る動き(大野氏の説明などから)
60年 3月 道路計画が都市計画決定される
86年 5月 狭山市長に初当選
96年10月20日 衆院選初当選
25日 親族側が土地の買い取りを市に申し出る
11月11日 相続税の納付期限。土地を担保に借り入れ、納付
28日 市が買い取り申請を受理
12月25日 市が買い取り決定を大野氏側に通知
97年 3月24日 市が都市計画道路用地として土地を買い取り
4月 4日 根抵当権が解除される
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民主党の埼玉9区総支部長は五十嵐文彦さんです。
五十嵐さんは時事通信社出身のため金融・財政に明るく、民主党内の税制議論でも積極的に発言することで知られており、早期の国政復帰をめざしています。
時事通信政治部記者時代には、いまだに政治記者の間で語り継がれる武勇伝があります。中曽根首相の後継者をめぐり、五十嵐さんは「中曽根首相、後継首相に安倍晋太郎外相を指名へ」と報じました。結果として首相になったのは竹下蔵相でしたから、誤報です。しかし、五十嵐さんはこの記事を書いた時点で「竹下首相」の流れが決まっていることを知っていて、あえて誤報を書いたとされています。五十嵐さんは竹下蔵相よりも安倍外相の方が内閣総理大臣にふさわしいと考えていて、最後の一矢としてこの記事を書いたとされています。自由民権運動時代の新聞記者の気概を思わせる人間味のある一流ジャーナリストです。
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