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宮崎信行の国会傍聴記 ニュースサイト

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

日本維新の会共同代表の馬場伸幸さん「創始者・松井一郎に結党メンバーが従うから」大阪維新の12年間のガバナンスのコツを話す、「次の代表は誰になるか分からないが合議制で世代交代をスムーズできる人」と色気

2022年04月18日 18時11分18秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして
[写真]馬場伸幸・日本維新の会共同代表、きょう令和4年2022年4月18日、東京プリンスホテルで、宮崎信行撮影。

 日本維新の会の共同代表で国会議員団代表の馬場伸幸さん(4期、大阪17区)はきょうの共同通信きさらぎ会で講演・質疑応答し、「松井一郎代表が何か言えばそれに従うことが続いてきた」と語り、大阪維新の会の内紛が少ない秘訣は松井さんに結成メンバーが従うからだとしました。

 馬場さんは講演で「岸田首相の施政方針演説は成長と分配、分配と成長だけで改革がなかった。日本維新の会は日本大改革プランを打ち上げているが、それができるのはまったく組織・企業団体がないから」とし、組織がないとの認識を示しました。

 そのうえで、同党の歴史について、「第三極では新自由クラブの次に長く続いている。大阪で生まれた政党」とし、2010年に大阪府議会で「自民党大阪維新の会」という会派ができ、その際、堺市議だった馬場さんにも旧知の松井さんから「堺でも立ち上げてくれないか」と言われて、「自民党大阪維新の会」を立ち上げたとしました。統一地方選で、府議会過半数、大阪市・堺市議会でも第一党となった際には「自民党の分派による増殖活動ではないか」とみられていたものの、「定員2割減・報酬3割減」をすぐに実現したことで信頼を得て、その後12年続いているとの歴史観を示しました。

 筆者・宮崎信行が2016年の第24回参院選の全国比例で、「片山虎之助・渡辺喜美・石井苗子・石井章」の4名が当選した際に、府・市議団の一部から「大阪と関係ない人ばかりだから、議員辞職させて大阪関係者を繰り上げ当選させよう」との案があがったが、それを党内でおさえたのは松井一郎さん一人の力ではないかとの見立てを問うと、馬場さんは笑顔でうなづいたうえで全体の構図を語りました。

 馬場さんは「橋下徹と松井一郎の二人は創始者なんですね。どういう立場、どういう役職になっても、そういったメンバーに対して与える影響力は大きいものがあります。2010年に大阪維新の会を立ち上げるまでのもともとのメンバー、ほとんどが自民党のメンバーですが、そういったメンバーは松井一郎という人間に対して親和性を持っていて、彼が何か言えば、みんなはそれに従うというのが続いてきました」と述べ、松井共同代表の一声が党をまとめてきたとしました。

 ここまでは過去の話ですが、馬場さんは続けて、未来の話をしました。

 馬場さんは「しかし、(2011年の第17回統一地方選で)橋下チルドレンと呼ばれる若手のメンバーが誕生しまして、吉村洋文知事もそのひとりです。そういったメンバーは我々の世代とは少し違う考え方があるので、今後そういうこと(松井体制)は少し薄れていくと思いますし、(きょねんの第49回選挙で)衆議院議員も全国で誕生させていただいたわけですし、参議院の(第26回)選挙でまた数が増えれば、そこはきちっと組織としての合議制によって物事が決まっていうことになると思いますので、次の代表、誰になるか分かりませんが、次の代表は世代交代をスムーズに移していくことが最大のミッションになると思います」と述べました。

 松井さんが58歳、馬場さんが57歳、吉村さんが46歳。松井さんの次は「8番キャッチャー」を自称する馬場さんが合議制での共同代表色を強めて、吉村さんの世代まで、「合議制で世代交代をする次の代表」に色気があることを、明確に示したものと考えられます。

 馬場さんは「日本大改革プラン」のグラフィックレコーダー(話の内容をイラストと文字で表現したもの)を示し、近く漫画版をつくって、第26回参院選で活用する方針を強調。「税制のシンプル化」「社会保障の事前給付による統一化」「解雇規制解禁など労働市場改革」の「グレートリセット三本柱」を広く強調していくたたかい方を示しました。




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立憲民主党「決算」に黒田東彦・日銀総裁を9年目で初めて呼ぶ、財務省「欠損・債務超過は日銀法がそもそも規定していない」黒田さんは「物価安定目標2%」を強調し逃げ切り有力

2022年04月18日 18時09分46秒 | 第208回通常国会 令和4年2022年1月
[写真]日本銀行本店、東京・中央区日本橋本石町、6年前の2016年6月、宮崎信行撮影。

 ウクライナ侵略と、米・欧の金融緩和終了とバランスシート圧縮・利上げによって、円安が進行。黒田東彦日本銀行総裁の10年間の任期が残り1年で切れることもあり、衆議院での「決算承認案の審査」に初めて日銀が呼ばれました。

【衆議院決算行政監視委員会 きょう令和4年2022年4月18日(月)】
 原口一博さんが委員長。「平成30年度決算承認案」「令和元年度決算承認案」の総括質疑となりました。

 立憲民主党は金城湯池「神奈川県連」の篠原豪さん、青柳陽一郎さんコンビが登場。この後、藤岡隆雄さん(栃木4区比例)が登場。この方はだいぶ前から名前を知っている印象ですが、意外にも初当選の1期生。たしか、みんなの党・栃木の渡辺喜美元金融相とともに売り出していた気がしますが、あくまでも立憲民主党公認で初当選したフレッシュな議員。

 藤岡さんは金融庁出身も含めてか、黒田東彦日銀総裁を参考人に呼びました。藤岡さんは「日本だけ量的拡大を続けて、利上げできないのは積み上げた金融政策のジレンマだ」と強調。鈴木俊一財務大臣が先週金曜日の会見で「悪い円安」と表現したことについて藤岡さんは審議時点で1ドル126円台と過去50年間で最も安くなっていると指摘すると、黒田さんはセクターごとで違うが、「過度の変化は、企業の事業計画の策定が難しくなる」との弊害があるとし、国民生活には言及しませんでした。

 藤岡さんは財務省の岡本三成副大臣に質問し「日銀法は剰余金が出た期はその5%を基金に積むことを義務付けているが、損失が出た期に繰延ができるかどうかについては規定がそもそもない」との答弁を得ました。鈴木大臣は「日銀の(バランスシートの)債務超過を禁じる日銀法の規定はない。そのときの金利や為替に左右されるので、財務省は念頭においていない」と応じました。

 そのうえで、藤岡さんが(量的緩和をやめるという)出口戦略がないのではないかと指摘すると、黒田さんは「いわゆる出口戦略うんぬんですが、2%の物価安定目標が達成されれば、議論する」とし「現状そういう状況はありませんので、現在の金融総動員を続けていく」と述べました。

 黒田さんは残り1年逃げ切れそうです。日米での為替と金利の差による影響が拡大しても、緩和マネーが余っているので、政府がさらに国債を追加発行してお金を調達して、国民に給付する余地はまだかなりあります。例えば日本人による運行の特約付きで新幹線を海外ファンドに売って現金を得る必要などまったくなく、政府はまだ数百兆円の国債を歳入にできるわけで、円安がさらに進む可能性はありますが、給付金で生活を底支えする余地はかなりあります。財務省と日銀で、五百兆円玉を発行してしまうなど方法論は多様です。

 しかし、黒田さんが衆議院決算行政監視委員会に呼ばれたのは合計2回目。前回は予備費使用総調書の審議時で、「決算承認案」の審議に日銀が出てきたのは、アベノミクス10年で初めて。

 財務省の執行残、巨大予備費など、量的緩和とコロナで財政民主主義は大きく変質しました。今後は、日銀の「政府の子会社化」がより進みますので、こういう機会も増えそうです。

 次回のこの委員会の日程は未定ですが、テレビ入りになると思います。

【参議院決算委員会 同日】
 「令和2年度決算承認案」の省庁別審査4日目となりました。ところで、予備費使用総調書が衆議院から送られましたが、まだこちらの審議入りは無いようです。

 省庁別審査は外務省、防衛省など。

 羽田次郎さんが、4月13日の憲法審査会、14日の外交防衛委員会に続き、きょう16日の当委員会にも登板。5日間で3回目の発言となります。第一委員会室ではありませんでした。

 羽田さんは「Tー4練習機の救命無線機の寸法が合わず、返品。その後に、翌年度も同じものを納入され、また返品したのではないか」と指摘し、岸信夫大臣は「情けないことです」との一言から答弁しました。他の委員からもつい先日、空自小松基地のFー15の主力パイロットら2名が離陸直後に機体がバラバラになった事故との兼ね合いから責任感が不足しているとの指摘が出ました。



 次回は1週間後。
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【PV数】宮崎信行の武勇伝「山一証券自主廃業の方向を、橋本龍太郎首相に最初にあてた記者」の記事にページビュー集まる

2022年04月18日 09時19分49秒 | その他
 お知らせです。

 ここ1週間、今から7年前に書いた記事「山一証券自主廃業で橋本龍太郎首相を「そんなこと答えられるわけないだろ!」と激怒させた記者の消息は?」に、1週間で少なくとも100PV以上読まれる、ロングテール現象が起きました。

 きょう現在、PC版は5位まで、スマホ版で10位まで、人気記事ランキングが表示されていますが、10位以内に入っています。

 今から24年前、1997年11月22日に、午前3時半の記者会見を終えたばかりの橋本首相に「山一証券が自主廃業の方向となったようだが」とやりとり。午前2時過ぎに共同通信社の配信があったと、共同通信記者がデスクから電話を受けたものですが、この共同記者は父親がその後毎日新聞社長をつとめるなど、ジャーナリストのお行儀に優れた方でしたので、最初に報じたのは日経新聞だと推測されるから、当時23歳の私が首相に聞いた方がいいということで私が聞いたものです。

 これは一部ではかなり有名な話です。が、私が労働者階級時代のつらい思い出とともに、武勇伝も封印するようになってしまったため、今ではあまり知られていないと思います。ちなみに、その前年に山一証券の役員面接で落ちたという因縁もありました。私はこのころから、日本経済の衰退を予見しだして、家業が最盛期の年商の100分の1になりながらも単年度経常黒字が可能なデフレに合わせた転換をして、持続可能なまま、きょうに至っています。

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