【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

いつもここから

2009年03月19日 22時09分50秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代


いつもここから


 デモクラシーを獲得する上で、国民と民主党がつねに振り返るべき原点は2007年11月4日の「大連立騒動における小沢一郎代表の辞表提出事件」です。

 1997年12月31日、小沢一郎党首は衆院180議席に迫る「新進党」の「解党」を宣言したら、カンタンに新進党は消えました。両院議員総会の直前まで手製の「反対ビラ」を配った当選2回生の岡田克也さんを他の議員は「もう解党の流れは決まっているんだよ。岡田というのは政局感がないやつだ」とあざけりました。あの議員たちが今どこで何をしているのか、私は知らないし、興味もありません。

 2007年10月末、窮地極まった福田自民党内閣を救おうとした読売新聞グループ本社会長兼主筆である渡邉恒雄による「大連立」の謀略に小沢さんはいったんは引っかかりかけました。しかし、小沢さんが「提案」を持ち帰った民主党役員会で、代表代行、幹事長らはすぐにそれが「謀略」だと気づき、反対。小沢さんは11月4日(土)午後4時、いったんは「代表辞任」を表明しました。

 しかし、この10年間、蝸牛の歩みかもしれないけど、日本のデモクラシーは進歩しました。

 1997年12月 小沢党首が「解党」を宣言したら、新進党はすぐに消えました。

 2007年 7月 第21回参院選「逆転の夏」で民主党が第一党になりました。

 2007年10月 小沢代表が謀略に引っかかったことに民主党は気付きました。
 そして

 2009年10月 までに「第45回衆院選」は必ずあります。

 私たち(国民&民主党)は少しずつ強くなり、政権交代可能な2大政党デモクラシーを手に入れようとしています。

 しかし、民主党議員には認識の甘い人がいます。なかんずく、30歳代~40歳代に勘違いが甚だしい人がいっぱいいます。子どもの頃、喧嘩をしたことがなく、お勉強ばかりしていたのでしょう。政治とは権力闘争であり、選挙とは生きるか死ぬかの二者択一です。自民党をなぎ倒して、殲滅してでも政権を奪い取る気持ちを持たなければいけません。二者択一、To be, or not to be(生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ、シェークスピア「ハムレット」の有名なせりふ)です、自民党を潰さなければ、民主党が死ぬだけです。そこに妥協の余地はない、「わずかな違いが存亡を決する」(ダーウィン「種の起源」)、わずかな甘えが落選につながります。

 「大連立騒動」を忘れていた人はもう忘れないでください。もしも、また忘れるようなら、あなたが生きた証も忘れられかもしれませんから。


【関連エントリー(2007年)】

11/6昭和44年同期当選3人が小沢さん説得
11/6“雨降って地固まる” 小沢代表「恥晒すが頑張る」
11/6福田首相、“呼び出し”食らう 自民幹部に党首会談の経緯を釈明
11/5民主党、「小沢代表」継続を決定、連立なしが条件
11/4【小沢辞任の背景】「菅首相で北海道サミット」?
11/4小沢代表「私を政治的に抹殺を意図した中傷報道に抗議」声明発表
11/4News)小沢民主代表が辞意 大連立構想めぐる党内混乱にけじめ
11/3【解説】「特殊」維持の渡邉恒雄、礼儀正しい小沢一郎 党首会談の裏側
11/2民主党、連立の誘いを拒否 役員会1時間で結論
11/2首相、民主に連立要請 渡辺・読売会長の“指示”か?
10/30いったい何だったんだ? 福田・小沢党首会談1回目
10/29緊急党首会談、話し合い解散含む重大事項の可能性も
9/25福田内閣はナベツネ政権?

私たちは公務員の家来でない!と思う方は・・・
 ↓クリック!

「お上」とは国民のことだ!と思う方は・・・
 ↓クリック!  

 ↓
ありがとうございます。


このブログでの検索用タグ=
下町の太陽 国会 DPJ 政権交代 news 日経 fresheye.com clip 民主党 Democratic Party of Japan 投票行動 Japan どこに投票 two-party-system 国会傍聴 General Election 政治 Tokyo 自民党を倒そうOzawa,Ichiro  誰に入れたらいいの Katsuya Okada 国会傍聴記 FreshEyeニュース 与野党攻防 話題のブログ