【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【与党になるレッスン】自民党との闘争だ、自民党に仕掛けられた戦争だという認識を

2009年03月08日 19時43分28秒 | 第171通常会(2009年1月~)自民党追い込まれ

 2009年3月3日は、自民党が民主党に宣戦布告した地獄のひな祭りとなりました。

 これは法律の問題ではなく、権力闘争です。戦いです。戦争です。

 戦いには大義名分が必要です。

 ベトナム戦争では「ドミノ理論」、イラク戦争では「大量破壊兵器」でした。
 そこに善悪などありません。

 ドミノ理論とは、ベトナム全土が赤化すると、ドミノのようにアジア全体が赤化するというトンデモ理論。ベトナム全土が社会主義国になっても、タイは王国で仏教国。西にはイスラム圏が2県ある。タイ文字を使い、欧米列強の植民地支配の経験がない。タイが赤化するとはとうてい思えません。

 つまり、こじつけであり、難癖であり、大義名分であって、アメリカは戦争をして国内での求心力を高め、景気回復をしたかったのです。

 戦争の大義名分に「善悪」とか「正しい」とかありません。

テレビジョンをみると意思決定を誤るのはなぜか?


 民主党にけしかけられた戦争に対して、一部議員から「党としても検証委員会をつくるべきだ」「これを機会に政治とカネの問題を考えたい」という意見が出ていますが、弱腰です。

 北ベトナムのホー・チミン主席が「ドミノ理論検討委員会」をつくるわけがない。

 「これを機会に政治とカネの問題を見直したい」という現職議員は岡田克也本部長の政治改革推進本部に出席して意見を述べているのでしょうか?党内で岡田さんがやっている会議で発言していないで、余所から吹っ掛けられたケンカで反応するのはおかしい。岡田さんは今週、東南アジアに行きますが、報道では「延期したら」と言った議員がいるようです。しかし、地検にケンカを吹っ掛けられた対応のために、岡田さんが議員外交をやめたら日本の将来にとって損失です。

 Q.国策捜査でなかったらどうするの?
 A.国策捜査の法律上の定義などないのだから、心配ご無用です。

 Q.選挙に負けたらどうするの? 
 A.そのときはそのとき。それともこれから自民党に行く気なの?

 もちろん政府自民党・検察と全面戦争状態になっても、マスコミとは半身のたたかいで、味方にできれば味方にすればいい。

 8日付読売新聞1面では仙谷由人さんの名前が見出しになりました。さすがの仙谷さんも1面は初めてではないでしょうか。土日のTVでは、渡辺周・副幹事長、浅尾慶一郎ネクスト防衛相、細野豪志政調副会長らが生出演、笠浩史・神奈川県連代表、石井一副代表らがマスコミに露出しました。

 ピンチはチャンス、民主党議員の顔をTVで無料(タダ)で売り、様々な個性があることを既存メディアで売り込めば、民主党への関心は高まります。中年女性を中心に「民主党に投票するのがこわい」と言う人がいますが、これは「変化がこわい」のであって、民主党議員の顔を知ってもらえば、変化への不安は安らぎます。

 つまり与党になるレッスンです。

 総理番の時にこういう経験がありました。
 桜井新・元環境庁長官が橋本首相にサシで会いました。田中角栄さんと同じ選挙区から角栄の系列県議が反旗を翻して出馬したということで、当時のマスコミの大注目を浴びて初当選した人です。当時は中選挙区制でした。私は桜井さんに「総理とはどのような話を?」と聞きましたがそっけない受け答えで、足早に官邸を去ろうとしてました。
 ほかの記者がこう聞きました。
 「センセイ、きょうは政局の話は?」
 桜井さんは、「あっ!」と振り返り、初めて記者の方を向きました。
 「僕はねえ、そういうのとは全然関係ないんだよ。今、君たちに聞いてもらえただけで光栄だよ」。さみしそうな表情で黒塗りのクルマに乗り込んでいきました。

 私は「与党の当選6回生・閣僚経験者でもそういうもんなんだなあ」と思いました。今思うと、それが自民党の層の厚さであり、強さだったと思います。

 与党になったら今よりもっとマスコミの攻勢に晒されなければいけません。人間批判されるうちが華です。今のうちに予行演習をしましょう。

石井一、小沢一郎との緊急会談の内容を明かす


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政権交代の最大の敵は?

2009年03月08日 05時54分41秒 | 第171通常会(2009年1月~)自民党追い込まれ

 それは私たち、主権者(日本国民)自身です。

 私たち(主権者)は、1890年の第1回総選挙から投票行動に基づく政権交代を実現したことがありません。119年前といったら、私たちの祖父母の祖父母が投票した選挙です。

 行く手を阻む最大の敵は、自民党でも官僚でも創価学会でもありません。

 2009年の私たちは過去の日本人が選択しなかった選択をしようとしているんです。私たち(主権者)の私たち(日本人)自身に克たなければいけないのです。

 それは容易なことではありません。もっとも手強い敵です。

 冒頭の写真は鍋田玉英の錦絵「帝国議会衆議院議員」1890年です。第1回衆院選の後、帝国議会開会の直前にワクワク想像しながら書いたものです。衆議院が管理する「尾崎行雄記念・憲政記念館」が所蔵しています。資料類からスキャニングしました。

 ちなみに第1回衆議院選挙は主に小選挙区(2人区もあり)で、定数300。なにやら今と似ています。そして、明治政府の官僚を応援する「吏党」(大成会)が84議席、国民を代表する民党」(板垣自由党130議席、大隈立憲改進党41議席)が171議席。後は無所属。

 300小選挙区で、国民を代表する「民党」が171議席とは、時は変わってもなんともリアルな数字に思えます。現在の二大政党の源流は板垣自由党・大隈改進党が源流。どちらかというと、大隈改進党の方が人材は輩出することになりますが、これは板垣自由党の最大の党是が「国会開設」だったのに対し、大隈改進党の方がが政策に強かったからです。もちろん国会を開設させた板垣退助の偉大さは変わりません。

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