【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【河村たかしさん】「長い間お世話になりました」【名古屋市長候補推薦決定】

2009年03月24日 14時04分04秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代
 写真左は河村たかし名古屋市長選予定候補、右後ろは伴野豊・民主党愛知県連代表

 民主党は3月24日、名古屋市長選挙(4月12日告示・4月26日投票)に出馬する河村たかし名古屋市長選予定候補(60)の推薦を役員会・常任幹事会で決定しました。

 写真の河村さん、いい顔してますね。「長い間お世話になりました。ぜひとも市長に当選して恩返しをしたい」と語りました。

 ◇

 河村さんは近く、小沢一郎代表に離党届を出す見込み。また河野洋平衆院議長に辞表を出すかもしれませんが、告示日の自動失職を選択する可能性もあります。このタイミングは市長選挙の当落に影響します。河村議員周辺は「自動失職を選ぶ」としていますが、僕は河村さんのきっちりとした性格からして、届を出すのではないかと推測しております。

 河村さんは衆院国会移転特別委員会の委員長だった時、「委員長手当」という追加のお給料(歳費)を国庫に返したことで有名です。このとき、河村さんは委員長専用の公用車(衆院が所有し、衆院職員が運転する)については「あいつ、乗り回していたよ」(同僚議員)。

 私はこれは委員長専用車に乗らないと、衆院採用の運転手さんたちに不安が広がる、と考えたんだろうと思います。河村さんの自著には、幼少期、河村商事の住み込み従業員さんと河村兄弟が仲良く写っている写真が収められています。



 中小企業主のせがれはこういうところはみっちりしつけられます。

 河村さんは議員立法が多かったこともあり、衆院事務局スタッフと仲が良く、あるときは事務総長室で30分ぐらい話し込んでいました。裏方さんを大事にする河村さんは偉いし、河村さんの親(河村商事の創立者)はもっと偉い。

 河村たかしさんが「党首・小沢一郎」に離党届を出すのは2度目になります。日本新党で初当選した河村さんは「今でも新進党」と考えています。私も同感。そして、これは河村さんに聞いて初めて気付いたのですが、1998年12月31日、新進党解党後、河村さんは自由党(小沢一郎党首)に行ってしまいました。たしかに民主党結党大会に河村さんはいませんでした。

 民主党の下、予想に反して野党第2党に転落した自由党は、自民党の小渕恵三首相との連携を模索するという、私にとって「2度目の裏切り」を模索しました。山一・拓銀ショック後で空前の金融大不況でしたから、自民党を徹底的に叩けば、政権交代を実現し、自民党を潰せたと思います。

 当選2回生だった河村さんは、小沢一郎党首の目の前で「自民党との連携に反対だ」ど離党の理由を説明し、目の前で離党届を提出しました。無所属を経て、民主党に8ヶ月遅れで入党しました。

 彼のような人物を僕の生まれ育った東京・下町では「一流」といいます。

 「名古屋市長」は男子一生の仕事。河村さんは絶対に国会に帰ってきてはいけません。お別れするのは辛いけど(涙)

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民主党:名古屋市長選挙で河村たかし衆院議員の推薦を決定 常任幹事会

 常任幹事会で24日午前、4月12日告示、26日投票で行われる名古屋市長選挙に河村たかし衆院議員(60歳・衆院愛知県1区選出・当選5回)を推薦することを決定した。

 河村議員は、常任幹事会で「長い間お世話になりました。ぜひとも市長に当選して恩返しをしたい」と語った。

2009年3月24日の朝に

2009年03月24日 10時04分49秒 | 第171通常会(2009年1月~)自民党追い込まれ
 おはようございます。

 平成21年3月24日の朝を迎えました。

 聞けば、麻生内閣が発足6ヶ月だとか。10月に解散があると思った自分の見込みの甘さを恥じるとともに、「自民党は最期まで何でもやってくる」ということを肝に銘じなければいけません。

 本棚を探して、一冊の本を引っ張り出してきました。

 少年期に読んだ、ジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」(波多野完治翻訳、新潮文庫)。

 その最後の部分です。(引用はじめ)

 さて、この書から引用される教訓は、簡単に言えば次のようになる。
 もちろん、今後、いかなる小中学生も、このような夏休みを送ることはあり得ない。だが、少年たちが、なんであれ、困難に直面した時には、勤勉、勇気、思慮、熱心の4つがあれば、必ずそれに打ち勝つことができるということだ。

 チェアマン学校の14人の生徒は、2年間の島のきびしい生活の中で、すくすくと成長した。幼年組は、たくましい少年に、年上の少年たちは、一人前の青年に。

(引用おわり)

 これは不思議な小説の終わり方です。この小説はずーと3人称で、少年たちの冒険を描いてきたのに、最後の最後に作者本人が登場してきて、小説のまとめを真顔でしているのです。小説のルールには違反しています。
 彼は「地底旅行」「海底2万マイル」「80日間世界一周」で文名大いに上がってから、「十五少年漂流記」を書きました。彼は若い人たちに伝えたいことがあり、小説の作法に反していることを承知で、上の文章で代表作の一つとなる作品を締めたのです。どうしても伝えたいことがあったのです。

 民主党は結党11年間、4000日間野党一筋の極めて未熟な政党です。私たち(国民&民主党)も「なんであれ、困難に直面した時には、勤勉、勇気、思慮、熱心の4つがあれば、必ずそれに打ち勝つことができる」との思いできょうの日に臨み、「幼年組は、たくましい少年に、年上の少年たちは、一人前の青年に」成長しようではありませんか。

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